第65話「崩れる音」
第65話です。
事故のあと、現実は容赦なく進んでいきます。
ツアー中止という決断、ファンや関係者への対応、そしてメンバーそれぞれの本音。
今回は、FirstDayというバンドが初めて“揺らぐ”回です。
支えてくれる人が増えたからこそ見えてくる現実と、崩れかける気持ちを丁寧に描いています。
ツアーは、一旦白紙になった。
延期ではなく中止。その判断が下された瞬間、部屋の空気が静かに沈んだ。
三階のリビングには、メンバー三人と紬、そして新しく入ったスタッフの森と高木がいた。
テーブルの上にはノートパソコンが三台。スマホがいくつも並び、通知音が断続的に鳴っている。
「……これで出します」
紬が言った。
公式発表文。れいじの負傷とツアー中止のお知らせ。
簡潔で、無駄がなく、感情を極力排した文章。
でも、それを出す意味は全員がわかっていた。
現実を、確定させる行為だ。
紬の指が送信ボタンを押す。
その直後、すぐに反応が来始めた。
通知音が一気に増える。
画面の中で言葉が流れていく。
『大丈夫ですか』
『楽しみにしてたけど、待ってます』
『払い戻しどうなりますか』
『なんでこのタイミングで』
『プロ意識ない』
紬が一つひとつ確認しようとする。
だが量が多すぎる。
「紬さん、分担しましょう」
森が横から静かに言った。
「問い合わせはこっちで一次対応します。テンプレは今作ります」
すぐにノートパソコンを開く。
「高木くん、SNSは?」
「はい」
高木もすでにスマホとPCを同時に見ていた。
「心配の声が大半です。でも一部、切り取られて広がってる投稿があります」
「どんな?」
「“自己管理不足でツアー飛ばした”ってニュアンスです」
美月が小さく舌打ちする。
「勝手に言わせとけって言いたいけど、放置もできないか」
「対応文、用意します」
高木の手は止まらない。
冷静で、速い。
その横で紬は少しだけ息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「いえ、仕事なんで」
森の言葉は淡々としていた。
だが、その一言で場の温度が少しだけ現実側に寄る。
これはもう、完全に“仕事”だった。
はじめがソファに座りながら、その様子を見ていた。
「……なんか、すげぇな」
ぽつりと呟く。
「俺ら、こんな大ごとになってたんだな」
「なってたよ」
美月が短く返す。
「売れるって、こういうこと」
ふたばはその言葉を聞きながら、何も言えなかった。
嬉しいとか、誇らしいとか、そんな感情は今はなかった。
ただ、怖かった。
こんなにも多くの人が関わっていることが。
こんなにも簡単に止まってしまうことが。
昼過ぎ。
はじめはライブハウスへ向かった。
「直接謝りに行く」
それだけ言って出ていった。
美月は電話を握ったまま、ずっと誰かと話している。
「はい、申し訳ありません……はい、現状未定で……」
声は落ち着いているが、指先は机を軽く叩いていた。
紬は森と並んでパソコンを見ている。
「この文面だと冷たいですかね」
「少しだけ感情足しましょう。ただ長くしすぎないで」
「はい」
高木はSNSの流れを追いながら言う。
「この投稿、拡散されてます。引用で否定してる人も多いですけど、火種にはなりそうです」
「公式で軽く触れますか?」
「いや、今は触れない方がいい。余計広がる」
「了解です」
会話は早く、正確だった。
ふたばはその様子を見ていた。
自分たちだけじゃない。
守ろうとしてくれる人がいる。
でも同時に思う。
それでも、中心はやっぱりれいじなんだ、と。
病院へ向かう途中、ふたばは何度も深呼吸をした。
何を言えばいいのかわからない。
でも、行かなきゃいけない気がした。
病室に入ると、れいじは一人だった。
窓の外を見ている。
右腕は動かない。
ギターのないれいじ。
それだけで違和感があった。
「……来たのか」
「はい」
ふたばは椅子に座る。
「ツアー、中止になったんだろ」
「……うん」
「そりゃそうだよな」
それ以上は何も言わない。
静かな時間。
れいじは左手でスマホを持ち、すぐに置いた。
「見ないの?」
「見ても意味ない」
短い言葉。
「謝罪も説明も、紬たちがやってる」
「うん」
「ならいい」
少し間を置いて、れいじが言った。
「……全部、止まったな」
その一言が、重かった。
ふたばは息を飲む。
「アルバム出して、ここからだったのに」
その通りだった。
だから、余計に何も言えない。
「……なあ」
れいじが右腕を見る。
「戻るよな、これ」
ふたばの胸が締めつけられる。
「数ヶ月って言ってたし……」
「数ヶ月で元通りとは限らない」
それが現実だった。
「俺、ギター弾けなかったら……」
言葉が止まる。
ふたばは思わず立ち上がった。
「そんなこと言わないで」
声が強く出た。
れいじが少し驚く。
「まだ何も決まってない」
「……」
「戻るかもしれないし、戻らないかもしれない」
自分でも震えているのがわかる。
「だから、今終わったみたいに言わないで」
沈黙。
しばらくして、れいじが小さく笑った。
「……強くなったな」
「今それ言う?」
「ごめん」
少しだけ空気が緩む。
でも、根本は変わらない。
夜。
リビングに戻ると、美月が一人で酒を飲んでいた。
缶を軽く揺らす。
「……正直さ」
ふたばを見る。
「このまま終わると思う?」
真っ直ぐな目だった。
ふたばは答えられない。
言葉が出ない。
「だよね」
美月は小さく笑う。
「私らさ、れいじに頼ってただけじゃん」
その言葉が刺さる。
誰も否定できない。
そのまま沈黙。
紬は少し離れたところで座っていた。
疲れているのが見てわかる。
それでもパソコンを閉じて、顔を上げた。
「……大丈夫です」
小さく言う。
「まだ、終わってません」
森がその横で頷いた。
「ええ。ここで終わるチームじゃないです」
初めて、外側の人間がそう言った。
その言葉は、少しだけ救いだった。
同じ頃。
病室。
れいじは一人でギターケースを見ていた。
左手で開ける。
中のギターに触れる。
右手を動かそうとする。
動かない。
痛みが走る。
歯を食いしばる。
もう一度。
無理だった。
静かにギターを戻す。
何も言わない。
何もできない。
ただ、天井を見る。
音のない世界。
崩れる音だけが、自分の中で響いていた。
第65話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は「崩れる音」というタイトル通り、内側も外側も少しずつ崩れていく回になりました。
ライブ中止という現実に対して、メンバーそれぞれの受け止め方が違うこと。
そして、これまで見えていなかった“依存”や“不安”が表に出てきたこと。
特に美月の言葉は厳しいですが、決して間違ってはいません。
順調に進んでいたからこそ、見えなかった部分が今浮き彫りになっています。
また、今回は紬だけでなく森と高木も加わり、
FirstDayが“バンド”ではなく“チーム”として動いている現実も描いています。
一方で、れいじは一人で静かに戦っています。
音楽から切り離された時間の中で、何を思い、どう向き合うのか。
まだ答えは出ません。
むしろ、ここからが本当の試練です。
引き続き応援していただけたら嬉しいです。




