~ 第二章その12 ~
「そうじゃなくて、その……」
「ああ、後で料金の請求なんてないから、気にしなくても良いって。
実際、何度か使ったことあるし」
ホテルへと連れ込まれ、動揺のあまり会話すら真っ当に出来なくなった護少年に対し、彼をこの隠微なホテルへと連れ込んだ鬼敷空という名の少女は、事も無げにそう言葉を返す。
尤も、彼女の回答は微妙に的外れな代物だった訳だが。
「……な、何度か?」
「パウチカムイって淫魔に取り憑かれた相手から引き剥がすには、便利なのよ、此処。
お嬢様校の、このセーラー服で援交って言えば向こう側から『餌』に食いついてくるし」
的外れな少女の回答の所為で、更に動揺が強まった護だったが……当の本人はやはりこの状況を何ら特別なものとすら思っていないらしく、動揺の欠片もない平然とした口調でそう言葉を返す。
──恐らく、その場合、餌というのは……間違いなく空自身のことだろう。
何となく、目の前の少女が『そういう行為』をしている光景が護の脳裏を過り……ほぼ確実に護自身の妄想でしかないのだろうけれど……その所為で少年の心臓は限界値を超えて暴れ回り始めていた。
非常識なまでに脈打つ鼓動の音が耳に入った護は、自分の顔が赤く染まっているのを自覚し、それを眼前の少女に悟られないよう顔を伏せる。
「そもそも妖ってのは用心深くてね。
餌に食いつく瞬間以外、なかなか捕まらないのよ。
だから前のマクラガエシのときも護くんが寝ている時に捕まえたでしょ」
「え、ええ」
彼女の言う「前のとき」……保健室で唇を合わせたあの感触を思い出し、護少年は俯いたまま、少女に聞こえるかどうか分からない程度の小声でそう同意の言葉を口にする。
「パウチカムイも一緒。
私を押し倒そうと欲にまみれたその瞬間こそが、隙だらけで美味しくいただけるって訳」
「……なるほど」
眠気覚ましに読んだ何かの漫画にこんな記述があった。
……『獲物を狩るその瞬間こそ、生き物が最も無防備になる瞬間である』と。
まさに彼女は文字通り『ソレ』を実践しているのだろう。
だからこそ、護が夢に落ちた瞬間にあのマクラガエシとかいう化け物を引きずり出したように、パウチカムイとやらの餌食になった人間が性欲を剥き出しにしたその瞬間を狙い、彼女はああして化け物を食べるのに違いない。
その後、彼女がその淫魔の被害者とどうなったのかは分からないけれど。
少なくとも……鬼敷空という少女にとってそんな男性(もしくは女性)なんて、ただの「餌箱」としか見ていない気がしてならない。
普通の人間なんて恋愛や性欲の対象にすら値しないというか……そもそも同族としてすら認識していない、と言うか。
(……あれ?)
そう考えると何故か、さっきから少年の胸の奥で疼いていた奇妙な感覚がすぅっと引いていき、その不思議な感覚に護は内心で首をかしげていた。
尤も、食事を眼前に控えた少女にとって、護少年のそんな内心の葛藤なんざ気にするほどのことでもないらしい。
「だから、さっさと寝てね」
「けど、それは……」
少女は御馳走を前に待ち切れない様子で、妙に光沢のあるシーツに包まれたベッドを触っている。
だけど護は、やはりこの現実離れした状況と、そしてこれから眠らなければならないという彼女の指示に少しだけ躊躇してしまう。
淫靡さは兎も角として……たとえ狩るために必要だとしても、眠りに落ちるということは、一度はあの悪夢を味わわなければならないということなのだ。
昨日見せつけられたあの激痛と恐怖に満ちた、吐き気を催す悪夢は、たとえ今後悪夢を見ないためだとしても、眠るのを躊躇うのに必要にして十分な代物だったのだ。
分かりやすい例を挙げると、虫歯の激痛を治療するために、歯医者に行くのを躊躇う……そんな心境に近かったのかもしれない。
「悪夢を見てくれないと、マクラガエシを捕まえられないんだけど?」
「……分かりました」
だけど……悪夢に脅えるからこそ、護はその殺し文句に逆らえない。
