第56話「一歩踏み出す理由」
第56話です。
今回は紬の決断の回。
“関わる側”へと一歩踏み出す瞬間を描いています。
そして同時に、ふたばの曲作りも少しずつ動き始めます。
新しい関係と新しい挑戦が重なる回です。
夜。
三階の部屋。
ふたばの部屋に、紬が来ていた。
「急に来ちゃってすみません」
「全然いいよ。むしろ嬉しい」
ふたばは笑って、テーブルにお茶を置いた。
リビングではなく、ふたばの部屋。少しだけ静かで、少しだけ落ち着く場所だった。
紬はカップを両手で包みながら、しばらく黙っていた。
「……昨日の話なんですけど」
「マネージャーのこと?」
「はい」
紬は小さく頷いた。
「正直、まだ迷ってます。やりたい気持ちはあるんです。でも、ちゃんとできるのかなって」
ふたばは黙って聞いていた。
「今までは、ファンとして好きで見てるだけでした。でも、マネージャーになるってなったら、たぶん責任が全然違うじゃないですか」
「うん」
「好きだからこそ、迷惑かけたくないんです」
その言葉は、とても紬らしかった。
勢いだけじゃない。ちゃんと考えている。
ふたばは少し考えてから、ゆっくり言った。
「私は……一緒にやれたら嬉しい」
「え?」
「紬がいてくれると、安心するし。私たちだけじゃ気づけないこと、たくさん見つけてくれるから」
「そんな……」
「それに、楽しい」
ふたばは少し照れながら笑う。
「だから、いてくれたら嬉しいなって思う」
紬はしばらく何も言わなかった。
その言葉が、胸の奥に落ちていくのを待っているようだった。
「……ありがとうございます」
小さな声だった。
少し空気が柔らかくなる。
ふたばはふと思い出して、机の上のノートを開いた。
「そうだ。これ、聞いてもらっていい?」
「え?」
「曲……っていうほどじゃないんだけど」
ふたばは少し恥ずかしそうにしてから、口ずさんだ。
まだ短いメロディ。
不完全で、どこか頼りない。
でも、柔らかくて、ふたばらしい音だった。
「……どうかな?」
紬は真剣な顔で聞いていた。
「いいと思います」
「ほんと?」
「はい。なんか、ふたばさんっぽいです」
「私っぽい?」
「優しいけど、ちゃんと前に進もうとしてる感じがします」
その言葉に、ふたばは少し驚いた。
「そんなふうに聞こえるんだ」
「聞こえます」
紬は笑った。
「これ、ちゃんと形になったらすごくいい曲になると思います」
「まだ鼻歌みたいなものだけどね」
「でも、そこから始まるんじゃないですか?」
紬の言葉に、ふたばは小さく頷いた。
そのとき、玄関の方で音がした。
「ただいまー」
美月だった。
「あ、紬じゃん」
「お疲れ様です」
「何してんの?」
「曲作りです」
ふたばが答えると、美月の目が少し光った。
「へぇ。聞かせて」
「え、今?」
「今」
ふたばは少し迷ったが、もう一度メロディを口ずさんだ。
美月は腕を組んで聞いていた。
「……いいじゃん」
「ほんと?」
「うん。まだふわっとしてるけど、芯はある」
「芯?」
「うん。れいじに持っていけば、一気に形になると思う」
ふたばの表情が少し明るくなる。
「じゃあ、ここをもう少し繰り返したらどうですか?」
紬がノートを指差す。
「サビ前にもう一回聴きたくなる感じがあるので」
「いいね」
美月が頷く。
「紬、やっぱ見るとこ見てるね」
「え、いや、思っただけで……」
「それが大事なんだって」
三人で、ああでもない、こうでもないと話す。
メロディを少し伸ばしてみる。
言葉を仮で乗せてみる。
美月が軽くベースラインのイメージを口で出す。
紬が「そこ好きです」と笑う。
気づけば、ただの相談が小さな曲作りの時間になっていた。
「……楽しいですね」
紬がぽつりと言った。
ふたばも頷く。
「うん。楽しい」
その言葉を聞いて、紬は自分の気持ちに気づいた。
やっぱり、この中にいたい。
ただ見ているだけじゃなくて、少しでも一緒に作る側にいたい。
そう思ってしまった。
翌日。
リビングにメンバーが集まっていた。
ふたば、美月、れいじ、はじめ。
そこに紬がやってくる。
