~ 第二章その6 ~
「ホント、よく食べるようになったわねぇ」
「はい、最近、変な夢も見なくなりましたので」
テーブルに座っている護の前に並んでいるのは、パンにサラダにご飯に味噌汁、ベーコンエッグにパンケーキと凄まじい量だった。
にも関わらず、護は久しぶりに感じる真っ当な味覚と胃が満たされていく感覚に、我を忘れて目の前の食事を片付け続けていた。
……護少年が悪夢を見なくなってから早くも数日が経過している。
寝不足による頭痛も、睡眠による頭痛ももう感じることはなく、身体中にのしかかるような倦怠感ももう既にない。
朝昼晩と胃は活発に空腹を訴えかけ、身体は体力と活力に満ち溢れ、小学生の頃に持っていた万能感まで感じられるほど、ここ最近の護は心身共に絶好調だった。
そんな護を彼の母は少しだけ驚いたような、だけど食欲が出たのは歓迎するような複雑な笑みを浮かべながら見守っている。
「……美味しい?」
「はい、すっごく」
そんな母親の視線をあんまり気にすることもなく、ただひたすら護は目の前の料理に夢中になっていた。
その様子はまるで今まで食べられなかった分を取り戻そうとするかのようで……成長期の男子としては当然のもの、だったのだろう。
そうして少年が率先して口をつけていた、蜂蜜とバターの香るパンケーキをぺろりと食べ終えた頃、チーンという軽快な電子音がキッチンに鳴り響く。
「あら、もう一品できたみたいね」
母親はその音を聞くと椅子から立ち上がり、キッチンの方へと歩いていく。
護はそんな母の背中を一瞥すると……次に出て来る料理の期待よりも眼前の料理への食欲が勝った所為か、すぐさま手元の料理へと視線を戻していた。
「はい、これも食べましょうね」
「はい。
まだまだ食べられます!」
そうして一分後……護の前に出されたものは焼かれた骨付きの肉だった。
眼前の料理の正式名称なんて今まで食事に興味のなかった護には分からないし、実のところその肉は大き過ぎて朝から食べるには少しだけ重い気もする。
だけど、眼前の料理が和洋どころかまとまりすらないのは今さらの話だったし、空腹に突き動かされていた護にはそのことに対する疑問すら湧かず……また、新たな料理から立ち上る焼けた肉と香辛料の混じり合った香りは、まだ育ち盛りの護の胃袋をがっちりと掴んで放さない。
「これなら、空さんも満足よね?」
「ええ、そうですね。
……って、あれ?」
テーブルの上にあったナイフとフォークで切り分け、思ったよりも脂の乗ってない少しだけパサついた感のあるその肉を口へと含みながら、護はふと考える。
(母さんに空さんのこと、話したっけ?)
尤も、そんな疑問など、香辛料と焼けた肉の香りという、あまりにも暴力的過ぎる誘惑の前では些細な疑問に過ぎず……食欲に突き動かされた少年は眼前の肉へと無心で喰らいついていた。
ただ不思議なことに、護には口中にある『その肉』が一体何の肉だったのか、どうしても思い当たらない。
牛でもなければ豚でも鶏でもない……香辛料で肉の臭みと味が飛んでいるから断言し難いけれど、今まで彼の十数年の人生でも味わったことのない肉の味、のような気がする。
「……美味しい?」
「え、ええ」
そんな肉の味と、満面の笑みを浮かべた母の問いに何となく違和感を覚えつつも……護は正直に頷いていた。
「ですが、これ、何の肉、ですか?
食べたこと、ないような」
「ふふふ」
一度疑問を抱いた以上は気になって仕方なく、更には「どうせ身内である」という気安さもあり……護は深く考えることもなく、その問いを口にしていた。
だけど……母はただ微笑むばかりで何も答えない。
何か妙だな……と、思いつつも、思春期真っ最中の身体は焼けた肉の誘惑には抗うことなど出来る筈もなく、護はもう一切れその肉を口に含み噛みしめる。
……その時のこと、だった。
「本当に、空さんも満足してるでしょうねぇ」
「え?」
笑みを浮かべたままの母が、もう一度……そんな訳の分からないことを告げたのだ。
その違和感を前に、少年は次に食べるべく切り分けていた肉へと目を通す。
さっきまでは、マクラガエシという妖を鬼敷空という少女が狩ってくれたから、眠れるようになった護がようやくしっかりと食事を摂れるようになったから、母がそんなことを言っているのだと思っていたけれど。
──どうも母の言葉は……全く違うことを意味しているとしか思えない。
そもそも母は妖のことなんて、知らない筈……その疑問が頭を過った結果、何となく現状に違和感を覚えた護は、肉を食べる手を止め周囲を見渡していた。
我が家のダイニングには違いない筈のこの場所は、朝食を摂っていた筈なのに何故か薄暗く……時計の針は当然のように12:00を指したまま動かない。
(……ん?)
もう一度何らかの違和感を覚えた護だったが、そんな彼の心境を慮ることもなく、眼前の母はテーブルの下にあった何かに手を伸ばしていた。
「ほら、こんなに喜んでいる」
そう言った母がテーブルの下から取り出したのは、バスケットボール程度の大きさの、長く黒い毛の生えたモノであり……
(……え?)
ソレを直視してからの数秒ほどの間、護はソレが一体何なのか、真剣に分からなかった。
それくらい、ソレがキッチンにあるこの状況が……ソレを母が手にしているこの状況が、信じられなかったのだ。
何しろ……護の母がその手に持っていたのは、死の苦痛に歪んだ転校生……鬼敷空という名の少女の、頭部だったのだから!




