#2 幼馴染なんてこわくない(5)
「お兄ちゃん! 見つけた!」
タンク塔まで登ってきた駕木雪花が、鼻っ面を駕木《兄》に近づけた。
「雪花、いま取り込み中で……」
駕木が遮ろうとするも、獅子奮迅の雪花のまえでは、風前の塵であった。
「学校中のうわさになってるんだから! 駕木の兄が無敵艦隊を攻略したって!」
「無敵艦隊って香坂のことだよな……つーかぼくは、駕木の兄って扱いなのか」
「当然よ、わたしのほうが優秀だから!」
「むぅ……」
これは駕木も言い返すことができない。
駕木雪花は1年A組である。
この学校ではA組というのは、特別進学クラスにあたる。
通称「特クラ」とも呼ばれ、入試の上位成績者から選ばれた精鋭が集う。
専門的な追加講義などが行われ、難関大学突破を目指すのだ。
雪花は特クラのなかでも、ぶっちぎりの1位で新入生総代も務めた。
さらに――幼いころから空手道場にも通っていて。
先日、組手と型の両方で全国大会出場が決まったところである。
学校の校舎にはでかでかと、
『全国高等学校空手道選手権大会出場 綿津見高校1年A組 駕木雪花』
という横断幕が掛かっていた。
くわえて、アイドルにも負けないの童顔の持ち主である。
当たりのきつい性格だけが玉に瑕だけれども――
入学から2か月にして、その名は校内に知れ渡っていた。
「あれが駕木くんの妹さん? ……ちょっと信じられない」
「神サマが駕木家にいたずらしたんですねぇ」
声が聞こえたのか、雪花はふたりを睥睨しながら、
「わたしはお兄ちゃんのいいところを、全部もらったんです!」
と噛みついて、また駕木に向き直った。
「お兄ちゃんは! お味噌汁に入っているお麩みたいに、だれかをちょっとだけ幸せにしていたらそれでいいの! 高望みなんてしちゃダメ!」
「お麩にもいいろころはあるぞ」
「あんなささくれた女と付き合ったって、恥をかくだけよ!」
「え、ぼくいま恥ずかしい状況なの!?」
「どうせ、断るに断れないんでしょ? わたしがはっきり言ってあげる」
「ホントに!? 助かるよ、はじめて雪花と意見が合った!」
「ええっ!?」
思いがけない兄の反応に、雪花も動揺したが、
「頼んだ雪花、ぼくの代わりにがつんと言ってくれ」
と頼られると、雪花もすこし顔を緩ませて引き受けるのだった。
「わ、わかった! 任せて、お兄ちゃん!」
そういうと雪花は――
つかつかと香坂に詰め寄って、物怖じせずにこう言った。
「兄と別れてください!」
「はあい雪花ちゃん、こんにちわ」
「はいこんにちわ、逢澄さん。でも今は黙っていてもらえますか」
馴染みの家込にも、厳しい雪花。
これが嫌味にならないところが、雪花の良さでもあった。
「お兄さんとはえらい違いね」
「出来の悪い兄とちがって、わたしは完璧ですから」
「駕木くんって、どうしてこう人に守られているのかしら――うらやましい」
「逆に訊きますけど、兄のどこがいいんですか?」
「それは、秘密」
香坂が怪しく微笑むと、雪花はますます気炎を上げた。
「びしっと平均点! すべてがオール3なんです! 顔も性格も体格も思考も、すべて日本男児の平均値ですよ。可もなく不可もなく、噛み応えも食べ応えもないトコロテンみたいな男ですよ。それをどうしたら、あなたみたいな人が好きになるんですか? ありえませんよ、詐欺ですか? うちにはお金なんてありませんからね!」
「う~、内臓まで響くぅ……」
「黙れ、人間アベレージ!」
「雪花ちゃんは厳しいねえ」
香坂は、十一面観音菩薩像のごとくに、耳を傾けていた。
「あなたは、兄なんかに手を出して人生を無駄にしてる場合じゃないんです。はやく兄のことなんか忘れて、女神さまは天上界にお帰りくださいませ!」
鬼気迫る雪花の言葉を、すべて受け止めてから。
香坂はたおやかに口を開いた。
「実際のところ――まだ審議中なの」
「へ?」
思いがけないことを言われて、雪花も気が抜ける。
「わたしには、ほかに好きな人がいて、その人のことがずっと忘れられなくて、駕木くんに甘えてるの」
「ふ、不潔です!」
雪花は糾弾した。しかし――
「でもそうゆうものでしょ、人間って」
諦めたような香坂の物言いに、嘘は感じられなかった。
これはこれで率直な態度であった。
凍えそうなほど冷静な香坂に、雪花は気圧される。
「あ、兄をかどわかさないでください。兄は愚図で、スケベで、妹のパンツとか平気で洗濯する下衆野郎です」
「洗濯はいいことだろ!?」
「ノン・デリカシー!」
雪花は食い下がった。
「だから、あなたみたいな人の誘惑には平気で乗ってしまうんです。もし兄のことで粗相があったなら謝ります。だから、どうか、兄のことは放っておいてください。平民には平民の生き方があるんです」
言い切ると、雪花は深々と頭を下げた。
その健気な姿に、駕木はちょぴり感じ入ってしまった。
できた妹がいて良かったなと感慨にふけった。
しかし香坂は、ちっとも意に介さず、恬淡にこたえた。
「それは――駕木くんのことを見くびりすぎ」
「え?」
またしても思いがけない言葉に、気勢を殺がれる雪花。
「駕木くんは、わたしの誘いには乗らなかったの」
「このボンクラ兄にかぎって、そんなことあり得ません!」
「でも断られたの。フラれたの」
「…………」
いよいよ雪花が押し黙ってしまった。
すると香坂は、大人げなく攻勢に転じた。
「あなたが気負うことないの。駕木くんがへっぽこなのは、へっぽこな駕木くんのせい。あなたが才能を吸い取ったからじゃないわ、全部駕木くんの向上心のなさが悪いの」
「香坂先生、心臓が痛いです!」
「唾でもつけてなさい」
「ありがとうございます!」
軍隊式敬礼をして、泣きながら心臓に唾をつける駕木。
雪花は搦め手を突かれたのか、まったく反論できなかった。
「雪花ちゃん」
香坂はここではじめて、雪花を名前で呼んだ。
「これだけ愛されている駕木くんが、なんの才能もない、なんてことあるのかしら」
「そんなの……ありません」
「じゃあ、確かめに行きましょう?」
「え?」
虚を突かれて、雪花は呆然とするばかりである。
「放課後、付き合ってもらえる? もちろん、駕木くんも、家込ちゃんも一緒に」
「ぼくも?」
「なんですかぁ?」
「この学校が、なぜワタツミと呼ばれているか、に関わることよ」
香坂はまたしても怪し気に微笑んだ。
それは駕木が先週までみていた、誰に対しても優しい笑顔ではなかった。
けれどむしろ、こちらのほうが香坂らしい貌に思えた。
なぜならそうして微笑む香坂は、いつもよりも綺麗にみえた。




