~ 第四章その3 ~
「どう?
ここ数日間の具合は?」
「ええ。
お陰で全く悪夢を見ることもなく……」
合歓木護少年が悩みに悩み続けたところで、時間は無情に過ぎ去っていき……何一つ答えも出せないままに全ての授業が終わり、やがて放課後が訪れる。
その日の放課後も、護と転校生は何となく並んで一緒に帰っていた。
と言うよりも、隣の席から放たれ続ける無言の圧力に押される形で護が折れ、一緒に帰ることになってしまったと言うのが正解だろう。
(別に何かを言われた訳じゃない、ですけれど)
彼女が転校してきてからそれほどの月日は経っていないものの……護は隣の席の彼女が何を言いたいのか、何となく察することが可能になっていた。
尤も、彼女の視線が訴えるのは主に「餌、見つけた」「餌はまだか?」「お腹張って眠いから起こさないで」という、三つくらいのものだったが。
……恐らく、飼い猫でももう少しばかり雄弁だと思われる。
そんな彼女が、こうして隣で並んで歩きながらも護に向けている視線は……飢えてはいないけれど餌を探しているような。
つまり、護に何かを期待しているのが丸分かりであり……まだ中学二年生でしかない合歓木護少年にとって、その視線を無視して歩き続けるのは、少しばかり荷が重すぎた。
期待の込められた空の視線に耐えかねた護は、話を逸らそうと周囲を見て……ソレに気付いてしまう。
「あ、この道は……」
「ああ、いつもの癖で、ね」
「……ええと」
いつもの道とは即ち、ラブホテルへ向かう道である。
さっきまでの護は、空の視線から来る圧力に対し返事をすることにばかり気を取られ、全く気付いていなかったから平気だった。
しかしながら、こうして一度気付いてしまえば……目的地へ着いた後のことを連想してしまうのはもう必然である。
護少年はここ数日で睡眠時間が確保され、十分な栄養素を摂った所為か、何故か脳みそが『この手の発想』に連結するという奇妙な現象を度々経験していた。
思春期とはこういうものだとは思われるものの、数日前と比べると明らかに脳みそがピンク色に侵食され、浮かれているのが明白であり……正直な話、護は今現在の自分に冷静な判断が下せるとはとても思えない。
「ぼ、ボクはこの辺で……」
十数分後に訪れるかもしれない出来事への期待よりも、この浮かれ切った脳みその所為で流された結果、「隣で歩く肉食獣に自分の人生が絡め取られてしまう」という恐怖に護の腰は退けてしまい、この場から逃げ出そうと踵を返す。
……だけど。
「ふふ。
そう慌てて帰らなくても」
「……うっ」
隣の少女が、それを許す筈もない。
空は上半身全てを使ってがっしりと護の右腕を掴んできたため、まだ成長途中の少年の腕力ではその鬼の剛力を振り解くことは不可能だった。
……と言うよりも。
少年には振り解く気すら起きなかった、のが実情だった。
幾ら鬼敷空という少女が栄養失調寸前の、酷く貧弱な肉体をしているとは言え、一応は女の子の身体なのだ。
ここ暫くは栄養をしっかりと摂っていたため、多少なりとも肉がついてきたこともあり、護に張り付いてくる空の身体は、少年の身体と比べれば圧倒的に柔らかい「少女の身体」であり……一応なりとも存在している、護の腕を押し返してくる微かな感触がそれを教えてくる。
しかも空なりに恋人っぽさを意識したのか、繋がれた手のひらから暖かな体温が感じられ。
ついでに言うと、香水でも石鹸でもない、妙に少年の鼻をくすぐってくる良い香りが漂ってきて……少女の弾力と体温、そしてその香りは三重の効果を発揮し、ただでさえ浮かれ衰えているだろう少年の思考力と自制力とを、更にどんどん削ぎ落としていく。
(あ~、もう、このままでも、良い、のかも)
それら全てが伝えてくる鬼敷空という『少女』の存在感が、遂には護から抵抗を奪ってしまっていた。
元々、彼女がいてくれなければ護は真っ当に眠ることすら叶わないのだ。
だったら……まだ中学二年生で少しばかり早い気はするけれど、ここで人生の大まかなルートが決められたところで、結局は何も変わらないじゃないかという諦観も、彼の理性による抵抗を削いでいた要因の一つだろう。
と、そうして護が頭の中で交戦し続けている間にも……要するに、肉体的には一切の抵抗を放棄したのを良いことに、黒いセーラー服の少女は強引に腕を引っぱり……いつもの公園へとたどり着く。
……ちょうど、その時だった。
二人の前にボロボロの制服を着た、一人の少女……小鳥遊祐子生徒会長が公園のど真ん中に立っていたのだ。
美少女と表現する他ないその顔に、敗北に茫然自失だった先日の様相とは打って変わって……自信に溢れた笑みを浮かべながら。




