~ 第三章その14 ~
「何が、おかしいのよ!」
突如笑い出した転校生の、その笑い声が癇に障ったのか……小鳥遊生徒会長は、怒りに任せて彼女の胸倉を掴むと、眉を吊り上げて怒鳴りつけた。
「貴女が彼の望む全てを与える?
冗談も良いところね、生徒会長様?」
それでも、空は余裕を崩さない。
胸倉を掴んだ生徒会長の腕を、その護の非力な手でも折れそうな細腕で握ると、腕力に任せてその手を引き剥がす。
「な、何を?」
「私は、貴女と違い、彼の望む唯一のものを与えられるって言っているのよ」
そのまま、二人の少女は……いや、少女の形をしているだけの妖たちは力比べを始めだした。
もはや護の取り合いというよりは、化け物同士の縄張り争いに等しいそのちょっとした小競り合いは、腕の太さから生徒会長に有利だと何となく考えていた護の予想とは異なり、空がその細腕にも関わらず生徒会長を押し始める。
「な、何よ、この力っ!」
「ふふふ、最近は、食べ物に困らないのよ。
他ならぬ彼のお陰で、ね」
護の記憶が正しければ、生徒会長はどの男子でも敵わないくらい……体重が百キロを超すような柔道部の大男でも敵わないくらいの腕力を誇っていた筈である。
……だからこそ、万能の生徒会長にも関わらず、芸能人以上と噂されるほどの美少女であるにも関わらず、「化け物」呼ばわりされているのだから。
それほどの膂力を誇る生徒会長を、空はその細腕で難なく押し切ってしまう。
圧倒的な力の差を思い知ったのか、生徒会長は戦意を喪失したかのように地べたに崩れ落ち、座り込んでしまう。
そのまま彼女は荒い息を吐きながら……もう起き上がろうとしなかった。
「……あ」
完璧だと思われた生徒会長が、起き上がることも出来ないほど打ちのめされたその姿を見ながらも……護には彼女にかける言葉を持ち合わせていなかった。
彼女が負けるところ自体、全く想像出来なかったこともあるが……それ以上に、護には彼女に向け何を言ったら良いかすら分からなかったのだ。
──そもそも、自分を取り合って力比べをした敗者に、ただの景品が何を言えるというのだろう?
何も言えないもどかしさと、好意を向けてくれた相手に何も言えない無力さを感じつつも、少年はやはり何も言えずに歯噛みすることしか出来やしない。
とは言え、勝者である少女にとっては……まだ縄張り争いは終わっていなかった、らしい。
「……空さ、んん?」
黒いセーラー服の少女は、小鳥遊生徒会長を見つめて言葉を捜している護の肩を抱き寄せると、そのまま唇を奪っていた。
だけど、それは男を奪い合った末の、勝利宣言としての口付けではなく……獲物を捕食するためのだけの行為だった。
何しろ護の唇から離れた彼女の口には、今までのよりは大きくないけれど、それでもやはり嫌悪感を覚えるような異形の化け物が咥えられていただから。
恐らくは、悪夢を見ずとも護の負の感情が酷く揺さぶられていたため、ソレは護の負の感情を喰らうのに必死で、捕食者である空に大きな隙を見せてしまったのだろう。
「……貴女にこれが出来る? 出来ないでしょ?
だから、貴女じゃ無理なのよ」
「な、何よ、それ……」
その血が混じっていたとしても、妖という常識外の存在を目視すること自体は初めてだったらしい。
打ちのめされていた筈の生徒会長は、空の口に捕らわれている自然界には有り得ない醜い化け物を目の当たりにしたことで、敗北すらも忘れたかのように絶句していた。
「……マクラガエシと、私は呼んでいるわ。
人に悪夢を見せて、その恐怖や苦悩を喰らう、妖……って言えば、分かる?」
「──っ!」
化け物を喰らう化け物の言葉に、何か思うところがあったらしき生徒会長の目が見開かれる。
護はその悪夢の所為で起こる幾つかの問題を小鳥遊生徒会長に相談したこともあったため、彼女も護が何に苦しんでいたのかを当然のように知っていた。
だけど、常人を逸脱した身体能力を持っていたとしても、普通の人間として生まれ育った彼女にとって、あくまでも悪夢を見るのは護の精神的な問題であり……こういう『物理的な原因』があってのものだとは考えすらしなかった。
例え祖母が神社の宮司という少しばかり特殊な環境で育ったとしても、そして、少しばかり常人より秀でた能力があるにしても、あくまで普通の人間として育てられてきた彼女は、そんな非科学的な存在の関与を疑うことすらしなかったのだ。
だからこそその事実は……彼女に腕力で負けた以上の敗北感をもたらしていた。
「彼が欲しているのは、財産、成績、地位、名誉、将来の幸せや努力するに値する人生でもないわ。
ただ安らかな眠り……それだけなのよ」
空のその言葉は、トドメ、だったのだろう。
小鳥遊生徒会長はガクッと力を抜いたかと思うと、ついに完全な負けを受け入れたかのようにその身体から力を抜いて項垂れてしまう。
(……容赦ない、ですね)
空のその追い打ちに、ただの景品でしかなかった護は若干退き気味だった。
だけど、護にとってやり過ぎとも思えるその死体蹴りに等しい行為は、当の空にとっては追い打ちという感情すらなかったようだ。
「じゃ、懸念も無くなったことだから、ホテル行こうか」
何しろ鬼敷空という少女は、崩れ落ちたままの生徒会長の眼前で、そんなことを口に出したくらいである。
鬼の価値観……と言うよりは、食うや食わずという、まさに生存競争しかない生き方しかしていない彼女にとって、単純に敗者を思いやる感情などは持ち合わせていないだけ、なのだろうけれど。
ホテルに行こうと口にしたのも、単純に「邪魔が入らなくなったのでただ欲望をそのまま口にしただけ」であり……空という少女に敗者を更に打ち据えようという意思があった訳ではない、のが真相ではあるのだが。
「いきませんってば!」
しかしながら、社会常識のない妖を喰らう少女は平然とそう出来たとしても……もう一人の当事者である護は、彼女の言葉に同意出来るほど人の心を失ってはいなかった。
当たり前の話ではあるが……護には自分に好意を向けてくれていた少女が敗北感に打ちのめされているのを目の当たりにしつつも、そのまま見捨ててホテルに直行して何やら致すことが出来るほど、太い精神は持っていなかったのである。
と言うか、護自身、眠気覚ましに幾つも見たドラマなどでよく見た展開の……誰かを振った直後に「真実の愛に気付いた」とかって別の女のところへ走れる主人公の気が知れない類の人間だった。
好かれていた相手を見捨てた直後、誰かに愛を囁くなんて、普通の人間の精神構造では出来る筈がない……とまで、思っているくらいである。
それは、彼自身が誰かを選んで誰かを切り捨てるような……いや、そもそもそれ以前の、好意を向けられるということにすら殆ど無縁の人間だったからこそ持ち得る感想なのかもしれないけれど。




