~ 第三章その12 ~
空から色々話を聞いたとは言え……数日前まで不眠で朦朧としたままただ生きていただけの護に……生徒会長である小鳥遊祐子の告白にも何の答えも返せなかった護に、男女交際する/しないの返事なんてすぐ出来る筈もない。
それでも、彼女の答えを待つかのような視線を受けた護は、身じろぎ一つすれば何か言葉を返さなければいけないという強迫観念にも近い衝動に駆られてしまい……だけど、男女交際についてすら想像もしたことない少年に、そんな決断を下すことなど出来る筈もなく。
だから、護少年は指一つ動かすことも出来ず、ただただ少女の視線に耐え忍び続けるばかりだった。
……まさにヘビに睨まれたカエルの心境とも言える。
そんな護の様子を見ていた空は、やがて、答えを待つのに飽きたのか軽く溜息を吐くと、突然護に背を向けるとそのまま彼からゆっくりと離れていく。
「……ぁ」
何となく、しっかりとしない彼女に見捨てられたような気持ちになった護は、彼女の背中に向けて口を開く。
だけど……言葉が出ない。
彼女の告白に対し何も言えなかった自分に、彼女に向けて何かを言える権利があるとは思えなかった、という理由もあるが……それ以前に、そもそも何を言って良いかすら彼には分からなかったのだ。
それでも、何かを言わなければならないという衝動だけは強く護を駆り立てる。
そして、何を言うつもりなのかすら彼自身も分からないままに、ただ何か言葉を出そうと意を決し……護は少女の方へと一歩を踏み出した。
……だけど。
「……行かないの?」
気付けば……立ち去ろうとしていた筈の空は、いつの間にか護の方へと振り返っており、立ち止まったままの護を怪訝そうな目で見つめていたのである。
「行くって、何処へ?」
先ほどまでの会話から豹変したような、そんな少女の突然の問いに、護はただただ目を白黒させるばかりで、そう言葉を返すことしか出来やしない。
「……え?
ソレ、食べさせてくれるために、今日私に話しかけたんでしょ?」
だけど、当の空本人はいつものラブホテルの方角に視線を向けながら、事も無げにそう語りかけて来る始末である。
その言葉を聞いて、護は少しだけ躊躇ってしまう。
何故ならば、彼には……
(ボクは自分の睡眠のために……眠るためだけに彼女を利用している。
……それで、良いのでしょうか?)
……という、微妙な気後れがあったのだ。
さっき、変に告白されてしまったのがいけなかったのだろう。
彼女はただ自らの食事のために護を手元に置いておきたいし、護は眠るために彼女に食事をしてもらいたい。
先ほどまでの二人はただそれだけの関係であり……空ははっきりとそう語っていたし、護自身もそれを熟知していた。
だけど、その関係は彼女自身の告白によって崩れ去ってしまった、と護は感じていた訳だが。
「別に細かいことを気にする必要はないわよ」
護が先ほどの告白の所為で気後れをしていることを感じ取ったのだろう。
空は少しだけ微笑むと……護の元へと歩み寄り、彼の頬に手を当てる。
「私は食べたいから護くんを利用してる。
そして貴方は眠りたいから私を利用している。
……そうでしょう?」
「え、ええ」
彼女の言葉は文字通り正鵠を射ていて、護はただそれに頷くことしか出来なかった。
事実、護は彼女を利用する気満々でいたのだ。
……彼女からの好意を耳にしたことで、その関係に疑問を抱くまでは。
「そこに関係が一つ追加するだけよ。
私は子供が欲しいから貴方を利用する。
護くんはセックスしたいから私の身体を利用する。
そういう関係が増えるだけ」
「……だけ、て」
何か少年にとっては凄まじく都合の良いことを平然と語っている空の顔は、表情は変わっていないものの少しだけ赤らんでいて……流石の彼女もそういうことを口にすることは、恥ずかしかったのだろうか。
壮絶な妖の食べ方や、人間の倫理や道徳を超越した言葉を吐く様子から今一つ実感が持てないのだが……この鬼敷空という転校生は、これでもまだ中学校二年生の少女でしかない。
──しかも栄養失調で発育不良気味の。
だからこそ、好意を抱いた少年相手に堂々と正面から性行為の許可を出すのは、流石の彼女でも恥ずかしかったのだろう、と思われる。
もしかすると妖由来の、人間には理解し難い何らかの理由で恥じらいを覚えている可能性もあるのだが……残念ながらその場合、人間である護にはさっぱり理解が及ばないので、考えるだけ無駄である。
「大体、何でいきなり子供が欲しい、なんて……」
「最近は飢えずに済んでいるから……何となく子供が欲しくなってるのよ」
「……それって」
自身の問いに対しての、少女のあっけらかんとしたその答えに、思わず絶句してしまったものの……実のところ、護には彼女の言いたいことは分かっていた。
彼自身が睡眠不足から解消された途端、自分の将来のことを考える余裕と共に食欲が回復したのと同じように、鬼敷空という少女も飢えという切実な問題から開放されたことで、本来あるべき本能……女性に備わっている『繁殖への本能』が表面化してしまったのだと思われる。
そしてそういう食うや食わずの生活を送ってきた彼女は、人間としての社会倫理や貞操感というブレーキがないため……愛や恋、家族計画等という人間特有の段階をすっ飛ばして、動物的本能のままに子供を求めているのだろう。
あらゆる生き物が食べ物の豊富な季節に子育てをしようと繁殖期を調整しているのと同じように……空自身の身体も食べ物が豊富に手に入る護の存在を得たことで、繁殖の準備に入ったのかもしれなかった。
……そして。
(そんな、ことを、言われ、ても……
ボクだって、それは……)
何よりも困ったことに、彼女の事情は、睡眠不足から開放されたばかりの護にとってもまるっきり同じなのである。
こうして近づかれると、酷く栄養の足りてない、スタイル的にも色気の欠片もない筈の空でさえ、少女特有の落ち着かないような香りが漂ってきていて……
護が少しでも気を緩めると、その香りと細身でも暖かく柔らかそうな彼女の身体を、本能的に抱き寄せてしまいそうになるのだ。
しかも……彼女自身が、身体の奥底から突き上げてくるような、少年の欲望を肯定しているのだ。
護自身には「まだ中学生なのに子供が出来るなんて冗談じゃない」という社会倫理というブレーキが働いているからこそ、今現在、彼女に手を伸ばすことなく済んでいるものの。
──いつまでそのブレーキが有効かすら分からない。
場所は夜の公園で人気は殆どなく、すぐ近くには気兼ねなく入っていけるラブホテルが煌々とネオンの光を発しているのだ。
その光は……蛍の雄が光るのと同じように、「これから頑張って繁殖しましょう」と誘っているかのようで……
「だから、ね。
私に……」
そんな護の葛藤を知ってか知らずか、化け物を喰らう少女が護の自制心を食い破るべく、トドメの一言を発しようとした。
……その瞬間のことである。
「貴方たち!
一体何をしているのですか!」
夜の公園に突如、そんな凄まじい金切り声が響き渡ったのだ。




