~ 第三章その3 ~
教師たちが何も言わずに去った後の開かれたままのドアを眺めながら、護少年は大きな溜息を一つだけ吐き出すと……
先ほどまでの教師とのやり取りの最中に浮かんだ、どうしても問い正したかった一つの疑問があった彼は、隣に座ったままの少女の方へと向き直り、口を開く。
「あ、あの、空さん?」
「……何?
身元保証人の話なら本当よ?」
「いえ、そうではなく」
からかうような口ぶりの空は、護が首を横に振ったのを見て予想が外れたような、少しだけ詰まらなさそうな表情を見せた。
確かにソレは……この化け物を喰らう鬼敷空という少女の身元保証人の情報は、護としても少しばかり気になる情報ではある。
だけど、少年が今聞きたかったのは、もっと切実な……これほどまでに他者との協調性がない彼女が、先ほどまで大人しかった理由そのものについて、だった。
「それを捕まえるために、説教を聞いていたんですね?」
……そう。
護少年にとっては、未だに彼女の右手の中で今も踊り続けている『不気味な白い蟲』の方が、変な醜聞やら噂話の域を超えない情報などよりも、遥かに切実で重要な情報だったのだ。
彼女が呼ぶそれらの虫の名は「カンノムシ」。
やはりこれも、彼女があちこちの伝承などを参考に、適当に名付けただけなのだろうけれど。
「そうよ。
……いや、もうホント護くん様様だわ」
探偵に動機を突き留められた犯人側の立場である筈の少女は、悪びれることもなくそう告げると……手に捕まえたままのサナダムシのような蟲を美味しそうに眺めている。
「え?
……ボクに、それ、何か関係があるんですか?」
「そりゃそうよ。
ここ数日で分かったんだけど……護くんを不快にさせることが、コイツらの喜びみたいだから」
空はそんな意味不明の言葉を吐いたかと思うと、その口でその……サナダムシみたいな白い蠢く不気味な生き物を、躊躇うことなく一匹、生きたまま口へと放り込んだ。
(……う、ぐ)
すぐ隣から聞こえてきた、グチャグチャという生きたまま咀嚼する音が、生き物を生きたまま歯で磨り潰す音があまりにも生々しく……護としては未だに慣れないその不快感に、思わず顔を歪めてしまう。
……だけど。
それを見た空は、少年の顔が歪むことが楽しくして仕方ない……そんな笑みを浮かべていたのだ。
いや、そればかりではない。
少女の手に捕まったままの、残り2匹の白い蟲までもが、何故か突然に身体をジタバタとさせていたのである。
「やっぱり、護くんは特殊な体質みたいね。
ほら、こんなにも喜んでいる」
「……ソレ、喜んでいる、のですか?」
「そうよ。
ほら、こんなに元気で……本当に、美味しそう」
この白い、目すらないミミズにも似た生き物がどうやって少年の不快を感じているのかなんて、護にはさっぱり分からなかった。
正直な話、「目の前で仲間を食い殺されたのを見て全力で怯えている」と言われた方が納得できるものの……言われてみれば、確かにソイツらは喜びに震え、楽しそうに踊っているようにも思える。
……だけど。
目の前でその二匹の蟲を口に入れて頬張る少女から目を逸らしながら、護は内心で叫んでいた。
(頼むから、せめて見えない場所で喰ってください!)
……と。
「でも、まぁ……これでひとまずは解決した、のでしょうか?」
生徒指導室の扉を閉めながら、護はそう呟いた。
実際、これからは誰かにラブホを利用しているところを見咎められたとしても、空の身内のところでアルバイトをしていると言えば……何とか誤魔化せるに違いない。
……多分。
「それより……まだ、憑かないの?」
結局、先ほどのカンノムシがサナダムシに似ていたのか、それともミミズによく似ていたのか、じっくりと見た訳ではない護には判断出来なかったものの……少女の胃袋としては、あの程度の大きさの生き物3匹だけでは物足りなかったのだろう。
……いや、逆に少しだけ食べたから食欲が余計に湧いてきたのかもしれない。
空は次への期待に満ちた表情で、護の顔を眺めながらそう尋ねてきた。
「え?
