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第9話 友好条約と友達

 人間界における友人関係は、予想以上に成立が早い。


 少なくとも、ティナ・マールという少女に関してはそうだった。


 入学式の直後。


 彼女は私の手を握り、笑顔でこう宣言した。


「今日から友達ね!」


 今日から。


 友達。


 あまりにも早い。


 魔王城であれば、同盟を結ぶにはまず相手の家系、兵力、領地、財政状況、過去三代の裏切り歴、食糧備蓄量、暗殺未遂回数を確認する。


 そのうえで代表者同士の会談を行い、条件を詰め、誓約書を交わし、ようやく「暫定的協力関係」となる。


 それに比べ、人間の友人関係は速すぎる。


 握手。


 笑顔。


 今日から友達。


 以上。


 危険ではないだろうか。


 いや、危険と決めつけてはいけない。


 父上は言った。


 見る前に、決めつけるな。


 ノノも言った。


 友人は、友人と呼べ。


 ならば私は、この人間社会における友人という関係を、正しく学ばねばならない。


「それで、友好条約の詳細ですが」


「まだ言ってる!」


 勇者学校の大講堂を出てすぐ、ティナは笑いながら言った。


 入学式を終えた新入生たちは、教師の指示で各教室へ移動している。


 校舎の廊下は、真新しい制服を着た生徒たちで賑やかだった。


 誰もが緊張と期待を抱え、知り合いを探し、教師の案内に従い、時々迷っている。


 ポルカはすでに三度ほど道を間違えかけていた。


「こっちで合ってますよね? 合ってます? 廊下って全部同じ顔してません? これ、校舎に擬態した迷宮じゃないですか?」


「校舎です」


「ルシェラさんが断言すると逆に怖い……!」


「なぜですか」


「なんか、迷宮でも普通に攻略しそうだからです」


 ポルカは自分の鞄を抱え直し、廊下の先を不安そうに見た。


 その様子を見て、ティナが笑う。


「大丈夫だよ、ポルカ。案内板あるし」


「案内板がある迷宮もあります」


「ポルカ、勇者学校に来たんだからもうちょっと前向きにいこうよ」


「前向きに逃げ道を探します」


 この二人も、もう会話が自然になっている。


 人間の関係構築速度は本当に速い。


 私は心の中で記録した。


 友人関係は、正式書類なしに成立する場合あり。

 ただし、当事者間の認識差に注意。


「それで、ティナ」


「うん?」


「友人とは、具体的に何をする関係なのでしょう」


 私が尋ねると、ティナは目をぱちぱちさせた。


「具体的に?」


「はい。条件を確認しておくことで、後の誤解を防げます」


「うーん……一緒にご飯食べたり、話したり、困った時に助けたり?」


「なるほど。食事、情報交換、相互支援」


「そう言うと急に仕事っぽい!」


「仕事ではないのですか」


「違うよ。友達だよ」


 友達。


 また出た。


 定義が広い。


「では、友人には指揮権がありますか」


「ないない」


「相互防衛義務は?」


「そんなに堅くはないかな」


「裏切った場合の罰則は?」


「ないよ!?」


「罰則なしで成立するのですか」


「友達って、そういうものじゃない?」


 ティナは少し困った顔で笑った。


 罰則なし。


 書類なし。


 指揮権なし。


 それでも成立する関係。


 人間社会は、想像以上に曖昧なつながりを重視するらしい。


 私は眉間に力が入りそうになるのを抑えた。


「では、友人関係は脆弱では?」


「んー、そういう時もあるけど」


 ティナは少し考えた後、言った。


「でも、だからいいんじゃない?」


「脆弱だから、いい?」


「うん。だって、決まりで縛られてるわけじゃないのに、一緒にいたいって思うんでしょ? それって、ちょっとすごくない?」


