第66話「それでも歌う」
第66話です。
止まってしまったFirstDay。
それでも、完全に消えてしまったわけではありません。
今回は、ふたばが初めて一人でステージに立つ回です。
不器用でも、下手でも、それでも前に進もうとする姿を描きました。
事故のあとだからこそ鳴る音。
今のふたばにしか歌えないライブになっています。
事故から一週間。
三階の部屋は、静かだった。
以前なら昼になれば誰かしら集まり、音が鳴っていた。ドラムの練習パッドの音。美月のベース。れいじのギター。ふたばの歌声。
今は、それがない。
リビングの空気だけが止まっていた。
はじめは八百屋の仕事を終えても、そのまま帰ることが増えた。
美月はコンビニ以外の時間、ほとんど部屋から出てこない。
紬は毎日動き回っているが、以前よりずっと無理に笑っているのがわかった。
ふたばだけが、昼になるとスタジオへ向かっていた。
れいじのいないスタジオ。
最初は入るだけで怖かった。
ギターを持っても、何をすればいいかわからない。
音が足りない。
空気が違う。
何より、れいじがいない。
それだけで、こんなにも世界が変わるのかと思った。
その日も、ふたばは一人でコードを鳴らしていた。
まだぎこちない。
指も痛い。
コードチェンジも遅い。
「……はぁ」
思わずため息が出る。
すると後ろから声がした。
「下手だなぁ」
「ひゃっ!?」
振り返る。
ライブハウスの店長だった。
「び、びっくりした……」
「悪い悪い」
店長は笑いながら中へ入ってくる。
「でも、本当に下手」
「うぅ……」
「まあ、はじめて間もないならそんなもんか」
ふたばはギターを抱え直した。
「やっぱり、向いてないのかな」
「何が?」
「ギター」
「向いてないとかまだ決めつけるのは早いよ。」
その言葉に、ふたばは少し黙る。
「……やらなきゃって思って」
「なんで?」
「止まりたくないから」
小さな声だった。
店長は少しだけ真面目な顔になる。
「れいじが止まったから?」
「……うん」
ふたばはギターを見た。
「このまま、全部終わっちゃう気がして」
怖かった。
ツアー中止。
ライブ白紙。
未来が急に見えなくなった。
でも、それ以上に怖かったのは、みんなの心が止まってしまうことだった。
「店長」
「ん?」
「私、どうしたら上手くなりますか?」
店長は少し考えて、それから言った。
「ライブやれば。」
「……え?」
「弾き語り」
「無理です!」
即答だった。
「人前とか絶対無理」
「だからやるんだよ」
「いやいやいや!」
店長は笑う。
「人前でやることで上手くなるから。目標が出来るからな」
「でも、こんなの……」
ぎこちないコード。
不安定な歌。
れいじみたいに弾けるわけじゃない。
「下手でいい」
店長ははっきり言った。
「今のお前には、その不器用さが必要だ」
ふたばは言葉を失う。
「完璧にやろうとすんな。今のFirstDayを見せればいい」
静かな声だった。
「止まってないんだって、証明すればいい」
その日の夜。
紬に相談すると、予想以上に乗り気だった。
「やりましょう」
「えっ」
「むしろ今だから意味があります」
ノートを開き始める。
「規模は小さくていい。れいじさんのライブハウスで、アコースティック形式」
「いやでも、私ほんとに下手だよ?」
「知ってます」
「知ってるの!?」
「でも、今必要なのは上手さじゃないと思います」
紬は少し笑った。
「“FirstDayは終わってない”って見せることです」
その言葉に、ふたばはゆっくり息を吸った。
三日後。
ライブ当日。
客席は満席ではない。
でも、思っていたより人がいた。
常連客。FirstDayのファン。SNSを見て来た人。
彩乃と奈緒の姿もあった。
「ふたばー!」
彩乃が手を振る。
奈緒も優しく笑っていた。
袖で見ていたふたばは、急に怖くなった。
「……やっぱ無理かも」
手が震える。
「帰りたい……」
「今さらです」
紬が横に立つ。
「でも、緊張で死にそう」
「死にません」
「冷たい」
「大丈夫です」
紬はふたばを見る。
「失敗しても、誰も笑いません」
