~ 第四章その2 ~
「あはは。
久々に大量だ~」
「……はぁ」
隣の席で変な寝言を言っている黒いセーラー服の転校生……鬼敷空という少女を横目で見た護は、思わず先ほどまでの思考の延長として……交際相手として思い描いた小鳥遊生徒会長の姿と隣の席の少女とを比較し、堪え切れず大きな溜息を吐き出していた。
それ自体、非常に失礼なことと自覚はしているものの……護がどちらからも交際を申し込まれている以上、ついついそんな式王が浮かんでしまうのは、思春期の少年としては仕方のないことだろう。
ちなみに。
こうして社会的な地位や風評を全く歯牙にもかけない彼女だったが、意外とこうして授業にはしっかりと出席している。
空曰く「サボっていたら生活指導とかが入って狩りの邪魔をされるから鬱陶しいのよ」とのことである。
ついでに言うと、身元保証人のおじさんとやらにも意外と強く出られないらしい。
どうやら発狂して施設に放り込むこととなったという娘さんの代替品としてではあるが、空は色々と恩返しついでに世話を焼かれたようで……何となく苦手意識があるようだった。
(まぁ、まともな食生活を許されなくて親にも見捨てられた彼女に残った、最後の社会的な理性って感じ、でしょうか?)
とは言え、ただ体裁的に出席しているというだけで、授業を聞いている訳ではなく……こうして平然と大鼾をかいて寝ている少女を見て、護は何となくそんな感傷を抱く。
「ふへへへ。
こっちのも、美味しいわね」
「……はぁ」
尤も次の瞬間、涎を垂れ流しながらそんな寝言を呟く色気皆無な姿を見て、護はもう一度溜息を吐き出す羽目に陥ったのだが。
その点、生徒会長である小鳥遊祐子先輩は何から何まで違っていた。
学校一の美貌にグラビアアイドルもかくやという凄まじいスタイル、学力は天才的で運動神経は人間を凌駕しており、実家は広大な土地を持ち様々な事業を展開しているとかなんとか。
更には彼女の自己申告を信じるならば穢れのない生娘で、しかも護のことを好きだという……どこの完璧超人という話である。
勿論、『彼女の愛情表現』とやらに少しばかりの問題があるのは重々承知しているけれど、こうして当事者から離れ関係ない場所から見てみると、やっぱり「もったいない」という感想を抱いてしまうのは、まぁ、護もそれなりに年頃の少年ということだろう。
何度か不眠症の相談に乗ってくれたこともあり、男女間のそれとは言えないものの、ある程度の好意を護が抱いていることは間違いなく。
「だが、そうして一企業の寡占状態になったのも、大型マーケットの便利性ばかりに惹かれそちらに飛びついた消費者の責任もある訳だ。
だからこそ、世界各地では独占禁止法という法律が作られている。
が、まぁ、だからと言って努力しない企業を助けるのもどうかと思うこともあるのだが……」
教師の話を聞き流しながら、護は己の唇の端が吊り上がるのを止められない。
(……このボクがこんな……普通の人みたいなことを、考えているなんて)
連日連夜眠気と戦うばかりで、普通の人生なんかとっくに諦めていた筈の少年が、僅か二週間ほどゆっくり眠れる時間が出来ただけで、こうして普通の男女関係なんかを望むように……相手の女の子について好みや評価を下すような、偉そうなことをしているなんて。
ただゆっくり眠れるだけで他のものなど何も要らないと思っていた自分という生き物が、眠れるようになっただけで、こんなにも色々な欲望を抱えている、なんて。
しかも、ただ空と生徒会長とを比べるだけでは飽き足らず……教室内の女の子や放課後に体操着で走り回っている陸上部の女の子の肢体とか、そういうのにもここ数日、ついつい目が追ってしまう有様である。
(……これが、普通の男子中学生、かもしれないんですが)
睡眠欲が満たされたことで次の欲求が芽生えたのか、それとも普通に食事を摂るようになって、身体が健康的になった所為なのか。
急に異性関係に興味が向かい始めた自分について自嘲の笑みを浮かべながら、護が心の中でそう結論付けたところで、教室中にチャイムの音が鳴り響く。
「そもそも企業努力というのも日進月歩であって、技術は盗まれるし安穏としていると他社が同等以上の製品を開発……おっと、今日はここまでか。
では、日直」
「起立。礼!」
「じゃあ、特に伝達事項もないので、帰りのホームルームは省略する。
寄り道はするなよ」
話の途中にチャイムの音を聞いた護のクラス担任の榊原先生は、そんな恒例の言葉を口にするとさっさと授業を終わらせ、欠片の躊躇いもなく護たちの教室を出て行った。
……恐らく、彼が向かった先は保健室なのだろうと、護は何となく半眼で担任の背中を見つめてみる。
とは言え、保健室の先生も空の言葉によるとパウチとかいう妖の被害者であり……そうすると、担任の榊原先生もまた妖の二次被害者と言えるのかもしれないが。
ちなみにさっきの時間は榊原先生が受け持つ『数学』の筈であり、何故企業努力とか独占禁止法とかって単語が黒板に書かれているのかについては、自分の悩みに夢中で話を聞き流していた護にはさっぱり分からなかった。
ただ、担任教師の妖の汚染具合と関係があるのかどうかは不明であるものの、数学の授業内容は最近あちこちへと飛び火する傾向にあり……こうして黒板を見ていると、自分自身の今後の成績に対し、不安が浮かび上がって来る。
尤も、黒板に書かれている内容を教室の誰もがノートに写そうとしていない以上、さっきの聞き逃した授業内容はあまり気にしなくても良いのだろう。
成績は……ちゃんと睡眠さえ取れたなら、まぁ、何とかなる筈である。
(ははは。
成績、ですって)
そんな当たり前の悩み事を悩める余裕がある現状に、護はもう一度声を出すことなく笑みを浮かべると……
「さて、帰る前に……」
さっさと帰り支度を済ますと、実に羨ましくも本日全ての時間を夢の中で過ごした、隣の席の少女を起こすために席を立ったのだった。