護はもう一度悪夢を見る覚悟を決めると、空の勧めるままに妙にふわふわしたベッドに腰をかけ、そのまま身体を横たえようとした、その瞬間だった。
「さて、あんまり時間もないから始めようか?」
少年をこの部屋へと導いてきたその少女は、これ以上語ることもないと判断したのかそう呟くと、その身にまとっていた黒のセーラー服を何の躊躇いもなく脱いでしまう。
そればかりか、一人きりの室内で服を着替えるかのような気安さのまま、彼女はそのスカートまでも腰から落とす。
制服の下から現れたのは、殆ど色気のない白のパンツと、シンプルで安っぽい白いシャツだけ。ブラジャーらしきものを身に着けている気配はない。
……いや、それどころか。
そのシャツすらも、彼女は躊躇いもせずに脱ぎ捨ててしまう。
少年の瞳に映ったのは、殆どと言うか贅肉の欠片も存在しない、だけど前回見せられたときよりは少しばかりマシになったような、少女の半裸で。
あばら骨の形がはっきりと分かるところや、脚にも贅肉が全くなくて閉じているハズの内腿に大きな隙間が開いているところなど……空の身体は彼女が如何に食べ物に困っているのかを少年に教えてくれる。
性的興奮を覚えるには少しばかり貧相な身体ではあったものの、護は突然脱ぎだした少女の行動に唖然とするばかりで目を逸らすタイミングを逃してしまう。
「く、空さん!
何で服を脱ぐんですか!」
「だって、汚れる じゃない」
そして我に返った瞬間、生まれて始めて直視した同年代の少女の肌の存在に慌ててそう叫んだものの……肝心の少女はラブホテル内で下着一枚という自分の姿に何の疑問も抱いていないらしく、当然のような声でそう返事を返す。
その返事を聞いて、護は今さらながらに悟っていた。
……彼女にとって自分は餌箱……もしくは、魚を釣るためのミミズ程度でしかなく。
だからこそ、羞恥なんて欠片も感じず……躊躇いも無く半裸を晒せるのだと。
「じゃ、いくよ?」
「お、お願い、します」
そんな少年の内心の葛藤など意に介した様子もなく、少女はまるでゲームでも始めるかのような気安さでそう呟く。
その悠然とした態度を見て、護は心配するようなこともない……これからの行為は彼女にとってはただの食事に過ぎないのだと逆に安心してしまい。
少年はついに身体の力を抜き、そのままベッドに身を横たえる。
「あ、そうそう。どうせホテルにいるんだから、そういうこと、してみる?
射精すれば眠くなるって聞くし、命を助けてくれたお礼に……」
とんでもないことを言い出した空の声に、護は目を見開き上体を起こすものの……少女の瞳に悪戯っぽい笑みが浮かんでいるのを見て、すぐに冗談だと気付かされる。
変に慌ててしまった自分が恥ずかしくなった護は、そのまま腰付近のシーツの具合を確かめ始め……早い話が、無理があるとは知りつつも聞こえない振りを貫くことにしたのだった。
「……あ、何か注文あるんだったら、出来る範囲ならシテあげるけど?」
「~~~っ?
構いませんから!」
だけど、あまりにもしつこい少女の言葉に、少年はついつい叫びをあげてしまう。
その叫びを聞いて満足したのか、少女は楽しそうな笑みを浮かべ……その笑みを見てまたしてもからかわれたことに気付いた少年は、怒りに任せて目を閉じ、身体をそのままベッドへと横たえる。
ただそうして目蓋を閉じていても、少女の視線が向けられているのを感じてしまう。
それは別に愛情でも欲情でもない、ただの食欲への期待に満ちた視線ではあるけれど、少年としては気になってしかたない。
(……大体こんな状況で、そんなにすぐ、眠れる訳もないですし)
思わず護は内心でそう呟いたものの……昨日走り回った後に必死に眠気に耐え続けながら夜を明かし、今日も級友たちに追いかけ回されるという体験は、彼が思っているよりも遥かに大きな負担を、少年の精神と肉体とにかけていたらしい。
目を閉じてほんの数秒も経たない内に、少年の意識はあっさりと闇の中に沈んでいく。
「いただきま~す」
……少女のそんな楽し気な声が彼の耳に届いたのは、彼が意識を失うその寸前のことだった。




