~ 第三章その15 ~
「え?
だってもう邪魔者はいないじゃない?」
それが、護が誘いを断った時の、空の返してきた言葉である。
先ほどまでの力比べをした敗者がまだ近くにいて項垂れているとか、中学生の身でありながらとか、護るが抱えているそれらの葛藤を一切意に介していないその言葉に、思わず護の顔は引きつってしまう。
それらの常識が「断られる理由になる」と全く思っていなかったらしき彼女の様子に、本当に社会性というモノが欠如しているんだと実感させられてしまったのだ。
「もう妖もいないでしょう?」
「……ちぇ」
結局、もう一度護が断りの言葉を口にすると……どうやら護の意思が固そうだと判断したらしき空は、舌打ちを一つすると、それ以上ごねることもなく、あっさりと引き下がってくれた。
彼女にしてみれば、どうしようもない飢えという衝動から比べると、現状の動物的な本能から来る性欲などはそこまで切羽詰った欲望ではなく……早い話が即座に命に係わるような事案ではないからこそ、護自身の意思に反して押し通すほど必死になる必要もない、ようだった。
「まぁ、どうせまた憑かれるでしょうから、その時にでも」
だから、だろう。
鬼敷空という少女はそう言い残すと、敗者である小鳥遊生徒会長どころか、妖が憑いていない護に一瞥をくれることもなく、そう言い残してさっさと踵を返してしまう。
恐らくではあるが、性行為も食事も望めないと分かった瞬間に、興味を失ったのだと思われる。
この辺りのどこか動物的な、本能でしか動けない、本能以外に動く理由を持たない生き様こそが、護が空に依存しながらも一緒に生きることを是と出来ない……彼女に好意を向けられない最大にして唯一の理由でもあったのだが。
そうして、この場に残されてしまった護は、何も語らない、動こうともしない項垂れたままの生徒会長と二人きりとなってしまい……その場の空気に耐え切れず、何かを言葉をかけようと口を開き、また閉じ、口を開いて閉じ……
少年は何も言えないままに、ただそれを数度繰り返し……
「ええと、その。
ボクは、ただ眠りたい。
……それだけなんです」
結局、敗北に打ちのめされたままの生徒会長に向けて、護が言えたのはそれだけだった。
護自身も色々考えてはみたけれど、彼の中には他に言えることなど何一つなかったのだ。
現実問題として、彼が幾ら生徒会長のことを好きだったとしても……そして、生徒会長の護へ向ける感情が純粋な愛情だったとしても。
それでも、護は……眠りのない人生に戻ることなんて、考えることすら出来ないのだから。
──結局のところは護自身も、あの妖を喰らう彼女と何も変わりはしないのだ。
自分のことが最優先で……いや、自分のことを最優先にしなければならないほどに追い詰められた状況で、何とか命を繋いできたのだ。
だからこそ……それ以外のものは切り捨てるしかない。
生存競争の厳しい肉食動物たちが獲物に情けなんてかけないのと同じように……そして、それが非情とは分かっていても、それ以外の選択肢など選ぶ余地がないように。
極限状態で生きるというのは、そういうことなのだ。
「……今は、まだ」
それでも自分の現状を由としない程度に常識人である護は、言い訳程度にそう呟いていた。
その彼の言葉を聞いた生徒会長は、それでもピクリとも動かない。
崩れ落ちたまま動かない彼女を護はしばらく心配そうに見つめていたものの、だからと言って落ち込んだままの彼女と二人きりで延々と居られる訳もなく。
何よりも、振った側となる護が、彼女に対して何かが出来る筈もなく。
すぐさま少年は居心地の悪さを感じ始め……ものの数分でこの場所にいることに耐えられなくなってしまったのだが。
「じゃ、じゃあ、そういう、ことで」
結局。
護は打ちのめされている彼女にそれだけを言い残すと……逃げるようにその場を立ち去ることしか出来なかった。
自分の不甲斐なさを情けなく思いはしても、だからと言って眠ることすら空の助けを借りなければ何も出来ない少年には、他の誰かを受け入れる度量なんてある訳もなく。
(会長だったら、誰か良い人、見つかります、から!)
などと、心の中で生徒会長をその場に残していく言い訳を何度も何度も繰り返しつつ。
暗がりの中、護は後ろ髪を振り切るように、家路へと急いだのだった。




