第三十話 食あたり
「どうしてこんなところに……?」
月が雲に隠されて、光が消え去った闇に浮かぶように白いドレスを纏った女性にアリシャが気づく。
ヴァンパイアと化した彼女の瞳は、闇の中でも関係なく見えているようだった。
常人では微かにしか見えないくらいの距離のはずが、アリシャはその人物の名前を口ずさむ。
それは、王都ドラグニル、王位継承第四位、レイラ=ドラグーン。
「私は……いや、私はロラーナ姫を守ると決めたのだ」
ロラーナを守ると決めたアリシャだったが、レイラも王女である。
そのせいで、サリスに言われた殺せと言う命令と騎士としての務め、どちらを優先すべきか迷っているようだった。
(このままこちらに来なければ、たまたま夜風に当たりに来たのだろうと、流せるのだが……)
そう心で思うが、レイラの足はこっちに向かっているようである。
「しかし、様子がおかしい」
おぼつかない足取りで、何度も躓いて前のめりになっている。
そのたびに、体がぐわんと揺れて、大袈裟に後ろに仰け反りながら再び歩き出す。
何者かに操られている人形のようで、よたよたとした足取りではあるが止まることはない。
アリシャが屋根から飛び降りると、即座に走り出す。
「私は……本当に人をやめたようだ」
走っている最中に、アリシャがそう呟く。
魔法も何も使ってないのに、その速度は馬よりも速い。
レイラとの距離をまたたく間に縮めて、目前に到着した。
「レイラ様、止まってください」
アリシャが声をかけるが、レイラはそれに応えることはしない。
「止まってください!」
語気を強めるが、よろよろとした足取りのままレイラは足を止めなかった。
「誠に申し訳ありませんが……それ以上は敵対行為とみなさせていただきます」
アリシャが剣を構える。
柄を持つ手がわずかに、震えているようだった。
「申し訳ございません」
そう謝りながら、アリシャが前に踏み出した。
纏った鎧がガチャっと音を立てて、その後に重たい物が地面に転がる音がする。
「――なっ!?」
空から降り注ぐ赤い雨は、アリシャに容赦なく打ちつける。
王都に忠誠を誓った証しである鎧と剣は、その象徴たる人物の血で真っ赤に染まった。
ただ、首を飛ばされたレイラの体は倒れることなく前に進もうとしていた。
――うふふっ
レイラの笑い声。
地面に転がったレイラの顔にアリシャは目を向けた。
「――――!」
銀色の隙間から見えた彼女の瞳は、裏返ったように白目を向いている。
青紫色のレイラの唇は歪んで、微笑み続けていた。
アリシャが後ろに飛び退いた。
そして、もう一度レイラの胴体に騎士の剣を振るう。
両腕を切断し、足を切断する。
心臓に向かって剣を突き刺したが、のたうち回るように体だけが動く。
アリシャは体を細切れにする。
何度も、何度も、なンども。
恐怖なのか、ヴァンパイアとして血に飢えているのかすら分からない。
「…………美味しい」
口元が赤く染まって、レイラの肉片をアリシャは口にしていた。
恍惚とした表情で、アリシャは血を頬に塗り、笑っている。
「はははっ――!」
三日月のように吊り上がった口が大きく裂けて、長く尖った舌がだらりと垂れ口の周りについた血を舐め取った。
「レイラ様は、大変美味です」
◇
「アリシャ、貴様は何をしていた?」
リズアラの家の前に戻ったアリシャを待っていたのは、サリスだった。
両手には、大切そうにレイラの頭を抱えている。
「マスターの言う通り、怪しい人物を殺しました」
「はぁ〜、お前な――そんなもん喰ったら、腹を壊すぞ?」
「え? 新鮮な血と肉で――」
アリシャが言葉を言い切る前に、彼女の体が膨張してはじけ飛ぶ。
その拍子に、アリシャが抱えていたレイラの頭が地面に転がって、狂ったように笑い出す。
跡形もなくなったアリシャの代わりに立っているのは、裸の女だった。
地面に転がった自身の頭を拾いあげて、首元に持っていくと、神経が触手のように伸びて、切り離された頭と胴体が一つになった。
自身の背中を向いていた顔がぐりんと回転して、サリスに向く。
「つまらぬ」
サリスがそう言って背中を向けた。
「アリシャ、お前の食べ残しだ。ちゃんと始末しとけ」
そう言い残して去ろうとすると、レイラの手が伸びてサリスに襲いかかる。
「――マスター、了解しました」
肉片と化したはずのアリシャが現れると、レイラの腕を切り飛ばした。
サリスに背中を向けたまま返事をする。
「次はちゃんと殺せ」
サリスは短く言葉を残して、家の中に戻った。
「レイラ様……あなたに何があったんですか?」
アリシャが問いかけても、やはりレイラからは返事はない。
ずっと笑っているだけで、見た目だけはレイラだが、中身は別のものが住んでいるようだった。
「仕方ありませんね。次はちゃんと食べられてください――レイラ様」