 私は足を止めかけた。


 決まりで縛られているわけではない。


 それでも一緒にいる。


 それは、魔王城の主従関係とも、軍の命令系統とも違う。


 忠誠ではない。


 契約でもない。


 命令でもない。


 では、何なのだろう。


 私は答えを探そうとしたが、見つからなかった。


 分類不能。


 継続観察が必要。


「ねえ、ルシェラ」


「はい」


「今、また何か難しいこと考えてたでしょ」


「友人関係の構造について」


「やっぱり!」


 ティナは楽しそうに笑った。


「いいよ。ルシェラが難しく考える係なら、あたしは簡単にする係やるから」


「簡単にする係」


「うん。たとえば、友達になったらまず名前で呼ぶ!」


「名前」


「そう。だから、あたしのことはティナでいいよ。マールさんとか、ティナさんとかじゃなくて」


「ティナ」


「うん!」


 ティナは嬉しそうに頷く。


 私は少しだけ口の中でその名を転がした。


 ティナ。


 明るい平民生徒。


 回復魔法が得意。


 高機動友好接触能力あり。


 距離が近い。


 ……いや。


 ティナ。


 友人。


 そう記録すべきなのだろう。


「では、私のこともルシェラで構いません」


「うん、もう呼んでる!」


「そうでした」


 人間は速い。


 やはり速い。


 私たちは案内に従い、一年生の教室が並ぶ棟へ向かった。


 勇者学校の校舎は、外から見た印象と同じく明るい。


 白い壁、磨かれた床、窓から差し込む光。


 廊下の壁には、歴代勇者の肖像画が掛かっている。


 それぞれが凛々しい顔で剣を掲げていた。


 魔王城の歴代魔王肖像画は、基本的に「近づくな」「逆らうな」「跪け」という圧を放っている。


 一方、こちらの勇者肖像画は「信じろ」「進め」「守る」といった圧を放っている。


 どちらも圧があることには変わりない。


 ただ方向が違う。


「ルシェラ、どうしたの?」


「勇者の肖像画を観察していました」


「格好いいよね」


「人間にとっては、やはり憧れの対象なのですか」


「そりゃそうだよ。勇者って、人を守る人でしょ?」


 人を守る人。


 ティナは何の迷いもなく言った。


 私は壁の肖像画を見る。


 そこには、魔族側の記録では幾度も魔王軍を破った者たちが描かれている。


 魔族にとっては恐るべき敵。


 人間にとっては守護者。


 同じ人物でも、見る側によって意味が変わる。


「……なるほど」


「ルシェラ?」


「いえ。勉強になります」


「また勉強してる」


 ティナが笑った、その時。


 前方から聞き覚えのある声がした。


「おい、そこ。廊下の真ん中で立ち止まるな」


 アレン・フォルクだった。


 彼は片手に教科書の束を抱え、もう片方の手で頭をかいている。


 入学式の時より、少し制服を着崩している。


 人間の制服とは、こんなに早く崩してよいものなのだろうか。


 校則違反ではないのか。


「アレン!」


 ティナが明るく手を振る。


「同じ棟なんだね!」


「らしいな。運が悪い」


「えー、ひどい」


「主に俺の運が」


 アレンはそう言って、私を見る。


「で、友好条約は締結できたのか」


「条件の一部確認中です」


「まだやってたのか」


「友人関係は想像以上に曖昧で、制度として不安定です」


「友達を制度で考えるな」


 やはりアレンのツッコミは速い。


 ティナが笑う。


「アレンも友達になればいいのに」


「嫌だ。絶対面倒だろ」


「面倒ではありません。条件は相談可能です」


「だからそういうとこだよ」


 アレンは呆れた顔をした。


 だが、完全に離れようとはしない。


 会話を拒絶しているようで、受け答えはしている。


