第68話「この瞬間を忘れない」
第68話です。
止まってしまった時間。
怪我によって奪われた日常。
そんな中で、れいじの前に現れたのは父・相田守でした。
今回は、音楽だけではなく“プロとして背負うもの”に向き合う回です。
そして、止まった場所から生まれる新しい曲――。
FirstDayにとって、大きな転機になる回になっています。
病室の朝は、やけに静かだった。
窓の外には、いつも通りの街がある。車が走り、人が歩き、どこかへ向かっている。
けれど、れいじだけが止まっている気がした。
右腕は固定されたまま。痛みは少し引いたが、自由には動かない。スマホを触るのも、ペットボトルを開けるのも、何をするにも左手に頼るしかなかった。
その現実が、毎朝ゆっくりと胸に沈んでくる。
「……暇だな」
誰に言うでもなく呟く。
ギターが弾けない。
それだけで、時間はこんなにも長くなる。
ノックの音がした。
「どうぞ」
扉が開く。
入ってきた人物を見て、れいじは思わず目を見開いた。
「……親父」
相田守だった。
スーツ姿のまま、手には見舞いの品らしき小さな紙袋を持っている。
「思ったより顔色は悪くないな」
「まさか来るとは思わなかった」
「一応父親だからな」
「そういうキャラだったか?」
れいじが皮肉っぽく言うと、守は少しだけ笑った。
「たまにはな」
守は椅子に座る。
しばらく沈黙が落ちた。
「怪我は」
「右腕の損傷と骨折全治数ヶ月。完全に戻るかはリハビリ次第」
「そうか」
短い返事。
だが、目は真剣だった。
「心配してくれてる?」
「している」
即答だった。
れいじは少し言葉に詰まる。
守は感情を大きく出す人間ではない。だからこそ、その短い言葉が妙に重かった。
「ただ、心配だけをしに来たわけじゃない」
「だろうな」
れいじは窓の外へ視線を向けた。
「FirstDayは今、赤字だ」
守は静かに言った。
れいじの表情が少し変わる。
「アルバム制作、宣伝、スタッフ、ライブキャンセル対応。動かした金は戻らない。止まった分の損失も出ている」
「……わかってる」
「いや」
守は首を振った。
「頭ではわかっているだけだ」
その言葉が刺さる。
「お前にはメンバーがいる。スタッフがいる。マネージャーがいる。ファンもつき始めている」
「……」
「もう、お前一人の問題ではない」
病室が静かになる。
責める声ではなかった。
怒っているわけでもない。
ただ、現実を置かれた。
「プロになるというのはな」
守はゆっくり続ける。
「誰かの人生を背負うということだ」
れいじは右腕を見る。
動かない腕。
自分だけが痛いのではない。
自分だけが苦しいのではない。
それを、改めて突きつけられる。
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ」
声が少し荒くなる。
「俺は今、ギターも弾けない」
「弾けないなら、弾けない今、できることをすればいい」
守は迷わず言った。
「お前はギターだけの人間か?」
れいじは答えられなかった。
「たとえば曲を書くとか。とにかく考えろ。今のお前にしか書けないものがあるはずだ」
守は立ち上がる。
「止まるなよ」
その言葉だけを残して、見舞いの紙袋を棚に置いた。
「また来る」
「……親父」
守が振り返る。
「別に、礼は言わねぇぞ」
「期待していない」
そう言って、守は病室を出ていった。
扉が閉まる。
静けさが戻る。
れいじはしばらく動けなかった。
誰かの人生を背負う。
その言葉が、何度も頭の中で響く。
紬。
森。
高木。
はじめ。
美月。
ふたば。
そして、待っているファン。
自分が止まったことで、全員が揺れている。
「……終わってる場合じゃねぇな」
小さく呟いた。
れいじは左手でベッド横のテーブルに置かれたノートパソコンを開いた。
片手でキーボードを打つ。
遅い。
思うように打てない。
何度も打ち間違える。
「くそ……」
それでも、閉じなかった。
頭の中に、音があった。
事故の夜。
止まった時間。
病室の静けさ。
ふたばが言った「まだ終わってません」という声。
美月の「勝手に終わらせないから」という言葉。
はじめの笑い声。
紬の必死な顔。
全部が混ざって、ひとつのメロディになっていく。
右手は動かない。
でも、音は消えていなかった。
言葉も浮かぶ。
止まった瞬間。
失った音。
それでも残っているもの。
忘れたくない今。
忘れてはいけない今。
「……この瞬間を忘れない」
れいじは画面にその言葉を打ち込んだ。
