第72話「変わり始める景色」
第72話です。
ツアー再開。
事故を乗り越えたFirstDayが、再び全国を回り始めます。
以前とは違う景色。
増えたファン。
広がっていく音楽。
そして、病室で生まれた『この瞬間を忘れない』が、少しずつ誰かの心へ届き始めます。
“夢”だったものが、“現実”へ変わり始める回です。
ツアー再開初日。
朝七時。
RE:LIGHTの前には、大きめの機材車が停まっていた。
「……なんか、本当にツアーって感じだな」
はじめが眠そうな顔で言う。
「今さら?」
美月はキャリーケースを引きながら笑った。
ふたばは機材車を見上げる。
以前のツアーとは少し違う。
スタッフが増えた。
スケジュールも本格的になった。
紬はスマホとタブレットを同時に確認しながら動いている。
「高木くん、名古屋の物販在庫確認お願いします」
「了解です」
「森さん、会場入り後にPAさんと打ち合わせお願いできますか?」
「はい」
完全に現場の空気だった。
ふたばは少し不思議な感覚になる。
つい数ヶ月前まで、自分は普通の女の子だった。
ライブハウスへ行くことすら緊張していた。
それが今、全国ツアーを回っている。
「ふたばー、乗るぞー」
「は、はい!」
慌てて車へ乗り込む。
席に座ると、れいじが窓側でイヤホンをしていた。
「おはようございます」
「ん」
相変わらず短い返事。
でも、最近少しだけ柔らかくなった気がする。
事故前より。
車が走り出す。
高速道路。
朝日。
遠ざかる東京の街。
ツアーがまた始まる。
その実感が、少しずつ湧いてきた。
名古屋到着は昼過ぎだった。
会場は以前より少し大きいライブハウス。
キャパ三百。
以前なら考えられなかった規模だ。
「うわ……」
ふたばは入口前を見て思わず止まった。
すでに人が並んでいる。
開場までまだかなり時間があるのに。
「……多くない?」
「多いねぇ」
美月も少し驚いていた。
はじめはニヤニヤしている。
「いいじゃんいいじゃん」
れいじは帽子を深く被りながら、その光景を静かに見ていた。
でも、少しだけ表情が変わった気がした。
会場入り。
リハーサル。
以前よりスタッフとのやり取りも増えている。
「ギター返し少し上げます?」
「お願いします」
「ボーカル、コンプ軽く変えますね」
「はい」
ふたばは最初、その会話すらよくわからなかった。
でも今は、少しずつ理解できる。
プロの現場。
その中に、自分たちがいる。
リハ終わり。
紬が楽屋へ入ってきた。
「あと一時間で開場です」
「おー」
はじめがストレッチしながら返事をする。
「あと」
紬は少し笑った。
「『この瞬間を忘れない』、今日0時から配信スタートしてます」
空気が少し変わる。
れいじが顔を上げた。
「反応は?」
「かなりいいです」
高木がタブレットを見ながら答える。
「SNSの伸び方が今までと違います」
「TikTokの切り抜きも回ってます」
ふたばは少し緊張した。
病室で生まれた曲。
事故のあと、みんなで作り上げた曲。
それが今、世の中へ出ている。
「……変な感じ」
小さく呟く。
れいじが隣で言った。
「でも、やっと出せた」
その声は少し嬉しそうだった。
開場。
歓声。
SEが流れる。
ステージ袖。
ふたばは深呼吸をした。
事故後の復帰ライブとは違う緊張がある。
今日は、“再スタートしたFirstDay”を見せるライブだ。
「行くぞ」
れいじが言う。
四人がステージへ出る。
歓声が上がる。
以前より明らかに大きい。
眩しい照明。
熱気。
手を上げる客席。
ふたばは少し鳥肌が立った。
一曲目。
『スタート』
音が鳴る。
今日は最初から違った。
RE:LIGHTでの復帰ライブは、不安の中での演奏だった。
でも今日は違う。
四人とも、ちゃんと前を向いている。
はじめのドラムが走る。
