~ 第二章その4 ~
「絶望って、あの……」
小鳥遊祐子生徒会長の口から出た、愛の告白をした相手に告げるには、ちょっとばかり意味が通らない一言に、護少年は戸惑った声を上げていた。
……いや、戸惑った声を上げることしか出来なかった、というべきか。
「そうでしょうっ?
昨日までの貴方は何の希望も無く、喜びも無くっ!
ただ生きることさえも耐えられないような、鬱屈した素晴らしい表情だったじゃないっ!」
生徒会長は理解できる言語で理解できる単語を並べている筈なのに……護には、彼女が言っている意味が全く理解できない。
護はそんな……久々に眠った所為で自分の言語野が遂におかしくなったのではないかという恐怖を抱きながら会長の言葉を聞いていた。
幸いにして、同室内にいる生徒会役員の方々も護と同じ感想を抱いているらしく……彼らの内の誰一人として生徒会長の言葉を理解出来ている人はいなかったが。
「なのに、今日はなんでそんなっ!
希望を抱いた顔をしてるのよ!」
当事者である筈の護自身を置き去りにしたまま、生徒会長の独白は続く。
正直な話、彼の頭脳は稼働限界を完全に超えてしまったらしく、彼は既に「彼女が何を言っているのか」を理解するのを放棄してしまっていた。
「……あの~」
「あの、絶望し切った表情が素敵だったのに!
あの無気力な絶望しか映さない暗い瞳を、私に対する劣等感から来る絶望色で塗り替えたかったのに!」
そんな護には理解出来ない……理解しようとも思えない思いの丈を全力で叫びながら、生徒会長はついに机に伏して泣き出してしまった。
(……泣きたいのは、こっちなのですけれど)
会長の泣き声でようやく事態を理解した護は……いや、本質的なところは未だ理解出来ないままではあったのだが、彼女の何かを裏切ってしまったのは間違いないと悟った護は、失意の所為か、それとも緊張が抜けた所為か、膝から崩れ落ち、床に手と膝を突いて落ち込んでしまう。
無論彼自身、自分には何の取り得もないと思っていたし、だからこそ生徒会長の告白を断ろうと思っていたくらいである。
だけど、それでも……自分でも知らないだけの何らかの素晴らしい取り得があったんじゃないかという、僅かな希望が思いっきり打ち砕かれてしまったショックと言うのは、彼自身が思っているよりも遥かに大きかった、ようだった。
「あの、会長。
幾らなんでもソレだけを好きだった訳でもないでしょう?」
「じゃあ、貴女!
整った顔立ちが好きになった男の子の顔が突然、ケロイド状になっても愛せるって言うの!」
副会長の場を宥めるような言葉を聞いた小鳥遊生徒会長は、感情を抑えるどころか、そんなヒステリックな叫びを返していた。
「……ええっと?」
「脚の早いのが好きだったのに、事故して走れなくなったり!
バイオリンを弾いているのが好きだった人が弾けなくなったり!」
「言いたいことは、分かりますけど、その……」
「ナニが大きくてベッドテクが素晴らしい彼氏が、突然性転換してちょん切ってしまっても、その彼氏を愛せるって言うの!」
いや、もう、何と言うか。
その叫びを聞いて誰もが絶句してしまっていた。
……確かに誰かの一点だけを愛するというのはそういうことだ。
その取り柄を失った相手の、言わば残骸までをも愛せるかどうかなんて……その時になってみないと分からない。
少し話が極端なところはあるけれど、生徒会長の言葉が間違っていないことは、未だ男女間の機微など全く理解出来ない護でさえも理解出来た。
優しい彼氏が突然凶悪な本性をむき出しにして……などの三流サスペンスドラマなら、幾らでもテレビから溢れかえっている時代であり、護は眠れない夜の暇つぶしにそれらを多少嗜んでいたのだ。
「この何もかも完璧な私がっ!
これから世の中に絶望していた彼と交際することで、僅かな希望を取り戻させて!
その希望がすぐに私への劣等感に置き換わりっ!
そして何の取り柄も無い自分への絶望に変わっていく……そんな彼を毎日見たかったのに!
そうなったらすぐにでも誘惑して私の処女を捧げて、私の一生を変えてしまったという取り返しの出来ない事実に青ざめる彼の顔を見たかったのに!
それで学生のうちに妊娠してみせて、一生私から逃げられないままに責任取るために就職を頑張って、でも何も出来ずに私に養われるばっかりでっ!
……そうやって劣等感と絶望との挟間で、でも私という存在から逃げることも出来ず、ただただどうしようもなく堕ち続ける!
そんな彼の人生を、死ぬ間際までずっと見届けたかったのに!」
副会長が下手に宥めたのが良くなかったのか。
それとも小鳥遊生徒会長自身が温めていた欲望が、途切れてしまったことが良くなかったのか。
未だに泣き止まない彼女の口からは、感情の赴くがままにそんな歪みに歪んだ未来展望がつらつらと綴られ続ける。
「……歪んで、ますね」
「でも、一途、なのかな?」
「……と言うか、愛情なのか、コレ?」
生徒会役員たちは泣き喚いている生徒会長という珍しい光景に幾分か動揺しつつも、好き勝手なことを言える程度には混乱から回復しているようだった。
むしろ混乱しているからこそ……そして、下手に当事者ではない分、普段見せない彼女の姿につい軽口が出てしまった、という感じだろうか?
「……っ」
逆に当事者である護は、もう何も言えなかった。
生徒会長が告げている言葉は、間違いなく彼への愛の告白であり、彼女が護少年と描こうとしていた未来地図そのものだったのだから。
ただし……生徒会長にとって薔薇色なのだろうその未来は、護にとっては漆黒というか暗黒というか、そういう感じの絶望的な色合いでしかない、という注釈がつく訳だが。
ひっくひっくとしゃくり続ける小鳥遊生徒会長を何となく放っておけなくなったのだろう、生徒会の先輩たちが彼女を慰め始め……
「ええっと、その……じゃ、ボクはこれで」
彼女の告白を断る言葉すら口に出来なかったというのに、何故か非常に居た堪れなくなった護は、結局その一言だけを残し、生徒会室を辞することになったのだった。