 彼もまた、関係を完全に断つわけではないらしい。


 難しい個体だ。


「ところで、あなたも同じクラスですか」


「たぶんな。掲示、見てないのか?」


「まだです」


「教室前に貼ってある。ほら」


 アレンが顎で廊下の先を示す。


 そこには、一年生のクラス分けが掲示されていた。


 新入生たちが集まり、自分の名前を探している。


 ティナが駆け出す。


「見よ見よ! 同じクラスだといいな!」


「走ると危険です」


「廊下は走らない方がいいですよぉ……たぶん先生に怒られますぅ……」


 ポルカが言いながら、自分も小走りでついていく。


 私は歩調を速めた。


 掲示板には、いくつかのクラス名が並んでいる。


 一年一組。


 一年二組。


 一年三組。


 勇者学校は、どうやら能力別ではなく、ある程度混合でクラスを編成しているらしい。


 戦場での多様な役割を想定しているのか。


 それとも貴族と平民を意図的に混ぜているのか。


 興味深い。


 私は自分の名を探した。


 一年二組。


 ルシェラ・ディア。


 あった。


「やった!」


 ティナが隣で跳ねた。


「あたしも二組! 同じクラス!」


「私も二組です」


「友達効果だね!」


「クラス編成に友人関係が影響した可能性は低いと思われます」


「そこは喜んでよ!」


 ティナは頬を膨らませる。


 喜ぶ。


 そうか。


 ここは喜ぶ場面らしい。


「……同じクラスで、嬉しく思います」


 私が言うと、ティナは一瞬きょとんとした後、満面の笑顔になった。


「うん!」


 その笑顔は、やはり眩しい。


 人間界の空に似ている。


「ぼ、僕も二組です!」


 ポルカが掲示を見ながら叫んだ。


「よかった……知ってる人がいる……完全孤立ルート回避……!」


「ポルカも一緒だね!」


「はい! よろしくお願いします! できれば危険が来たら教えてください!」


「自分で先に気づくでしょ、ポルカは」


「怖いものには気づきます!」


 ポルカも同じクラス。


 情報収集役として有用。


 いや、友人候補としても、というべきか。


 私は掲示板の続きに目を向けた。


 アレン・フォルク。


 一年二組。


 同じクラスだ。


「アレンも二組です」


「見えてる」


「同じ教育部隊ですね」


「クラスだ」


「同じクラスですね」


「よし」


 アレンは面倒そうに言いながらも、訂正はしてくる。


 不思議な律儀さがある。


 さらに名簿には、クロード・レインハルト、ミナ・オルステッドの名もあった。


 試験で目に留まった者たちが、かなり同じクラスに集まっている。


 偶然か。


 それとも、学校側が意図的に多様な資質を組み合わせたのか。


 勇者学校の編成方針は要調査。


「おや、君たちも二組か」


 声がして振り返ると、クロードが立っていた。


 彼は名簿を見て、少し複雑そうな表情をしている。


「ルシェラ・ディア、ティナ・マール、ポルカ・リント、アレン・フォルク……ずいぶん変わった組み合わせだな」


「変わったって何ですか」


 ティナが少し眉を寄せる。


 クロードは悪気なく言った。


「貴族、平民、支援型、情報型、低適性の勇者血統。編成意図が読みづらいという意味だ」


「低適性って言い方、やめなよ」


「事実だろう」


 空気が少し硬くなる。


 アレンは肩をすくめた。


「別にいい。測定石公認の低適性だ」


「アレン」


 ティナが困った顔をする。


 私はクロードを見た。


「クロード」


「何だ」


「あなたは、家柄を重視するのですね」


「当然だ。家は責任を背負う。僕たち貴族は、その責任にふさわしい振る舞いを求められる」


「なるほど。では、あなたは貴族として、平民より多く責任を負うのですね」