美月のベースが支える。
れいじのギターが鳴る。
ふたばの声が抜ける。
音が噛み合う。
客席の熱も最初から高い。
二曲目。
『青春』
はじめが煽る。
「名古屋ー!!」
歓声。
ジャンプ。
拳。
ライブハウス全体が揺れる。
美月が笑いながらベースを弾いていた。
れいじもギターを鳴らしながら自然に身体が動く。
右手の違和感はまだ少しある。
でも、もう怖くはなかった。
中盤。
ふたばがMCをする。
「今日は……本当にありがとうございます」
客席が静かになる。
「正直、事故のあと、もうダメかもって思った時もありました」
少しだけ息を吸う。
「でも、待っててくれる人がいて、支えてくれる人がいて」
ふたばは後ろを見る。
メンバー。
「だから、またここに立ててます」
拍手。
れいじは少しだけ目を伏せていた。
「次の曲、新曲です」
イントロが流れる。
『この瞬間を忘れない』
静かな始まり。
客席が自然と聴き入る。
ふたばが歌い始める。
止まりそうだった時間。
消えかけた音。
それでも前へ進もうとする歌。
れいじはギターを鳴らしながら客席を見た。
その瞬間。
気づく。
歌っている。
客席がサビを。
まだ配信されたばかりなのに。
自然と声が重なっていた。
れいじの目が少し見開く。
ふたばも驚いていた。
でも次第に、その声が嬉しくなっていく。
曲が終わる。
拍手。
歓声。
その熱量がすごかった。
はじめが笑う。
「やっば」
美月も少し興奮していた。
「……これ、来てるね」
ライブ終盤。
『今日が吉日』
会場が一つになる。
大合唱。
汗。
笑顔。
ライブハウス全体が熱かった。
演奏が終わる。
歓声が鳴り止まない。
ふたばは息を切らしながら客席を見た。
景色が変わっている。
確実に。
終演後。
楽屋。
全員汗だくだった。
「いやー、今日やばかったな!」
はじめが水を一気飲みする。
「客の熱すごかった」
「『この瞬間を忘れない』歌ってたのびっくりした」
ふたばが言う。
れいじは静かに座っていた。
でも、少しだけ笑っている。
そこへ高木が勢いよく入ってきた。
「やばいです」
「何?」
「TikTokのライブ動画、めちゃくちゃ伸びてます」
紬もタブレットを見ながら言う。
「……これ、完全に流れ来てますね」
森も頷いた。
「問い合わせも増えてます」
「問い合わせ?」
はじめが聞く。
紬は一度全員を見回した。
そして少し笑う。
「スポーツ飲料メーカーからです」
「……え?」
「CMタイアップの相談が来てます」
一瞬、全員固まった。
美月が最初に声を出す。
「マジ?」
「マジです」
ふたばはまだ実感が追いつかない。
CM。
タイアップ。
テレビで流れる世界。
それが、自分たちに?
れいじは静かに息を吐いた。
事故で止まりかけたバンド。
でも。
今、確かに何かが始まっていた。
窓の外。
名古屋の夜景が広がっている。
その景色は、少し前までとは違って見えた。
第72話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、ツアー再開と“変わり始めた景色”を描いた回でした。
事故を経験したからこそ、今のFirstDayには以前より強い説得力があります。
ライブの熱。
客席との一体感。
そして『この瞬間を忘れない』をお客さんが歌ってくれた瞬間。
れいじたちにとって、かなり大きな出来事だったと思います。
また、今回は“プロの世界”へ本格的に踏み込み始めた回でもあります。
スタッフが増え、会場が大きくなり、SNSの反応も変わってきた。
そして、ついにCMタイアップの話まで動き始めました。
少し前まで三階のリビングで曲を作っていたバンドが、少しずつ世の中へ広がっていく。
そんな空気を感じてもらえたら嬉しいです。
引き続き応援していただけたら嬉しいです。