……ああ、はい」
しかしながら、そう期待されたところで、護には曖昧な笑みを浮かべて生返事を返すことしか出来なかった。
何しろ、化け物に取り憑かれたかどうかなんて、護自身にもさっぱり分からず……実際に症状が出た段階で「取り憑かれている」と気付く始末なのだ。
逆に、捕食者である空は、取り憑かれているかどうかを外から見るだけで分かるとのことである……尤も、取り憑かれるまではさっぱり気配も読めないらしいが。
「火が出て煙が立てばその建物で火事が起こっているのは分かるけど、火とか煙が出ないと外側からじゃ火事になりそうかどうかなんて分からないでしょう?
……そんな感じ」
というのが、護が化け物の存在を前もって分からないかと尋ねたときの空の返事だった。
酷く適当で呆れたものだが、こうして食事をねだるように護の顔を眺めているのを見ると、どうやら本当に分からないらしい。
「そう言えば、身元保証人って親戚ですか?」
そうして動機を聞き終えたところで、先ほど「身元保証人」の話題を逸らした時に彼女が残念そうな表情を浮かべていたことをふと思い出した護は、半ば義務感に駆られる形でそう訊ねてみる。
「違うわ。
前にソイツに憑いていた不運をもたらす『ケバタケ』ってのを食べただけ」
「……なる、ほど?」
鬼敷空という名の少女が口にした答えは彼の予想を裏切るもので……幾ら恩があっても「赤の他人がそこまで援助してくるものかな?」なんて疑問を抱いてしまった護は、知らず知らずの内に首を傾げていた。
「そうしたら妙に感謝されて、身元保証人になってくれた上、あの系列のホテル使いたい放題にしてくれたのよ。
面倒見てくれるのはありがたいんだけど……たまに色々とうるさいのよ。
だから、さっさと義務教育は終わらせておきたいのよね」
そんな彼の疑問に気付いたのだろう。
空は当の身元保証人について、全く興味がなさそうな……丸っきり他人事という口調でそう語る。
「それは……えらく豪快な人ですね」
あまり恩を感じた様子のない空の様子に、護は「もしかしたら身元保証人って裕福な人なのかな?」なんて場違いな感想を抱く。
反社会的勢力っぽい名前なのだから、金持ちに違いはないかもしれないけれど……と護が考えた時のことだった。
「まぁ、数百億円の事業損失と幹部三名が投獄され、組が二つに分かれて抗争中。
妻は通り魔にレイプされた挙句、手足をもがれた猟奇的な死体で見つかり、一人娘はその所為で発狂。
本人は突然見つかった末期癌で入院中だったし」
空はまるで美味しかった御馳走を思い出すような表情と口調で、何やらとてつもなく不幸な人のプロフィールを語り出す。
「何ですか、その神様に嫌われたかのような不幸の連続は」
「ケバタケってのはそういう妖なのよ。
不運をもたらして何もかもをなくさせてしまう、最悪の妖の一種ね」
護はその取り憑かれた犠牲者を他人事とはとても思えず、深く同情していたものの……当の空少女は食べた妖の味にしか興味がないのか、当の犠牲者について特に思うことはなさそうな様子だった。
それでも援助を受け取っていたり、小言が鬱陶しいと思う程度には聞いていたりと……完全な赤の他人とまでは思っていないのだろうけれど。
「……色々、いるんですね」
「ん、どれもみな美味しくて飽きないわね。
……あげないわよ?」
「……要りませんよ」
肩の重荷が下りたから、だろう。
そんな適当な会話をしつつ、護と空の二人は教室へと向かい始めた。
先ほど呼び出された二人組が肩を並べて歩いている所為か、周囲から飛んでくる好奇の視線がかなり痛い。
しかも護は一週間前に全校集会で生徒会長の熱愛を受けたばかり、空は転校生であり未だに一人だけ黒いセーラー服を着ている変わり者で……それらが彼らに向かう好奇の視線を倍増させていたと言っても過言ではない。
人の噂も七十五日とは言うものの、せめて出来るだけ早く沈静化して欲しい……周囲からの視線を感じ取って肩身の狭い護としては、そう祈らざるを得ない。
尤も、隣を歩く化け物を喰らう少女にとっては、そんな外野の視線などそよ風程度にも感じていない様子だったが。
と、そんな時だった。
「合歓木くん!
それに転校生!」
突然のそんな叫びと共に、小鳥遊祐子生徒会長が二人の前に立ちふさがったのである。