 クロードは少しだけ胸を張った。


「その通りだ」


「では、クラス内で問題が起きた場合、あなたは率先して負担を引き受ける立場ということですね」


「……そういう話ではない」


「責任なき特権の話でしたか?」


 沈黙。


 ティナが目を丸くした。


 ポルカが「切れ味が……」と小さく震えた。


 アレンは口元を押さえている。


 クロードは顔を赤くした。


「君は、言葉が鋭すぎる」


「申し訳ありません。確認しただけです」


「確認で人を刺すな」


 アレンが横から言った。


 刺したつもりはない。


 だが、クロードの反応を見るに、かなり深く入ったらしい。


 注意しよう。


 人間社会では、正論も刃物になる。


 クロードは咳払いをした。


「とにかく、同じクラスになった以上、互いに恥ずかしくない振る舞いをすべきだ。勇者学校の名に傷がつく」


「同意します」


「……君は素直なのか、喧嘩を売っているのか分からないな」


「素直です」


「それが一番厄介だ」


 クロードはそう言って、教室へ向かった。


 完全な悪人ではない。


 面倒だが、責任という言葉に反応する。


 扱い方次第では、クラス運営に有用。


 私は心の中で分類する。


 クロード・レインハルト。貴族代表。責任感あり。特権意識あり。正論耐性やや低。


「ルシェラ、今のすごかった」


 ティナが小声で言った。


「何がでしょう」


「クロードにあんな風に言える人、なかなかいないよ。貴族だし」


「貴族には責任があるのでしょう?」


「そうなんだけど、みんなそこまで正面から言わないっていうか」


「なぜですか」


「面倒だから」


 なるほど。


 面倒を避けるために、言うべきことを言わない。


 これは組織運営上、問題が蓄積する原因となる。


 要注意。


 その時、少し離れた場所にミナの姿が見えた。


 彼女も二組の名簿を確認し、静かに教室へ向かおうとしている。


 ティナが声をかけた。


「ミナも二組だよね! よろしく!」


 ミナは立ち止まり、こちらを見た。


「……よろしく」


 短い。


 だが拒絶ではない。


 彼女の視線が私に向く。


「ルシェラ・ディア」


「はい」


「入学式の宣誓、少し変だった」


 アレンが吹き出しかけた。


 私は表情を保つ。


「緊張していました」


「そう」


 ミナはそれだけ言うと、教室へ入っていった。


 対魔族感情あり。


 観察力もある。


 発言は少ないが、見ている。


 このクラス、要注意個体が多すぎるのではないか。


 私は少しだけ不安になった。


 一年二組の教室は、廊下の中ほどにあった。


 扉の上に木製の札がかかっている。


 中へ入ると、すでに半数ほどの生徒が席についていた。


 教室は明るく、窓から校庭が見える。


 机は整然と並び、黒板には大きく「入学おめでとう」と書かれていた。


 また祝意。


 本当に人間界は、入学をよく祝う。


 黒板の横には、担任教師の名が書かれていた。


 グレイン・バルド。


 実技試験の教師だ。


 敵教育機関の実戦指導者が担任。


 これは偶然か。


 それとも、私たち二組が問題児の集まりなのか。


「席、自由かな?」


 ティナが教室を見回す。


 前方の黒板には「本日は自由席」と書かれていた。


 自由席。


 つまり、初期配置は生徒の判断に委ねられる。


 人間関係の初期形成を観察するには有効な方式。


 私は教室内の席を分析した。


 前列は教師に近く、発言機会が多い。


 後列は観察に適し、目立ちにくい。


 窓際は外部確認に有利。


 出入口近くは緊急時の撤退に適する。


 潜入任務としては、後列の端が望ましい。


「ルシェラ、こっち座ろ!」