その言葉が、少しだけ胸を軽くした。
ステージへ向かう。
スポットライト。
一人。
いつも隣にいるはずのれいじはいない。
後ろにドラムもない。
ベースもない。
自分とギターだけ。
「こんばんは……」
声が少し震える。
「FirstDayの、ふたばです」
小さな拍手。
ふたばは深呼吸した。
「今日は……れいじさんがいないけど」
少し言葉に詰まる。
「でも、止まりたくなかったので……歌います」
ギターを鳴らす。
最初のコードから少しミスした。
「あっ……」
客席から小さな笑い。
顔が熱くなる。
「す、すみません……」
でも、その空気は優しかった。
一曲目。
『はじまりの季節』
ゆっくり歌う。
ギターはまだ不安定。
でも、声だけはちゃんと前に出した。
客席が静かに聴いている。
ふたばは途中から、少しだけ落ち着いてきた。
二曲目。
『今日が吉日』
この曲を歌うと、自然とれいじの顔が浮かぶ。
あの日。
ライブハウスで出会ったこと。
背中を押されたこと。
バンドが始まったこと。
全部が蘇る。
サビで少し声が震えた。
でも、それが今の自分だった。
最後の曲。
『この瞬間を鳴らせ』
コードを間違えた。
リズムも少しズレた。
でも、途中からそんなことどうでもよくなった。
楽しかった。
歌っているうちに、胸の奥から何かが戻ってくる。
怖かった。
止まりそうだった。
でも、自分はまだ歌いたい。
それだけははっきりわかった。
歌い終わる。
一瞬静かになって、それから拍手が広がった。
大きかった。
ふたばは思わず笑ってしまう。
「ありがとうございました……!」
袖へ戻る。
足が震えていた。
「やばい……」
「お疲れ」
店長が笑う。
「下手だったな」
「ひどい!」
「でも、よかった」
その言葉に、ふたばの目が少し熱くなった。
客席後方。
はじめが一人で見ていた。
ライブ終わり、静かに立ち上がる。
「……すげぇな」
小さく呟く。
止まりそうなのに。
怖いはずなのに。
それでも前に出た。
「俺も……何かやんなきゃな」
自然とそう思っていた。
一方、美月は来なかった。
部屋の床に座り、コンビニで買った酒を開ける。
スマホには紬からの連絡。
『終わりました』
その下に、客席から撮ったふたばの写真。
ギターを抱え、必死に歌っている姿。
美月はしばらくそれを見つめていた。
「……バカ」
小さく呟く。
でも、その目は少しだけ揺れていた。
夜。
ふたばは病院へ向かった。
病室の扉を開ける。
「……来たのか」
「はい」
れいじはベッドに座っていた。
「今日、ライブやってきました」
れいじが少し驚いた顔をする。
「……ライブ?」
「弾き語り」
「ふたばが?」
「うん」
少し笑う。
「めちゃくちゃ下手だった」
れいじも少しだけ笑った。
「だろうな」
「でも、歌ってきた」
ふたばはまっすぐ言う。
「FirstDayの曲、三曲」
少し沈黙。
れいじは窓の外を見る。
「……そうか」
反応は薄かった。
でも、少しだけ空気が変わった気がした。
しばらくして、れいじがぽつりと言う。
「……客、いた?」
ふたばは笑った。
「ちゃんといましたって」
その言葉に、れいじは静かに目を閉じた。
止まりかけた音は、まだ消えていなかった。
第66話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は“再始動”というより、“消えなかった火”を描いた回でした。
れいじがいない。
バンドの形も崩れかけている。
そんな中で、ふたばが初めて自分の意思でステージに立ちました。
ギターはまだ下手です。
ライブも完璧ではありません。
でも、今のふたばにはその不器用さが必要だったのだと思います。
また、今回はそれぞれの現在地も描いています。
前を向こうとするふたば。
何かを始めようとするはじめ。
まだ立ち直れない美月。
そして静かに止まったままのれいじ。
同じ出来事でも、受け止め方はみんな違う。
だからこそ、ここからどう進んでいくのかが大切になっていきます。
引き続き応援していただけたら嬉しいです。




