~ 第一章その3 ~
合歓木護少年がマッチ棒を使って船を作っている間に、昼休みが終わり。
歴史の教師が来るべき筈の五限目に、何故か数学の教師であるこのB組の担任が訪れ……何も聞かされていなかった教室中の全員が何事かと首を傾げていると。
「あ~、今朝、言っていたとは思うが、今到着したので、転校生を紹介する」
担任の榊原先生は微妙な表情をしつつ一瞬だけ合歓木少年の方に目を向けると、そう声を出した。
大勢の級友たちが転校生の存在に浮き足立つ中、視線を向けられた護だけは思わず眉を顰めてしまい、複雑な表情を浮かべてしまう。
(……結構な問題児、って扱い、ですか)
自分に向けられた視線の意味にただ一人気付いた護は、内心でそう嘆く。
先ほどの榊原先生の向けてきた視線には「また問題児が増えやがった」という教師としてあるまじき感情が込められていたのだ。
尤も、「結構な問題児」という自覚が重々過ぎるほどにあった護は、担任の行使に対し抗議しようとすら思わなかったが。
ちなみに、転校生が来るということ自体、護にとっては初耳だったのだが……酷い睡眠不足の彼が先生の話を聞き逃すのはいつものことであるし、そもそも転校生の存在そのものに興味すらないため、そのことに対する動揺は一切見られなかった。
「ええと、鬼敷、空という名前の、えっと、入ってきて良いぞ?」
「……は、い」
ずるずると。
そんな擬音が聞こえるような動きで、よろめくように教室へと入ってきたのは、一人の少女だった。
彼女はぼさぼさの黒髪を肩まで伸ばしており、その細身の身体に護たちの学校のとは違う制服……黒いセーラー服をまとっている。
身長は女子の平均より若干低いくらい……なんだろうけれど、その様相があまりにも酷過ぎた。
何と言うか、中身が全く詰まってないかのような……栄養失調感が漂っていたのだ。
減量中のボクサーよりもまだ酷い。
教室に入ってくるのでさえ、よたよたと壁に身体を預けながら何とか身体を前に運んでいる有様である。
顔の美醜は髪に隠れてよく分からないままだったが……どれだけ可愛かったとしても中学生が恋愛対象として見るには、少しばかり行状が規格を外れ過ぎていた。
明らかに……病人が気力で何とか動いているとしか思えないのだから、無理もないだろう。
更に言うと、もう少し髪が長くて白いワンピース姿だったなら、呪われたビデオテープを再生した時、テレビから出て来ねない……そんな雰囲気が漂っている。
「なぁ、鬼敷?
体調が悪いなら、今日は帰っても……」
「いえ、前の学校でも、その、出席日数的に、もう……」
「……あ~」
流石に見咎めたのだろう。
明らかにカロリーが足りてない少女の行状に榊原が教師としての声をかけるものの……戻ってきたのは妙に現実的なそんな声である。
(出席日数なんて気にしている場合じゃ……っ?)
教師と転校生との応答に対し、そんな感想を抱いていた護が、視線をもう一度転校生の方へと向けたその時……ふと気付いてしまう。
少女の視線が……まっすぐに彼の方を向いていることに。
確実に初対面だろうその少女の視線に込められているのがどういう意図なのか、護にはさっぱり分からなかったものの……かなり熱心な、まるで獲物を見る肉食獣のような視線だと感じられた。
ばっちりと目が合ってしまった護少年は何となく居心地が悪くなったものの、視線を外すと襲い掛かってきそうな気配が漂っていて、恐怖から視線を外すことすら叶わない。
「あ~、席は空いている席なら、まぁ、どこでも……あ、えっと」
担任である榊原先生はそんな転校生の様子にも気付かないまま、転校生用のテンプレートとも言うべき言葉を告げていた。
だけど、生憎とこの教室内に空いている席はそう多くない。
あるのは……たった四箇所のみだ。
そのことに気付いた担任教師は前言を撤回しようと言葉を捜していた様子だったが。
「……なら、そこに」
何も知らない鬼敷空という名の少女は、空いている四つの席の一つ……護の右隣の席へよたよたと歩いて来る。
さっきの視線は兎も角、この転校生の少女がが護の近くを選んだ理由は、別に彼に対して何らかの感情を持っていたから、ではない。
ただ単に、この教室内での空席など、彼の前後左右にしか存在していなかったのだ。
パッと見、ポツンと孤立している彼はまるで、クラス中からハブられているようにしか見えない。
尤も、それは彼自身が嫌われている訳ではなく……護少年が悪夢に苛まれる度に悲鳴を上げて机から転げ落ちることと。
また、彼の周辺で居眠りした生徒は、護がいつも見ている悪夢を消費税分くらいに薄めた感じの悪夢を見る、という複数の証言があり、そうなっただけの話である。
授業中に騒ぎを起こす彼に対して、嫌悪と迷惑よりも憐憫と同情の視線が多いのは、そんな理由が若干混じっていたりする。
閑話休題。
何はともあれ、転校生が空席に座ろうと思えば、護の前後左右四つの席以外にはあり得なかった訳だ。
「え?
で、でも」
「……あそこって」
「ヤバいってば」
護の周囲の席がどういうものかを知っているクラスメイトたちは、動揺を隠し切れない様子でざわざわと騒ぎ出す。
だけど「それ」を口にするのは流石に憚れるのか……クラスメイトたちは誰一人として転校生や先生相手に「それ」を言おうとしない。
「あの、先生。
その……大丈夫なんでしょうか?」
だからこそ、仕方なく……こういう場で率先して口を開くタイプではなかった護は、本当に仕方なくといった口調で、榊原先生へとそう尋る。
「まぁ、席を決めるのは自由だ。
……勿論、変えるのも生徒の自由だがな」
教員免許を持つ大人から帰ってきたのは、そんな「面倒ごとは真っ平御免」と言わんばかりの返答であり……護は流石に呆れて二の句が継げない。
「あの、よろ、しく」
そうして護少年が何か反論の言葉を探している内に、鬼敷という名の少女はよたよたと隣の席へとたどり着き、護に向けて途切れ途切れの声でそう告げ……
「あ、はい。
よろしくお願いします」
少年自身も厭世の気があるとは言え、形ばかりの社交辞令は心得ていたため、大人しくそう告げる。
尤も……
(……ま、言っても信じないでしょうけれど)
護少年は言葉の上では一クラスメイトとして無難な対応を取りながらも、胸中ではそう呟いていた。
必ず悪夢を見てしまう人間と、その悪夢が感染してしまうなんて、彼の周囲にいる人間は実際に彼の悪夢を共有する者が出て来るまで誰一人として信じなかったし……一度悪夢を共有してしまえば、両親ですら寝る間は彼に近づこうとしないのだから。
(まぁ、すぐに席替えする羽目になるでしょう)
だからこそ、護にはそういう諦観があった。
その発想は、面倒ごとを全力で回避しようとした榊原先生の内心と全く同じものだったのだが……教師の無責任さを咎めた筈の護は、自分自身の無責任さに気付くこともなくとっとと次の時間の歴史の準備を開始したのである。
……隣の席から向けられる、妙に緊張感のある視線に気付かないふりをして。