 ティナが中央付近の席を指した。


 中央。


 目立つ。


 周囲と会話が発生しやすい。


 観察対象が多い。


 潜入任務上、情報収集には有利。


 ただし、目立つ。


 私は一瞬迷った。


 アレンはさっさと後ろの席へ向かっている。


 やはり後列か。


 危険個体を観察するなら、近くの席も有効。


 しかしティナは私を待っている。


 友人。


 友人は、どうするべきか。


「ルシェラ?」


「はい。そちらにします」


 私はティナの隣の席に座った。


 ティナが嬉しそうに笑う。


 ポルカも近くの席にそろそろと座る。


「知ってる人の近く……精神安定……」


 クロードは前列寄りの席に座った。


 ミナは窓側の少し離れた席。


 アレンは後列、私から斜め後ろ。


 全員の位置を確認する。


 教室の扉が開いた。


 グレイン・バルドが入ってくる。


 ざわついていた教室が一瞬で静かになった。


 声を出さずに空気を変える。


 やはり指揮官に近い。


「一年二組の担任を務める、グレイン・バルドだ」


 グレイン教師は教壇に立ち、教室全体を見渡した。


「今日からお前たちは、このクラスで学ぶ。剣を振るう者、魔法を使う者、癒やす者、探る者、指揮する者。役割は違う。だが、一つ覚えておけ」


 グレイン教師の声が低く響く。


「戦場では、隣に立つ者を選べない。だから学校では、選ばなかった相手とも連携する練習をする」


 教室が静まり返った。


 その言葉は、重い。


 この教師は、実戦を知っている。


「貴族も平民も、血筋も適性も、ここでは評価の一部にすぎない。最後に問われるのは、生き残り、守るために何ができるかだ」


 アレンが後ろで少し顔を上げた気配がした。


 クロードも、何かを考えている。


 ミナは静かに教師を見ている。


 私はグレイン教師の言葉を記録した。


 戦場では、隣に立つ者を選べない。


 だから学校では、選ばなかった相手とも連携する。


 勇者学校は、ただの教育機関ではない。


 明らかに、戦争を前提としている。


「まずは自己紹介だ」


 グレイン教師が言った。


 教室に緊張が走る。


「名前、得意なこと、苦手なこと。そして、この学校で何を学びたいかを一人ずつ言え」


 自己紹介。


 人間社会における初期情報開示儀式。


 私は姿勢を正した。


 名はルシェラ・ディア。


 得意なことは、魔力制御。


 苦手なことは、歴史。


 この学校で学びたいことは――。


 何と答えるべきか。


 敵を知るため。


 勇者候補の弱点を探るため。


 人間の強さと弱さを見極めるため。


 どれも正直だが、言えない。


 私は事前に暗記した志望理由を思い出す。


 人々を守る力を学びたい。


 多くの人の役に立てる者になりたい。


 人々。


 その中に魔族は含まれるのか。


 私は含めたい。


 だが、ここでそれを言えば危険だ。


 自己紹介は前列から始まった。


 クロードが立つ。


「クロード・レインハルト。剣術が得意だ。苦手なことは、無責任な振る舞いだ。この学校では、貴族として恥じぬ力と責任を身につけたい」


 貴族として恥じぬ力と責任。


 彼らしい。


 次々と生徒が自己紹介していく。


 ティナの番。


「ティナ・マールです! 回復魔法が得意で、攻撃魔法はちょっと苦手です。でも、怪我した人を放っておきたくないので、ちゃんとみんなを助けられるようになりたいです!」


 明るい。


 素直。


 距離が近い。


 だが、その言葉は本物だ。


 ポルカの番。


「ぽ、ポルカ・リントです……使い魔とか、伝令とか、情報集めが得意です……苦手なことは前線と大声と怖い先生です……あっ、先生が怖いという意味ではなく、怖い先生全般が……すみません……!」


