~ 第二章その17 ~
「私も、護くんを見ていると……食べたくてたまらなくなるわ」
「~~~っ!」
鬼敷空という少女が告げた、その一言を耳にした直後……
……いや、照れくさそうな笑みへと偽装する前に見た、食欲に満ちた視線を向けられた事実に、本能的な恐怖から護の皮膚は一気に粟立ってしまう。
生命体の根底に染み付いた『捕食者に食われる恐怖』という……どんな生物でも平等に持ち得る、DNAに刻まれたその感覚に、少年は自然と、彼女から一歩ほどの距離を取っていた。
「ふふ、冗談、よ」
「……そ、そうです、か」
空という名の少女は、怯える護に少しだけ微笑みながらそう呟き、護もその言葉に納得した様子を見せる。
でも、先ほどの空の視線に込められていた食欲は……冗談でも何でも無かったのを、護は知っていた。
──知っていたからこそ、以前より少しだけ距離を取ってしまう。
──知っていたからこそ、表情にその強張りが出てしまう。
そんな護の恐怖が冗談と口にする程度で拭えないほど根強いのを見てとった空は、本性を剥き出しにした笑みを浮かべ、舌なめずりをしながら少年を安心させるために口を開く。
「大丈夫よ。
護くんがアイツらを呼び寄せる限り、私は貴方を食べはしないわ。
まだ卵を産む雌鳥を潰して食べるのは、勿体無いでしょう?」
「……それは、卵を産まなくなったら食べられるってことでは?」
少しばかりちぐはぐな、安心させようとしている意図は見えるけれど、とても安心できそうにない……そんな少女の言葉に、護は思わずジト目と共に突っ込みを返す。
事実、彼にしてみれば、今まで安眠をくれる素晴らしい救い主だった相手が、実は飼い主に別の目的があったとと知らされたのに等しく。
いや、適当な言葉を並べ立ててボカすのを辞めて直球で言うと……要するに大事に育てられた牧場の肉牛の気分である。
【今までお腹一杯食べさせてくれたのに、何でボクはこんな場所に連れて来られたの?
何でそんな先の尖ったものをボクに向けて振り上げてるの?】
って感じの……あ、肉牛を屠るときは鎚で眉間を叩き潰すらしい。
あくまで気絶させるだけらしく、その後、頚動脈を叩き切って血抜きするのだが……食べられる側の恐怖としては、凶器が何であれそう大きな問題ではないだろう。
(……ああ、そうか)
つまり鬼敷空という少女にとっては、護の存在は真面目に肉牛や鶏と同じ立場なのだ。
今はまだ、彼女にとって美味しい牛乳や卵を作るだろうから、食べないだけで。
「ああ、大丈夫大丈夫。
幾ら私でも戸籍ある人型の生き物食べたら刑務所送られるし。
そしたら、普通に餓死しちゃうってば」
流石に冗談交じりの言葉では少年の恐怖を拭いされないと気付いたのか、少女は若干苦笑気味にそう自らの立場を語る。
出来ることならば「食欲を覚えている」という方を否定して欲しかった護だったが……彼女のそんな言葉を聞くことで、一応、少しだけは安堵することが出来た。
(まぁ、考えてみればそう変な話でもない、けれど)
街中ですれ違う人たちが自分に対して殺意を抱いていないとは言い切れないものの、それでもある程度の警戒だけで人混みの中を歩けるのは「人を殺したら捕まる」という大前提と……そして、それを担保してくれる法律と警察組織があるから、だろう。
そういう意味では、逮捕=餓死となるだろう彼女に対する法律の抑止力は、十二分に信用できることが出来ると言える。
(とは言え、今まで通りの態度を取れるかは別問題、ですが)
実際問題として、自分を『そんな目』で見ている相手に対し、今までと同じでいられるかどうかなんて、護少年には分からなかった。
何となく、恋愛モノでよくある「そんな目で見ていたなんて!」とかって展開に似ているような気もするが……護にとっては、そういう展開よりも遥かに大きな衝撃だったと言える。
何しろ、男女間で普遍的に存在する性欲のあるなし程度ではなく、人間では常日頃から抱いている、だけど同族へはあまり向けようとは思わない『食欲』を向けられていると気付いたのだから、護少年が受けた衝撃が大きいのは仕方のないことだろう。
「ま、そういう訳で、じゃんじゃん呼び寄せて頂戴。
よほど飢えなきゃ私も護くんを食べたりしないって」
「……は、はぁ、分かり、ました」
正直な話、彼自身はあの手の化け物に来てほしくはない訳で……此処で頷くのは自分でもどうかと思った護だったが、彼自身も全く眠れない地獄の時間を思い知っている身である。
飢えと不眠は同列で語っても良いものかは分からないものの、どちらも満たされなければ酷い苦痛を味わうことに違いはない。
それが分かってしまう護は、目の前の少女のことを完全に拒絶することは出来そうになかった。
……たとえ相手が、こちらに食欲を向けて来ていたとしても、だ。
「では、これからもまた何かありましたら」
勿論、そうでなくても彼女を拒絶してしまえば自分も不眠に陥ってしまう以上、拒絶するという選択肢なんて、そもそも持ち合わせておらず。
護は取りあえず「次」の約束を取り付けることで、少女との関係を確保するべくそんな別れの挨拶を口にする。
「ええ。
その時は喜んで食べさせて貰うわ……ここで」
当然のことながら、化け物を食らう少女にとっても「次」は大歓迎であり、少女は微笑んで護の言葉に頷きを見せる。
「……他の選択肢は、ない、んですよね」
「人目がない、シャワー室のある自由にできる部屋があるならそれで良いけど?」
「じゃ、両親のいるボクの家は無理、ですね。
空さんの家は?」
「イヤよ、掃除するの面倒じゃない」
少女の提案に若干頷き難い箇所があったものの……他の選択肢がなかった護としては頷かざるを得ない。
せめてもの提案として「別の場所」を聞いてみたものの……痩身の少女が告げた至極真っ当な理由によってあっさりと一蹴されてしまう。
「……そうですか」
結局のところ、護はそう妥協し……今後、またこの場所に通う自分を想像し、項垂れることになってしまう。
とは言え、護としては彼女に食事を与えることに関しての異論は全くない。
ただ、この場所への忌避感と、入る時に必要になるだろう躊躇や決断、その他諸々のことに配慮しただけである。
「では、今後ともよろしく、空さん」
「ええ、よろしくね、護くん」
当然のことながら、餓死寸前に追い込まれたこともある……一万人に一人くらいしか取り憑かない生き物しか食べられない空という少女にとっても、護との協力関係を築くことに異論などあろう筈もなく。
そうして二人は契約完了の証として手を握り……
あまり中学生がいるべきではないラブホテルという施設から出たのだった。




