~ 第三章その1 ~
護のラブホテル初体験から一週間が経過した。
その一週間に鬼敷空少女が妖と呼ぶ化け物を見つけ捕食した回数は実に3回。
全てが全て悪夢を見せるマクラガエシではなく……どうやら護の特異体質は種類を問わず次から次へと化け物共を引っかけてしまう、らしい。
5万人に一人という確率を、一週間で三度引き当てる少年は地球上に一人しかいないと断言できるほどの、凄まじく特異な体質の持ち主だと言える。
……ただ残念なことに、その天文学的確率で稀有であろう才能は、少年の実生活において全く役に立たない、文字通り無用の長物以外の何物でもなかったが。
(昨夜の眠りも、平穏そのもの。
悪夢はこの一週間でたったの一度きり。
後は、唐突な憤怒が湧き上がったことと、飢え死ぬかと思うような食欲に駆られただけで済みました!)
要するに、それが護少年が味わった、この一週間における妖による被害の数々である。
それらの被害も鬼敷空という少女のお陰でほんの数時間で解消しており……護少年は彼の自称する通り、概ね平穏な日々を送っていた。
結果として、快眠・快食のこの一週間を謳歌した護は徐々に普通の中学生へと戻ってきている。
半ば彼のトレードマークと化していた目の下のクマは完全に消え去り、体力そのは同年代男子の平均にはまだ届かないものの、歩くだけで息切れするほどではなく。
(これこそが……普通の、中学生の、生活っ)
ほぼ全ての人類が享受しているだろう、安らかに眠れる日々を送れるというだけで、少年にとっての世界は劇的なまでに違うものへと変貌を遂げていた。
例えば、高確率で中学生が厭っているだろう、日々付きまとう学校の授業においても、その違いは明瞭であった。
何しろ、地獄のような睡魔との闘いや、不眠症から来る頭痛と倦怠感、不快感に苛まれ続けるばかりの日々を過ごしてきた護にとって、睡魔に抗わなくても良い授業というのは、他の生徒たちが何故嫌がるのか分からないほどに『素晴らしい時間』だったのだ。
教師の教えは新鮮だったし……無駄で眠気を誘うばかりだと思っていた歴史の授業もしっかりと理解する気で聞いてみれば意外と面白い。
いや、むしろ……今まで酷い環境にあった彼だったからこそ、普通の学生が退屈しか覚えない授業中であっても「面白さを見つけることが出来た」というのが正解だろう。
当然のことながら、そのような変化は別に授業中だけに留まらず……そんな訳でここ7日ほどの間、護少年の生活は以前とは一転して素晴らしいものへと変貌していた。
そしてそれは、少年の隣に座っている転校生……鬼敷空という少女にとっても同じだったに違いない。
(空さんも、随分と変わりました……ねぇ)
彼女もまた、転校からわずか10日間で急激な変貌を遂げた一人だった。
痩せぎすを通り越し、まるで紛争地域のニュースで見かける餓死寸前の難民のように細かった身体は、この10日間でそれなりに見えるレベルまで回復し……最近では僅かながらに贅肉もついてきている。
そのお陰か、今にも死にそうな気配を放っていた転校初日とは異なり、ここ数日間は授業にも消極的ながらも参加している。
頭脳の方はイマイチのようだが、体育の授業などではまさに化け物とも言えるほど凄まじい運動神経を披露しており、級友とも僅かながら会話をするようになっていた。
こうして合歓木護と鬼敷空の関係は、お互いがお互いを高めあう、まさに素晴らしい関係が出来上がっていたのである。
……でも、そんな素晴らしいだけの日々が長続きする筈もなく。
「合歓木護、鬼敷空、両名は生徒指導室へと来て下さい」
午前中は何の問題も起こらなかった平和な昼休み中の教室は、突如そんな校内放送によって無惨にも切り裂かれたのである。
生徒指導室にいた教師はたったの3名だけでしかなかったが、それでも彼らの形相が、これからの話が酷く面倒になりそうだと護に感じさせていた。
そして残念なことに……こういう時の護の勘は厭らしいほどに的中するのが常だった。
「これは、貴方たち二人で間違いありませんね?」
教師が差し出して来た写真……わざわざプリントアウトされたらしきコピー用紙には、ホテル街を並んで歩く護と空の姿が映っていた。
そればかりか、ラブホテルらしき建物に入っていく画像までご丁寧に添えられている始末である。
少々望遠であるため護は申し開きが出来ないこともない解像度ではあるが、隣に映っている黒いセーラー服の少女はちょっとばかり言い逃れのしようがない。
(……不味い、どうしましょう?)
勿論、教師たちが懸念している行為に及んだ訳ではないのだが、それでも護が空と二人でラブホテルの一室を幾度となく借りていたのは事実である。
下手な言い訳も思いつかないまま、護はだらだらと冷や汗を流しながら黙秘権を必死に行使するのが精一杯だった。
(空さんは、どんな……)
少しだけ気になって、護はチラッと隣に視線を向ける。
確実な証拠を突きつけられている筈の黒いセーラー服を身にまとう少女は、それでも全く表情を変えず、平然と椅子に座っている。
──まるでやましいことなど何一つ存在しないとばかりに堂々と胸を張って。
「……凄い」
その態度を目の当たりにした護は、思わずそんな呟きを零していた。
彼らの事情がどうあれ、ラブホテルへと二人で入ったのは紛れもない事実なのだ。
それを指摘されても平然と胸を張っている姿は、少年も見習うべき姿にも思え……先ほどまでの絶望的な不安で重苦しかった胸中が、ふんわりと軽くなっていく心地さえ感じられた。
「どうだ、間違いないだろう?」
そんな護の胸中すら知る由もなく、護たちの担任である数学の榊原先生が確認するようにそう尋ねてくる。
少しだけ苛立った様子があるのは、口を噤み続けている二人の態度が気に入らないのだろう。
もしかすると、「中学生の分際で、よろしくやりやがって、こん畜生っ!」なんて僻みが混ざっている可能性は否定できないが。
そんな数学教師の圧力に気圧された訳でもないだろうけれど……いい加減茶番に飽きたのか空がようやく口を開く。
「……ええ、間違いありません」
彼女の口から放たれたのは、そんな……何の言い訳も出来ない、直球極まりない降伏宣言に等しい一言だったのだ。




