第二十八話 解呪作業
これまた厄介だ。
「竜の涙って持ってきてる?」
「あ、はい。一応、小さい小瓶に分けて持ってきてます」
「それならカエラに飲ませてくれ」
この呪いを解くとなると、かなり時間がかかる可能性がある。
体力を少しでも戻すのに、バルバトの涙があればかなり心強い。
ロラーナはカエラの頭に腕を添えて、軽く持ち上げると口元に竜の涙を近づける。
「んっ……」
「ごめんね。カエラちゃん、これを飲んでね」
薄っすらと目を開けたカエラは、光の灯らない瞳でロラーナを見て、小さく頷いてから、竜の涙を口にした。
竜の涙が喉を通ると、電気が流れたように体が痙攣を始める。
「――ラグル!?」
「落ち着いて。今、死にかけてる内臓が治ってるんだと思う」
医者じゃないから、何が起きてるか分からないけれど、バルバトの涙はどんな傷も癒す。
病気や呪いには効かないかもしれないが、呪いで弱った体には効果があるはずなのだ。
カエラの痙攣はすぐに落ち着き、カーテンが閉じられて暗くなった部屋でも分かるくらい、頬に赤みが戻っていることが見て取れた。
「ロラーナ、後は任せてくれ。リズアラが起きた時のために、側にいてやって欲しい」
「分かりました……」
俺はいつになく、真剣な口調でロラーナに告げた。
背後から扉が閉まる音がする。
完全に閉じきると、カエラの手を握って目を閉じた。
「さあ、やるぞ」
一言、誰にでもなく呟いて、カエラの体の中に自分の魔力を通す。
神経の一本、一本に呪いが刻まれてるのではないかと言うくらい複雑に術式が絡み合っている。
力ずくで全てを解いてしまいたいが、そんなことをしたらカエラの体が内側から吹き飛んでしまう。
慎重に、縄を解くように、蔓延った呪いを解いていく。
暑い。
肌から汗が滲むのが分かる。
顎から落ちた汗が床に落ちた。
今も額から滲んだ汗が頬を伝い、それのせいでむず痒さも襲ってくるが、我慢してカエラの手を握り続ける。
どれくらい時間が経ったのか、その感覚すら曖昧だ。
数分、数十分、数時間。一日は経ってないはず。
これで最後――
「――終わった」
カエラの体の中には、呪いは欠片もない。
「ロラーナ達のところに、行かないと」
立ち上がろうとするが、足に上手く力が入らなくてその場に倒れる。
ドスンッと家を揺らしたと思えば、隣の部屋から慌ただしく扉を開く音がした。
「参ったな……こんなに疲れたのは久しぶりだ」
だけど、やりきった。
これでカエラは助かっただろう。
熱い空気を口から吐き出した直後、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「――カエラ!」
部屋に飛び込んできたのはリズアラだった。
真っ先に妹のカエラの元に走り寄って、体を抱きしめる。
「ラグルさん!」
遅れて入ってきたロラーナは、へたり込むように座る俺を見て、驚いたように駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!?」
「俺は疲れただけ。でも、全部終わったよ」
「それは、カエラちゃんの病気は」
「完治した。いや、解呪に成功した」
俺がそう告げると、リズアラは更に強く妹を抱きしめる。
「お姉……ちゃん。苦しいよ」
目を覚ましたカエラが、リズアラに言葉をかける。
「カエラ! カエラ!」
「ねぇ、お姉ちゃん。私、治ったのかな? 凄く体が軽いんだ」
カエラの言葉を聞いて、リズアラが鼻を啜る。
「ラグルお兄ちゃん……ありがとう」
「はは、どういたしまして」
俺はカエラの手を握って、笑顔を向ける。
「てか、立てねぇ……」
ベッドにもたれかかるように座り込んだ俺の体は、鉛のように重たかった。
