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第64話「失った音」

第64話です。


事故の翌日。

順調に進んでいたFirstDayに、現実が重くのしかかります。


ライブ延期、ファンの反応、止まってしまった予定。

そして何より、れいじ自身が初めて向き合う“不安”。


今回は、華やかな音楽の裏側にある苦しさと、それでも支えようとする想いの回です。

事故の翌日。


 朝から三階のリビングには重い空気が流れていた。


 いつもなら誰かが冗談を言い、誰かが突っ込み、音楽の話が始まる場所。


 今日は、誰もそんな気分ではなかった。


 テーブルの上にはノートパソコンが開かれ、紬が画面を見つめている。


 指が止まっては、また動く。


 公式発表文。


 れいじの負傷によるライブ延期のお知らせ。


 たった数行の文章なのに、なかなか完成しなかった。


「……これでいいと思います」


 紬が静かに言う。


 画面には簡潔な文章が並んでいた。


 メンバー相葉れいじが交通事故により負傷。医師の診断により、しばらくの安静が必要。予定していたワンマンライブおよび出演イベントは延期または出演辞退。


 最後に、お詫びと今後の案内。


 必要なことは全部書いてある。


 でも、それを世に出すことが、紬にはとても重かった。


「出します」


 誰も止めなかった。


 送信ボタンが押される。


 たったそれだけで、現実が確定した気がした。


 はじめはソファに座ったまま、ずっと黙っていた。


 美月は腕を組み、窓の外を見ている。


 ふたばはスマホを握ったまま、画面を見ることができなかった。


 数分後。


 通知音が鳴り始める。


 コメント、引用、DM、問い合わせ。


 予想以上の速さだった。


「……見ます」


 紬が覚悟を決めたように言う。


 画面を追っていく。


『れいじさん大丈夫ですか』


『ライブ楽しみにしてたけど、まずは治療優先で』


『待ってます』


『払い戻しってどうなるんですか?』


『なんでこんな時期に事故るんだよ』


『自己管理どうなってる』


 紬の表情が少しずつ曇る。


 ほとんどは心配の声だった。


 それでも、少し混じる棘のある言葉が妙に刺さる。


「もう見なくていい」


 美月が言った。


「でも、対応しないと」


「私がやる」


「いや、仕事ですから」


 紬の声は震えていた。


 ふたばがそっと隣に座る。


「一人で抱えなくていいよ」


 その言葉に、紬は小さく頷いた。


 昼過ぎ。


 病院へ向かうのは、ふたば一人だった。


 はじめはキャンセル対応でライブハウスに行き、美月は取引先や関係者への連絡を任された。


 紬は問い合わせ対応に追われている。


 誰も止まれなかった。


 病室の前で、ふたばは深く息を吸う。


 ノックをする。


「どうぞ」


 昨日より少し掠れた声だった。


 れいじはベッドに座っていた。


 テレビはついているが、音は消されている。


 右腕は固定されたまま。


「……来たのか」


「はい」


 ふたばは椅子に座る。


「みんな忙しいだろ」


「みんな、それぞれ動いてます」


「そっか」


 会話が途切れる。


 れいじは窓の外を見たまま、しばらく黙っていた。


「ライブ、飛んだんだろ」


「……うん」


「迷惑かけたな」


「そんな言い方しないで」


 ふたばは少し強く言った。


 れいじがこちらを見る。


「事故なんだから、仕方ないよ」


「仕方なくても、止まったのは事実だ」


 その声は冷静だった。


 でも、その奥に悔しさが滲んでいた。


「アルバム出して、ここからだったのに」


 ふたばは何も言えなかった。


 それは全員が思っていることだった。


「……なあ」


 れいじがぽつりと呟く。


「右手、戻るよな」


 ふたばの胸が痛んだ。


 その一言には、怖さが全部詰まっていた。


 ギター。


 作曲。


 ステージ。


 れいじがれいじである理由の多くが、その右手にあった。


「先生、数ヶ月って言ってたし……」


「数ヶ月で、元通りとは限らない」


 初めてだった。


 こんなに弱い声を聞いたのは。


「俺、ギター弾けなかったら……」


 言葉が止まる。


 ふたばは思わず立ち上がった。


「そんなこと言わないで」


 れいじが少し驚いた顔をする。


 自分でも驚いた。


 こんな強い声が出るなんて思っていなかった。


「まだ何も決まってない」


「……」


「戻るかもしれない。戻るように頑張るかもしれない」


「……」


「なのに、今終わったみたいに言わないで」


 病室に沈黙が落ちる。


 ふたばの手が震えていた。


 怒っているわけじゃない。


 怖かったのだ。


 れいじまで諦めてしまうことが。


 しばらくして、れいじが小さく笑った。


「……強くなったな」


「今それ言う?」


「ごめん」


 少しだけ、空気が和らいだ。


 ふたばは座り直す。


「みんな、待ってるから」


「みんな?」


「うん。私も」


 その最後の二文字だけ、小さくなった。


 れいじは何も言わなかった。


 ただ、少しだけ目を細めた。


 夕方。


 病室を出る前、ふたばは振り返った。


「また来ます」


「無理すんな」


「それ、れいじさんに言って」


 少しだけ笑う。


 扉に手をかけたとき、背中に声が届いた。


「……ふたば」


「はい?」


 振り返る。


 れいじは天井を見たまま言った。


「もし、戻らなかったらどうする?」


 時間が止まったようだった。


 ふたばはすぐに答えられない。


 でも、胸の奥ではっきり思った。


 この人は今、本当に怖いんだ。


「……その時は」


 ゆっくり言う。


「その時、みんなで考えます」


 れいじは何も言わなかった。


 ただ、少しだけ目を閉じた。


 病室を出たあと、ふたばはしばらく動けなかった。


 止まった音。


 でも、まだ終わったわけじゃない。


 そう信じたかった。

第64話を読んでいただき、ありがとうございます。


今回は事故そのものではなく、“事故のあとに何が起こるか”を描いた回になりました。


ライブが止まり、予定が崩れ、周囲への対応に追われる。

夢を追う世界でも、現実は待ってくれません。


そして、れいじが初めて見せた弱さ。

強く見える人ほど、失うかもしれないものの大きさに怯える瞬間があります。


そんな中で、ふたばも少しずつ変わっています。

守られる側だった彼女が、今度は誰かを支えようとしている。


まだ答えは出ません。

でも、この苦しい時間がきっと次に繋がっていくはずです。


引き続き応援していただけたら嬉しいです。

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