 教室に笑いが起きる。


 グレイン教師は無表情だったが、怒ってはいないようだ。


「学びたいことは?」


「生き残り方です!」


「よし」


「よしなんですか!?」


 また笑い。


 ミナの番。


「ミナ・オルステッド。弓と索敵が得意です。苦手なことは、油断すること。学びたいのは、魔族に負けない力です」


 空気が少し変わった。


 魔族。


 その言葉だけで、教室の温度が下がる。


 私は手を膝の上で静かに握った。


 ミナの声は落ち着いていた。


 だが、奥に冷たいものがある。


 彼女の傷は、やはり深い。


 そして、アレンの番。


「アレン・フォルク」


 彼が立つと、何人かが振り向いた。


 勇者の血筋。


 低適性。


 落ちこぼれ。


 そういう視線。


 アレンは慣れたように言った。


「得意なことは、逃げ道を探すこと。苦手なことは、期待されること。この学校で学びたいことは……まあ、落ちこぼれでもできることがあるかどうか、ですかね」


 皮肉っぽい。


 だが、最後の言葉だけ少し本音に聞こえた。


 落ちこぼれでもできることがあるかどうか。


 私はその言葉を記録する。


 重要。


 そして、私の番が来た。


 私は立ち上がる。


 教室の視線が集まる。


 ティナが期待するように見ている。


 アレンが面白がるように見ている。


 クロードが品定めするように見ている。


 ミナが静かに見ている。


 グレイン教師が、まっすぐ見ている。


 私は息を整えた。


「ルシェラ・ディアです」


 偽名。


 だが、私の名。


「得意なことは、魔法の基礎制御です」


 極めて高い制御、と言いそうになったが抑える。


「苦手なことは……歴史です」


 アレンが後ろで小さく笑った気配がした。


 何か問題があるだろうか。


 設定上、歴史は不得意である。


 私は続けた。


「この学校で学びたいことは」


 言葉が止まる。


 敵を知るため。


 そう言ってはいけない。


 人々を守る力。


 それは模範解答だ。


 だが、私にとっての人々とは、誰だ。


 人間だけか。


 魔族もか。


 まだ分からない。


 だから私は、少しだけ言葉を変えた。


「私は、まだ知らないことが多いです」


 教室が静かになる。


「この学校で、人間のことを――」


 また危ない。


 あなたたち、と言いそうになる。


 私は言い直す。


「多くの人のことを知り、自分が何を守るべきかを学びたいと思っています」


 言い終えた。


 やや抽象的。


 だが、不自然ではないはず。


 ティナが嬉しそうに頷いている。


 クロードは少し意外そうだ。


 ミナは表情を変えない。


 グレイン教師は、何かを測るように私を見ている。


 アレンは頬杖をつき、こちらを見上げていた。


 その目は、笑っていない。


 見ている。


 私の言葉の裏を。


 私は席に座った。


 自己紹介が終わると、グレイン教師が簡単な連絡を始めた。


 授業日程。


 寮の規則。


 実技訓練。


 初回の基礎戦術講義。


 明日から本格的に学校生活が始まる。


 教室は徐々にざわつきを取り戻した。


 ティナが小声で話しかけてくる。


「ルシェラの自己紹介、よかったよ」


「そうでしょうか」


「うん。なんか、真面目でルシェラっぽかった」


「私は真面目すぎて目立つと指摘されています」


「それもルシェラっぽい」


 褒められているのだろうか。


 判断が難しい。


 授業初日の連絡が終わり、解散となった。


 生徒たちが教室を出ていく。


 ティナは寮の場所を一緒に確認しようと言い、ポルカは迷子にならないために同行を希望した。


 私は頷く。


 友人関係の観察に有益。


 いや。


 友人との移動。


 そう言い換えるべきか。


 教室を出ようとした時、後ろからアレンの声がした。


「ルシェラ」


 私は振り返る。


「はい」


「お前さっき、人間のことを、って言いかけただろ」


 心臓が静かに跳ねた。


 ティナは気づいていない。


 ポルカも気づいていない。


 だが、アレンは気づいている。


「言い間違いです」


「そうか」


「はい」


「本当に嘘が下手だな」


 アレンはそう言って、私の横を通り過ぎた。


 それ以上は聞かなかった。


 私はその背中を見る。


 危険個体。


 観察力が高い。


 私の偽装に気づく可能性あり。


 距離を置くべき。


 そう分かっている。


 だが、なぜか。


 彼には、いつか正しく説明しなければならないような気もした。


 私は胸元のお守りに触れた。


 勇者学校、一年二組。


 友人ティナ。


 情報収集能力の高いポルカ。


 責任感の強いクロード。


 魔族への感情を抱えるミナ。


 落ちこぼれ勇者候補アレン。


 敵組織の一クラス。


 そう分類するには、少し情報が多すぎる。


 私は心の中の報告書に、今日の結論を書いた。


 ――人間の外交速度は異常。

 ――友人関係は書類なしに成立する。

 ――一年二組、観察対象多数。

 ――ただし、分類だけでは不十分な可能性あり。


 最後の一文は、なぜか消さずに残した。

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