仮タイトル。
でも、その瞬間、曲の輪郭が見えた。
暗いだけじゃない。
悲しいだけでもない。
痛みの中で、それでも前に進もうとする曲。
今のFirstDayだから書ける曲。
片手で何度も打ち直しながら、れいじは作業を続けた。
気づけば夕方になっていた。
病室の外が少し赤く染まっている。
ノックの音がした。
「……どうぞ」
入ってきたのは、ふたばだった。
「れいじさん、体調……」
言いかけて、ふたばは止まった。
れいじの前にノートパソコンが開いている。
「何してるんですか?」
「曲」
「え?」
「できた。まだ荒いけど」
ふたばの目が少し大きくなる。
「曲……?」
「ああ」
れいじは少し考えてから言った。
「明日みんな呼べるか?」
次の日。
病室には、FirstDayのメンバーと紬が集まっていた。
はじめは息を切らして来た。
美月は少し気まずそうに入ってきた。
紬はノートとペンを持っている。
「病室で新曲発表って、なかなかロックだな」とはじめ。
「静かにしろ」と美月。
「すみません」
れいじはノートパソコンを少し動かす。
「まだデモにもなってない。打ち込みの仮音源と歌詞だけ」
「十分」と美月。
「聞かせて」とふたば。
れいじが再生ボタンを押す。
小さなスピーカーから、簡素なピアノの音が流れる。
ゆっくりとしたイントロ。
そこに、仮で入れたメロディが続く。
完成度は高くない。
でも、空気が変わった。
誰も喋らない。
歌詞が画面に表示されている。
止まった夜。
消えそうな灯り。
それでも誰かが呼んでいる。
忘れない。
この痛みも、この声も。
ここからまた始めるために。
ふたばは画面を見つめたまま、息をするのを忘れそうになった。
自分たちの今が、そこにあった。
音が終わる。
病室に沈黙が落ちる。
一番先に口を開いたのは、美月だった。
「……ずるいね」
声が少し震えていた。
「こんなの、入れるしかないじゃん」
はじめは目元をこすった。
「これ、ライブでやったら泣くやつだろ」
「泣くなよ」とれいじ。
「いや、無理だよ」
紬はノートを握りしめていた。
「これは……今のFirstDayに必要な曲だと思います」
いつもの仕事の声ではなかった。
心からの言葉だった。
ふたばは、まだ何も言えなかった。
れいじが見る。
「ふたば」
「……はい」
「歌ってくれるか」
その問いに、胸が鳴る。
怖い。
でも、逃げたくない。
「歌いたいです」
自然に出た。
れいじは小さく頷く。
「じゃあ、仕上げる」
「私、歌詞も一緒に見たいです」
ふたばが言う。
れいじは少し驚いた顔をしたあと、短く答えた。
「頼む」
その一言で、ふたばの胸が熱くなった。
はじめが両手を叩く。
「よし。俺、ドラム考える」
「病室で叩くなよ」と美月。
「わかってるわ」
「私はベースライン考える」
美月が言った。
さっきまで沈んでいた表情が、少しだけ戻っている。
「この曲、下手に重くしたくない。ちゃんと前向かせたい」
「俺もそう思ってた」とれいじ。
紬がメモを取り始める。
「タイトルは?」
「仮で、この瞬間を忘れない」
全員が少し黙る。
「……いいね」
ふたばが言った。
「すごく、いいです」
その夜、病室の空気は少しだけ変わっていた。
事故は消えない。
怪我も治っていない。
ツアーも戻っていない。
それでも、音が生まれた。
止まったはずの場所から、また一つ。
れいじは画面を見つめる。
右手はまだ動かない。
ギターは弾けない。
でも。
「……まだ、作れる」
小さく呟いたその声は、誰にも聞こえないくらい静かだった。
けれど確かに、そこには新しい始まりがあった。
第68話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、れいじが“止まったままではいられない”と本気で向き合う回でした。
相田守は厳しい人物ですが、ただ冷たいわけではありません。
プロの世界を知っているからこそ、れいじに現実を突きつけました。
「お前一人の問題じゃない」
その言葉は、今のれいじにとってかなり重かったと思います。
そして、そこから生まれた新曲『この瞬間を忘れない』。
事故、止まった時間、不安、支えてくれる仲間。
今のFirstDayだからこそ書ける曲になりました。
また今回は、久しぶりにメンバー全員の空気が少し前を向いた回でもあります。
まだ完全復活ではありません。
でも、“また音を鳴らしたい”という気持ちは確実に戻り始めています。
引き続き応援していただけたら嬉しいです。