足に力を込めるが、ぴくりとも動かない。
「なんだ、だらしない」
ポケットがもぞもぞと動くと、コウモリが部屋の中を飛ぶ。
「ふぁ〜……もう朝ですか?」
ロラーナの隠しポケットから、眠たそうに白いコウモリが顔を出す。
アリシャとサリスだ。
「リズアラ、大丈夫だよ。二人は味方だから」
二匹のコウモリが部屋の中を好き勝手に飛び交って、人の形に姿を変える。
「ほう、お前がここまで疲れ切ってるのは初めて見たわ」
「俺もこんなになるのは、久しぶりだよ」
サリスがおもむろに手を伸ばしてくる。
予想外の行動に、一瞬戸惑ったが俺はその手を握った。
引っ張られる彼の手に従うように、なんとか立ち上がることはできたが、立っているのがやっと。
ロラーナは急いで近づいてきて、俺の体を抱きしめるように支えてくれた。
「汗臭いから、離れた方がいいよ。ロラーナ」
「ううん、そんなことないです。いっぱい頑張ってくれた、いい匂いです」
どこまでも、ロラーナはロラーナだった。
「私もロラーナ姫の匂いがします!」
そう言い切ったアリシャは、この甘い雰囲気をぶち壊してくる。
「少しは空気を読め。アリシャ」
まさかのサリスからの叱責を受けて、アリシャがしゅっと縮こまる。
「そして、ラグル。お前は休め、ここからは俺の番だ」
「そうですね。ラグル殿は休んでください」
サリスとアリシャがそう言ってくる。
「それは助かるけど……」
俺はカエラとリズアラに目を向ける。
それだけで察してくれたサリスが、にやりと笑う。
「呪いを解いたのだ。恐らく、術者が見に来るかもな」
リズアラはサリスの言葉を聞いて、体が強張った。
「リズアラ、聞いてくれ。カエラはもう大丈夫だ。それは俺が断言する。ただ、呪いに気づいた俺達を術者が殺しにくるかもしれない」
あそこまでバレないように、細工を施していたんだ。
敵が気づいていないわけがない。
恐らく今日か明日にも、口封じに来る可能性がある。
「え! どうしましょう!? ラグルさん!?」
「落ち着くまで、二人の側を離れないほうがいいだろうな……」
サリスに目配せをすると、何かを探るような視線を向けてきた。
「ラグル、お前はこの女を認めたのか?」
リズアラを見ながらサリスがそう言った。
「そうだな……悔しいけど、認めるしかない」
「ほう。なら……いいだろう。ロラーナを守るついでに、我が守ってやる」
錆びたサリスの瞳がリズアラを真っ直ぐに捉えた。
リズアラはカエラをそっと寝かせて、サリスに体を向ける。
お互いが何も言わずに見つめ合い、静かな空気が部屋の中を満たした。
そして、最初に口を開いたのはサリスだった。
「揺るがない瞳……なるほど。ラグルを心で屈服させたか。よかろう……名を何と言う?」
「リズアラ……リズアラ=エイス」
「サリス=シルヴィルイスの名において誓おう。お主ら二人の命は我が保証する」
声が少しだけ上ずったサリスが、リズアラにそう告げる。
「珍しいな、サリス。アリシャの時ですら、あんなに文句を言っていたのに」
「貴様が認めた人間だ。我の圧を前にしても、瞬きすらしなかった。確認するまでもない、コヤツの心は間違いなく――強い」
吸血鬼の王たるサリスですらも、リズアラを認めた。
「こういう手合いは、死ぬまで諦めぬ。執念深くて、義理堅い。アリシャより、よほど出来上がっておる」
「なっ!? マスター!」
「我は貴様のマスターではないぞ? アリシャ」
「そうですが……」
「なに、アリシャはこれからだ。何せ、老いることも、簡単に死ぬこともできぬのだからな。カカカッ!」
サリスの笑い声が、部屋の中にこだまする。
愉快そうに笑い続け、彼は自分の感情を隠すことすらしなかった。