少し緊張している顔だった。
「お疲れ」
れいじが言う。
「お疲れ様です」
紬は深く息を吸った。
「あの、昨日の話なんですけど」
全員の視線が向く。
「マネージャーの話……ちゃんと考えました」
美月が静かに頷く。
はじめも黙って聞いている。
「今の仕事は、辞める方向で話してきました。まだ引き継ぎとか少し残ってますけど、それが終わったら、少しずつ慣れていきたいと思ってます」
一気に言い切ってから、紬は少しだけ頭を下げた。
「改めて、よろしくお願いします」
リビングが静かになる。
最初に笑ったのは、はじめだった。
「マジか。すげぇな」
美月も笑う。
「歓迎するよ、マネージャー」
「まだ慣れてからです」
「じゃあ仮マネージャー?」
「それもちょっと恥ずかしいです」
少し笑いが起きる。
れいじは短く言った。
「よろしく」
その一言だけ。
でも、紬には十分だった。
「はい」
白石紬は、FirstDayの近くに立つことを選んだ。
その日はそのままスタジオへ、曲作りに入った。
「じゃあ、昨日のやつ聞かせて」
れいじがギターを持つ。
ふたばは少し緊張しながら、自分のメロディを口ずさんだ。
短い。
未完成。
でも、確かにふたばの中から出てきた音。
れいじは黙って聞いていた。
「もう一回」
「はい」
もう一度歌う。
れいじがギターを鳴らす。
コードが乗る。
それだけで、メロディが急に輪郭を持った。
「……え」
ふたばが目を丸くする。
はじめが膝を叩いてリズムを入れる。
美月がベースを手に取る。
低い音が重なる。
さっきまで鼻歌だったものが、少しずつ曲になっていく。
「すごい……」
ふたばは思わず呟いた。
「これ、私の?」
「お前のだろ」
れいじが言う。
「ここ、サビにできるな」
「サビ……」
「で、Aメロはもう少し抑えて入った方がいい」
美月が口を挟む。
「ベースは最初薄めで、後半から広げた方がふたばの声が立つ」
「ドラムは最初ブラシっぽくしてもいいかもな」
はじめも続く。
「いや、俺ブラシ持ってたっけ?」
「買え」
「はい」
また笑いが起きる。
紬はその様子を見ながら、ノートにメモを取っていた。
曲名未定。
ふたば作曲案。
優しいけど前に進む曲。
書きながら、胸が少し熱くなった。
これを支えるのが、自分の仕事になるのかもしれない。
そう思った。
ふたばはもう一度、自分のメロディを歌った。
今度は、れいじのギターがある。
美月のベースがある。
はじめのリズムがある。
それだけで、まるで違うものになる。
「……楽しい」
小さく漏れた言葉に、れいじが少しだけ笑った。
「だろ」
ふたばは頷く。
作曲なんて、自分には無理だと思っていた。
でも、鼻歌でもいい。
不完全でもいい。
そこから、みんなで形にしていける。
それがわかっただけで、胸の奥が明るくなった。
その日の夜。
ふたばは一人、自分の部屋でギターを抱えていた。
まだ指はぎこちない。
コードもすぐには押さえられない。
それでも、音を鳴らす。
小さく歌う。
昼間のメロディを、もう一度。
「……いいかも」
自分でそう言って、少し笑った。
不安はある。
プロになった実感も、まだ完全にはない。
でも、楽しみが少しずつ大きくなっている。
次の曲。
その次の曲。
もっと作ってみたい。
ふたばはノートを開き、新しいページに日付を書いた。
ここから始まる。
FirstDayのアルバム制作。
そして、紬にとっても、ふたばにとっても、新しい一歩が始まっていた。
第56話を読んでいただき、ありがとうございます。
紬がマネージャーとして関わることを決め、FirstDayに新しい形が生まれました。
ただのファンではなく、“一緒に作る側”へと変わったことが、この先大きな意味を持ってきます。
また、ふたばにとっては初めての作曲。
鼻歌から曲が形になっていく体験は、これからの大きな成長につながっていきます。
アルバム制作も本格的に動き出し、それぞれの音がどう重なっていくのか。
ここからがまた一つの見どころです。
引き続き応援していただけたら嬉しいです。




