第二十九話 赤い友人の初任務
「これ……父のですけど、使ってください」
俺とロラーナ、サリスとアリシャはカエラの部屋を出て、一階に集まっていた。
そこにリズアラが二階から降りてきて、姿を見せる。
その手には、白い服が握られていて、俺に手を伸ばしてきた。
「いいのか?」
受け取りながら、リズアラに声をかけると「ええ」、と返事が返ってくる。
俺はおもむろに着ていた服を脱ごうとするが、肌に纏わりついた布を剥がすことすらやっとだった。
「きゃっ!」
可愛らしい声を出してロラーナは背を向けた。
「お召し物はお預かりいたします」
「いいのか?」
「はい。あなた……ラグル様には返せないほどの恩をいただきましたので、喜んでお受けいたします」
初めて出会った時のリズアラとは違い、今は敵意はない。
感情の分かりにくい顔をしているが、その声色は少しだけ柔らかかった。
「あざーっす」
と、いつものお礼の言葉をいいながら、汗まみれの服を嫌な顔一つせず受け取ると、リズアラはどこかに消えて行く。
「して、ラグルよ。お前らしくない」
「何がだ?」
リズアラから借りた服の前のボタンを締めながら、サリスに聞き返す。
「魔力馬鹿の癖に、だいぶ枯渇しているようだが」
「ああ、それか。カエラって子を傷つけないように慎重にやったからな。それと、普段あまり使わない回路を使ったのも影響してる」
「なるほど、貴様にもそう言う側面があるのか」
サリスは何やら考えるように、顎に手を当てていた。
「人間って、サリスの言う通り脆いらしい。俺の魔力を通すのですら、かなり慎重にならざるを得なかったんだよ」
「規格外ゆえの、悩みか……まあ、よい。今日は休め。後はアリシャと俺でなんとかする」
「そうさせてもらおうかな」
「して、ロラーナよ。ラグルのそばにいてやれ」
「はい! ラグルさん、横失礼しますねっ!」
床に座っていた俺のすぐ横に、ロラーナが腰を降ろす。
汗くさい俺と違って、彼女の髪がなびいた瞬間、甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
その匂いは顔も覚えていない母に似ていて、まだ火照っていた体から、力がすっと抜ける感じがした。
ああ、眠い。
瞼が異様に重い。
こんなに耐えられないくらい眠いのも、久しぶりだ。
自然と瞼が閉じて、ロラーナの肩に頭が触れたけど、元の位置に戻す体力すらなかった。
◇
「ラグルさん、寝ちゃいました」
ロラーナ=ドラグーンは、肩に頭を預けたラグルに目を向けながらそう呟いた。
「規格外だが、こう見ると普通の人間のようだな。そやつは」
「本当ですね。話ではマスターでも勝てなかったのですよね」
「おほんっ! アリシャ、我はマスターではない。と、まあそうだ。しかも、あれで本気を出してなかったらしいからな――化け物よ」
アリシャがマスターと呼ぶたびに、サリスは否定するがあまり気にした様子はなかった。
吸血鬼として、一度でも繋がったことで、アリシャはサリスに心を開いているのかもしれない。
サリスもサリスで、本気で嫌がっているわけではなく、むしろ自分の子供をみているような眼差しを向けていた。
「お二人が仲良しで、良かったです」
ロラーナは座りながらそう言うと、サリスは鼻で笑う。
「はっ! 仲がいいだと? 真祖によってヴァンパイアになったが、まだまだ新参ものだ。それを導くのが、我の役目でもある。ただ……それだけだ」
「マスター、いろいろ私めに教えてください」
そんなやり取りを見ていたらロラーナは、再びクスリと笑う。
「して、アリシャ。お前は屋根に登って見張れ」
「はい、マスター」
「この家に近づこうとする者、殺気を放つ者、その全てを見つけて――殺せ」
アリシャが、「はっ!」と声を張り上げて、全身が砕けるように無数のコウモリへと姿を変えた。
「我は、リズアラと、あの子供の側にいよう。ロラーナは、虚狼に守ってもらえ」
サリスが消えると、ラグルの腰から斧がひとりでに飛び出してくる。
持ち手を器用にくねらせて、正座しているロラーナの上に横になった。
「虚狼ちゃん、またよろしくお願いしますね」
ロラーナが指の腹で撫でると、嬉しそうに虚狼は震えていた。
◇
「ふぅ……」
屋根の上にコウモリの集団が集まると、人の形を形成する。
そこから出てきたのは、アリシャ=グルーガだった。
呼吸を整えるように、軽く息を吐き出した彼女は腰に下げていた剣を引き抜いた。
クロスガードの表面には、王都ドラグニルを象徴する竜が描かれている。
アリシャの真面目な性格を現すように、刃元から剣先にかけてしっかり手入れされており、月光を反射してアリシャの顔を照らした。
赤い瞳に、赤い髪色。
口呼吸する彼女の唇からは、鋭い牙が見え隠れしている。
アリシャは顔を左右に動かして周囲を見回す。
「人の気配は、特にしない」
リズアラの家は、少し街から離れているようで隣接する家はない。
舗装された道と、控え目に立っている街路樹が見えるくらいで、他には何もなかった。
「私……ヴァンパイアになったんだよな」
アリシャの口から、不意にそんな言葉が出た。
「いつもと変わらない。しいて言えば喉が渇いたことと……ありえない」
遠くを見て目を細めた彼女は、何かを否定する。
「あんなに遠くのものまで……だけど、ロラーナ姫を守るためには好都合か」
尖った屋根の先端を跨ぐように立っているアリシャが、そう呟く。
どうやら、自分が本当にヴァンパイアなのか、今も実感がないらしい。
鎧に包まれた指先を握ってみたり、軽く剣を振るってみたりと、自分の体を確かめているようだ。
「マスターに命令されたけど、私にできるのか?」
野盗にも負けて、村長に変装した敵にも負けた。
ここまで守る立場の彼女は、助けられてばかり。
アリシャが発した声は、重たく闇に消える。
「――このまま、何もなければいいんだが……」
あれから一時間くらい経過しているが、しん、と静まり返った世界にはアリシャの息遣いしかない。
緊張し続けているせいか、運動をした後のように荒い呼吸だった。
――はぁ、はぁ、んっ
たまに唾を飲み込む音。
――はぁ、はぁ……ふふっ
女の笑い声がした。
「――レイラ……様?」




