第四十五話 家の住人
まだ胸の奥がさわさわしてるけど、さっきほど変な感じはない。
本当に……なんだったのだろうか。
何故か後ろにいるロラーナが気になってしまう。
階段を降りて金属で出来た扉の前に到着すると、頭の中に浮かぶロラーナ=ドラグーンの存在を振り払うように扉を勢いよく開けた。
「この部屋はなんだ?」
真っ先に目に入ってきたのは、床に散らばった無数の紙。
拾いあげて視線を落とすと、茶色く変色した紙には、びっしりと文字が書かれている。
「この文字……なんでしょう?」
横から覗いてきたロラーナに、わずかに肩が跳ねる。
鼻腔をくすぐる彼女の匂いは、胸の奥で燻っている得体のしれない感情に火をつけそうであった。
それを誤魔化すように、俺は正面を向いて視線を左から右に動かした。
「また、扉だ」
「本当ですね。それにしても、ここは何のお部屋なんでしょう? 本も落ちてますし……」
何か調べ物をしていたのだろうが、詳しくは分からない。
「魔素の乱れは……扉の奥に続いているみたい」
ロラーナの返事を待たないで、扉に近づいて手を伸ばした。
ギギギ、と錆びついたような音がして、砂が舞うように、白い埃が開け放たれた扉から出てくる。
右腕で口を覆いながら中に入ると、干からびた食料が並べられた棚が置いてあった。
乾燥しているせいで埃とカビのような匂いはするが、むせ返る甘い匂いはしない。
すると、ロラーナを中心に浮かんでいた、魔法の炎が目の前に現れた。
「食糧庫……避難用の部屋、だったんですね。しかも、かなりの量の備蓄があったみたいです」
ロラーナが俺の横に並んで、そう言ってきた。
「ロラーナ、こっち」
俺は奥の壁まで歩いて行くと、ロラーナを手招きして呼んだ。
視線だけは、壁にもたれた者から離さない。
すぐ横で空気が揺れて、俺は真っ直ぐに指を差した。
「あれ、見て」
ロラーナにそう言った。
「人……みたいですね。でも……」
「死んでるみたいだがな」
骨になった人物の体には、肉ひとつない。
腐ってなくなったのか、ネズミにでも食われたのか、床に転がった頭には、雪のような綿が積もっていた。
「自分で……」
側に落ちていたナイフを拾う。
刃先は欠けていて、斑点のような赤錆が表面に浮かんでいた。
表面は曇った鏡のようで、のぞき込むとわずかに自分の目が映る――
「ひゃいっ!?」
反射した自分の頭の横に、影がわずかに揺らめいて、それに向かって錆びたナイフを振るう。
それを間近で見ていたロラーナは、ぴょんっとその場で飛び上がりながら、変な返事をしてくる。
「ロラーナ、そこから動かないで」
俺は空中に文字を浮かび上がらせる。
様々な意味を持った文字達が、俺とロラーナの身体を守るように回り出す。
呼吸を極限まで薄くして、神経全てに自分の意識を集中した。
「――そこっ!」
わずかに揺らいだ魔素に向かって、ナイフを投げる。
一緒に”破”と刻んだ文字を、ナイフの刃先が目標に運んだ。
「…………」
ナイフが空中に浮いた女性の心臓に深く突き刺さり、青い炎が足元から噴き出して、燃えて消える。
その亡霊は何も言わなかったし、感情の色が瞳にはなかった。
ただ、愛おしそうにナイフをひと撫でするだけだった。
「やっと……見つけてくれた。おレを、俺を……」
部屋の中心に突然現れた、太陽のような模様。
中心の円に対して、火柱部分は長く、その先端には月が描かれている。
満月、半月、三日月、新月、そして、今満月が天辺に来ると、青い光が迸って、そこから今しがた消えた女が出現する。
「頼む……それを、破壊してくれ」
声しか聞こえない。
姿はどこにもない。
だけど、目の前の魔法陣を破壊してくれと懇願してくる。
「すまない、本当にすまない……」
それは俺達に向けて、と言うよりも、再び現れた女性に向かってだった。
「彼女を……妻を巻き込んでしまった」
男の声に反応した女は、俺達の横を通り過ぎて床に転がっている骸骨の前で立ち止まる。
そっと拾おうとするが、実体のない手は虚しく通り過ぎてしまう。
「――ママー! パパは?」
子供の声だった。
カエラより少し小さいくらいだろうか。
まだ、十に満たない半透明の子供。
母親の真似をするように、頭蓋骨に手を伸ばす。
「これ……みんな、家族……」
ロラーナの声は震えていた。
「そんな……悲しすぎます」
あの男の声に従って、魔法陣を破壊すれば女性と子供は解放されるのかもしれない。
今も謝り続ける男の声は、次第に泣きそうになっていく。
「……あの」
ロラーナが、女性と子供に声をかけた。
「お姉ちゃんは誰?」
「私はロラーナ……って言います。君は?」
「僕はね、ロイ=フェロードだよ」
「フェロード? どこかで聞いたことがあるような……ロイ君はお父さんをお迎えに来たのかな?」
子供の高さに合わせるように、ロラーナがしゃがんで声をかける。
「そうなんだけど、いつまでもパパ寝てるんだよね」
ロイが頭蓋骨を指で突くが、指先はそのまま通り過ぎてしまう。
「えっと……ロイ君のお父さん……よいしょっ」
「――おふぅっ!」
頭蓋骨をロラーナが持ち上げると、男が驚いたような声をあげた。
「どうしたらいいんでしょうか?」
「ロラーナ……様……」
「はい」
「どうか、輪廻の円環の魔法陣を破壊してくれませんか」
その男の声は、まるでロラーナを知っている口ぶりである。
「はぁ〜、ごめんね。父さんが迷惑かけてさ」
「――きゃっ!」
「おっと、驚かせちまった。俺はグリム=フェロード。ロイの兄貴だ。さっきの握手には驚いたよ」
そう言って、ケタケタと笑っている。
「父さんが、俺達を生き返らせようとしたみたいなんだけど、失敗してこのざまなんだよね」
「失敗ですか?」
「そう、俺達は――イリウス=ドラグーンに処刑された」




