~ 第三章その4 ~
(……忘れ、てました……)
空と共に廊下を歩いている時に突然現れた小鳥遊生徒会長の姿を見たその瞬間、護は思わず頭痛を堪えるように頭を抱えてしまう。
告白をされ、数日前には校門で突如として唇を奪われた……そんな彼女の存在を護が忘れていたのは、単純にここ数日しっかりと眠れたから、である。
あまりにも人生が上手く……他の一般的な同級生と同じ程度に上手く行っていたからこそ、色々な楽しいことに夢中になってしまい、彼女の事など頭の中からすっぽ抜けてしまっていたのだ。
(……不味い、ですよねぇ)
そうして我に返ったところで、眼前の小鳥遊生徒会長と隣の鬼敷空という転校生とを見比べた護は、半ば本能的に現状が非常によろしくないと悟っていた。
実際、数日前までは自分の安眠以外に何の興味も持てなかった、あまり人間関係に長けていない合歓木護少年でさえ、「この二人が出会うとろくなことにならない」と容易に予想出来てしまうほどに、二人の相性は悪そうだったのだ。
それは生徒会長の声を聞いて近寄ってきた野次馬たちも同じ見解であったらしく……周囲からは「これから流血沙汰になるんじゃないか?」と懸念する声まで囁かれ始めている。
「ええと、誰?」
周囲の注目とは裏腹に、他人なんて全く眼中にないという態度の空は、いつも通りの誰にも憚らない態度のまま、当人の目の前で護に向けて堂々とそう尋ねてきた。
「生徒会長の小鳥遊祐子さん、です」
護は内心でこの状況は酷くマズいと感じつつも、小鳥遊生徒会長の機嫌をこれ以上損ねないことを祈りながら、隣の転校生へと眼前の女性を紹介する。
いや、数日前にあった校門の出来事で、空は彼女のことを知っていた筈であり……つまりさっきの問い自体、挑発の意図を込めた行動だったのだろう。
校内では誰一人知らない人などいない……そう言われているほどの美貌と学力・身体能力を兼ね備えている生徒会長だけに、空の挑発は効果的だった。
生徒会長は柳眉を逆立てながら……それでも余裕の笑みを浮かべたままだった。
……こめかみに走る血管が、今の彼女の余裕は必死に取り繕ったものだと教えてくれていたが。
「貴女ね、援助交際の噂で前の学校から逃げてきた転校生というのは」
その上で、何処から調べ出したのか……恐らく情報源は教師だろうけれど……生徒会長は護に向けて、というよりも、周囲の野次馬に向けて大声でそう言い放つ。
彼女が告げたその言葉は実に効果的であり……周囲の野次馬たちの口からはざわざわと、止めきれないどよめきが零れ落ちていた。
正直、校内でそういう噂が話題に上ることはあっても、実際にそれを行っている生徒が確認されたのは初めてだったのだ。
そんな周囲の反応に満足したのか、発育の良い小鳥遊生徒会長は一際その大きな胸を張り、まさに正義という様相で、栄養失調気味の少女をはっきりと見下ろしていた。
それは……周囲を味方につけ、真実を語ることで反論を許さない形で相手を貶めつつ、更には護自身の好感度を落とし……同時に、堂々とした態度を取って正面から自らの美貌とスタイルを相手に見せ付けることで、比較対照とされた相手の戦意を失わせる。
そんな……まさに交渉力と美貌、そして人望やスタイル、それら全てを利用した、小鳥遊生徒会長が放つ最強最悪の連続攻撃だったのだ。
(……援助交際、ですか)
だけど……空という転校生の実情を知っている護には、そんな悪意のある噂なんて、欠片も響かない。
そもそもその噂は先ほど教師の口から語られたばかりであり……たとえ知らなかったとしても、ただ「やっぱり、噂になりますよねぇ」と、今後の噂対策をどうするか悩む程度、である。
何しろ「そういう手口で淫欲に駆られた人間を誘い出せば、妖に取り憑かれ判断力が低下している宿主はほいほい食らい付いた」と当の本人が口にしているのだから、噂の真偽を確かめる必要すらない。
そして、誰にも邪魔されずにホテルを利用する言い訳としては、その名分は非常に有効であり……空自身はあの通り、色恋や色欲や金銭、他人の評価などよりも、ただひたすらに食欲を何よりも優先する類の人間である。
(そう言えばボク自身も、眠り以外には何も要らない人間でした)
実際、彼自身が空と同じように「常人とは異なる本能に根差した辛苦」を抱えていたからこそ、彼女の思考回路が容易に読み取れる。
だからこそ、空が転校してきたのも、生徒会長の言うように援助交際の噂に耐え切れなくなったなんて理由ではなくて……ただ単に「餌が近くで獲れなくなったから」だろうということも、すんなり理解出来てしまうのだ。
「……っ?」
完璧と名高い生徒会長にしてみれば、真実を知った護が隣の少女に侮蔑や疑いの視線を向けないのが意外だったのか、一瞬だけその動揺が顔に出た。
そして、野生の勘から相手の怯みを見極めたのだろう。
空は何故か護の腕にしな垂れかかるように身体を預け、勝ち誇ったかのような表情で生徒会長に微笑み……
「……ふふ。
それがただの噂ってこと、護くんはよく知っていますよ?」
そう、堂々と言い放ったのだ。
それは実情を知っている護にとっては、「鬼敷空という少女が男性とホテルに入ったのはただの食事のためでした」という意味であった。
だからこそ、彼女の言葉を聞いて、素直に頷いたのだ。
……だけど。
事情を知らない生徒会長にとっては、そして周囲の野次馬にとっても……それは全く別の意味を持っていた。
即ち、『援助交際を行ってない断固たる証拠』を、護が知り得たということである。
そして性行為が未経験な女性にだけ存在する皮膜があり……あるとされ、初めての性行為時には出血する場合もあるという。
……つまり小鳥遊生徒会長や野次馬の連中は、その皮膜もしくは出血のどちらかを護少年がその目で確認した、と判断したのである。
「「「ええええええええええええええ!」」」
「嘘よっ!
嘘っ!
嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘っ!」
野次馬の怒号と、理解を拒む生徒会長の絶叫と、果たしてどちらが早かったのかは分からない。
分からないものの、ただその二つ轟音は混じり合って反響し、護と空が並ぶ廊下の空気を震わせ……廊下や教室の窓ガラスまでもを震わせていのである。
「嘘、よね、合歓木くん?
嘘だと、言って、よ、ねぇ」
完璧と言われていた筈の生徒会長は、その余りの衝撃に顔を歪め、涙と鼻水、涎まで垂れ流しながらそう呟くと。
護の方へと一歩近づいてきた。




