第三十八話 異形のドラゴン
「あれ……私は……」
満足するまで血を飲んだからか、アリシャの姿が人間に戻り始める。
自分の口元についた血を手で拭うと、自分がしてしまったことに気づいて、言葉を失っていた。
「ロラーナ姫と約束したのに……私は……ああっ!」
体を起こしてこっちを振り向いたアリシャは、今にも泣き出してしまいそうなくらい、しわくちゃだった。
「すぐに、そこから離れろ――アリシャ!」
普通であれば、レイラが死んで終わり。
だが、魔力が見える俺には空気中の魔素が、急速に乱れているのが見えている。
生ぬるい風が頬を撫でた。
渦を描くように回り出す空気に、木が悲鳴を上げるように騒ぎ出す。
「これは……」
アリシャが俺の横に姿を現す。
「分からない……けど――来るぞっ!」
紐で吊り上げたように、レイラの体が起き上がる。
体中の水分を吸い尽くされた彼女は、骨と皮しか残っていない。
辛うじて、ロラーナと同じ銀色の長い髪のおかげで、レイラ=ドラグーンと認識することができるくらいだ。
「ア……ルキ、ラ」
潰れた声が聞こえてきた。
「――お姉様っ!」
レイラは反応しない。
「くっ! どうしたら……」
とどめをさすなら今なのだろうが、そうもいかない。
剣の柄を強く握るアリシャと同じように、俺も噛み締めた顎に力が入る。
そうしている間にも、レイラの体の中心に魔力が集まり出していた。
「だったら、せめて――」
魔力を散らせば、何かしら方法が見つかるかもしれない。
バルバトの鱗でできたナイフを逆手に持ち直す。
「アリシャ……行けるか?」
「もちろんです」
俺とアリシャが前に出るタイミングは同時だったと思う。
墓石の前の地面に足をついた時、妙に柔らかくて下に沈む感覚がした。
レイラを見ていた視線が下に落ちると、地面から突き出した腐った手が視界に映る。
「アンデッドッ!」
死人まで操るというのか――
すぐさま、反対の足でその手を踏み潰す。
骨と肉が潰れる感触が、靴底から足裏全体に広がって、足首を掴んでいた手が離れる。
顔を上げた。
地面から這い出す、無数の屍者達の姿が視界に映った。
「アリシャ! 止まるなっ!」
所詮アンデッド。
ゾンビ程度、強引に行けばいい。
「分かってます!」
屍者の頭にナイフを突き入れて、掻き回す。
糸が切れたように地面に転がった。
喉を裂けば血の代わりに、黄色い液体が溢れ、周囲に悪臭を漂わせる。
それでも、俺とアリシャは止まることなく突き進む。
「なんだ――?」
もう少しだった。
あと数秒あれば、レイラの爆発しそうなくらい溜まった魔力を消し去ることができたかもしれない。
吊り上げられるように、レイラが空に浮かぶ。
「羽が……」
空を見上げたアリシャが、そう呟いた。
悪魔がこの世界に降臨するのかもしれない。
今まで地表を照らしていた月が、雲に隠れて闇を運んできた。
ばき、ボキ、ゴき。
そんな音と共に、レイラの首が捻れる。
ぐるり、ぐるりと何度も回転し、止まった時には首が異様に長くなっていた。
背中に生えたボロボロの翼が羽ばたくたびに、逆向きになった頭が何度も上下する。
「ちっ! ――させないっ!」
襲ってくるアンデッドの頭に蹴りを叩き込み、体を回転させながら、ナイフをレイラに向かって投擲する。
「マジ……かよ」
レイラの口が四つに裂け、腕のように太くなった舌が伸びてくる。
その先端にも穴が開いていて、びっしりと歯が並んでいた。
レイラの舌が空中に円を描く。
ちょうどその中心を貫こうとした、ナイフの動きがそこでピタリと止まる。
円状の縁の部分からは、レイラが操っていた黒い糸が何重にも伸びて、ナイフに絡みついていた。
動きの止まったナイフに、レイラの舌が伸びる。
巻き取るように絡め取ったと思えば、自身の口の中に放り込んで、咀嚼する。
「バルバトの鱗、相当硬いはずなんだが……てか、思っている以上にやばいかも」
殺せないとなればなおさらだ。
「アリシャ! 動けるか!」
「ええ、アンデッド程度、問題ありません。それにしても、レイラ様にはいったいなにが……」
「凄い怪物になったのは、分かった」
それ以上のことは分からない。
いや、冗談抜きでね。
「とりあえず、ロラーナをサリスの元に連れてってもらえない?」
「ラグルさんは?」
「足止めと、倒す手段を模索するかな。油断すると、ロラーナを巻き込みそうでさ」
アリシャに、そう伝えている時も、レイラから視線を外さない。
今もバルバトの鱗を噛み砕こうとしている。
「分かりました……ロラーナ姫を送り届けたらすぐに戻ってきます。ちなみに……虚狼殿は」
「怖いかもしれないけど、虚狼も一緒に頼む。使うにしろ、虚狼は強すぎるんだ」
一瞬、アリシャが嫌そうな顔をしたけど、見ないふりをする。
「じゃ――頼んだよ」
そう言うと、視界の隅でアリシャの影が揺れた。
「さてと、どうしたものか」
未だにレイラの体は変態を続けていて、胸から突き出した肋骨がドーム状に形を作って膨らみだしていた。
「まるで――ドラゴンじゃないか」
レイラがゆっくりと地面に降り立つ。
肥大化した手足が真下にいた、アンデッドたちを踏み潰した。
「こんなになっちゃって、酷いもんだ。元に戻ることはないなら、ゆっくり寝てもらうしかないだろうな――」




