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第65話 怒っても、名前で呼ぶ

 小談話室は、教室よりも狭い。


 だが、狭すぎない。


 丸い机が一つ。


 椅子が八脚。


 窓は二つあり、外の光が入る。


 扉は一つだが、内側からすぐ開けられる。


 途中退出する者がいても、目立ちすぎない位置にある。


 セフィナ先生が選んだ場所だった。


 私は放課後、その小談話室に準備のため少し早く入った。


 机の上に置くものを確認する。


 茶器。


 水。


 小さな焼き菓子。


 ティナが用意した薄焼き。


 白紙。


 羽ペン。


 ただし、記録用紙は一枚だけ。


 個人名は書かない。


 決まった扱い方だけを書く。


 壁には、今日の約束を書いた紙を貼る。


 ――怒りを消さない会 第一回。


 目的。

 怒りを消すことではなく、怒りがある時の行動を考える。


 約束。

 一、話したくないことは話さなくてよい。

 二、大きな言葉で誰かを一括りにしない。

 三、怒っても、相手を名前で呼ぶ。

 四、怖い、重い、休みたいを報告してよい。

 五、胸の前に手を上げたら休憩。

 六、途中退出可。

 七、記録は個人名なし。決まった扱い方だけ残す。


 考えること。

 怒りがある時、してよいこと。

 怒りがある時、してはいけないこと。

 怒っている人の近くにいる人ができること。


 全部、一枚に収まっている。


 私はそれを見て、少しだけ満足した。


 長文ではない。


 成長している。


 たぶん。


「顔が少し誇らしげだな」


 アレンの声がした。


 振り返ると、彼が入口に立っていた。


「来ていたのですか」


「来た」


「早いですね」


「お前が一人で準備して、また重い顔になると思ったから」


「支援ですか」


「監視」


「言い方」


 アレンは中に入り、壁の紙を見た。


「本当に一枚だ」


「はい」


「偉い」


「子供扱いしないでください」


「じゃあ、成長」


「それも少し」


「面倒だな」


 彼は椅子を一つ引き、扉に近い位置へ座った。


「そこですか」


「途中で誰か出るなら、こっちの方が見える」


「出入口管理ですか」


「見てるだけ」


 彼はそう言った。


 見ている。


 彼にとっては、それが役割なのだろう。


 次にティナが来た。


 両手に小さな籠を持っている。


「お茶と追加のお菓子、持ってきたよ」


「十分あります」


「こういう時は、足りるくらいがちょうどいいの」


「なるほど」


 ティナは机の中央に籠を置いた。


 中には、小さな焼き菓子と薄焼き、それから飴が入っている。


「甘いのと、塩気、両方」


「士気維持物資ですね」


「うん。でも、今日は戦闘じゃないから、話すための物資」


 話すための物資。


 良い言葉だ。


 記録したい。


 いや、後でよい。


 次にクロードとポルカが来た。


 クロードは規則案の紙を持っている。


 ポルカは手帳を抱え、すでに緊張している。


「怖いです。理由は、怒りという見えないものを扱うからです。支援として、最初に水を飲みたいです」


「どうぞ」


 ティナがすぐに水を出した。


 ポルカは両手で杯を持って飲む。


「生き返りました」


「まだ始まっていません」


「始まる前が一番怖いんです」


 それは分かる。


 私も、今がかなり怖い。


 最後に、ミナが来た。


 彼女は扉のところで少しだけ立ち止まった。


 中を見て、紙を見て、私たちを見た。


 そして、入ってきた。


「ミナ」


 ティナが柔らかく声をかける。


「うん」


「席、どこにする?」


 ティナは、隣に座れとは言わなかった。


 選ばせた。


 ミナは少し見回し、窓側の椅子を選んだ。


 隣にはティナが座る。


 私の正面にミナ。


 アレンは扉側。


 クロードは壁紙が見える位置。


 ポルカはティナとアレンの間。


 自然に、逃げ道と支援がある配置になった。


 少し遅れて、グレイン先生とセフィナ先生が来た。


 二人とも、机にはつかない。


 部屋の端に椅子を置き、見守る位置へ座った。


 主導は生徒。


 安全管理は教師。


 その形だ。


 グレイン先生が短く言う。


「始めろ」


「はい」


 私は立ち上がる。


 胸が少し重い。


 だが、一人ではない。


「怒りを消さない会を始めます」


 自分で言って、名前の強さを感じた。


 怒りを消さない。


 これは、きれいな会ではない。


 でも、必要な会だ。


「最初に確認します。この会は、魔族への怒りを消すためのものではありません」


 ミナが私を見た。


 私は続ける。


「怒りがあることを、悪いこととして裁く場でもありません。ただし、怒りによって誰かを雑に扱うことを、そのままにする場でもありません」


 グレイン先生が小さく頷いた。


「今日は、怒りがある時、何をしてよいか。何をしてはいけないか。近くにいる人が何をできるかを考えます」


 私は壁の紙を指した。


「約束を読みます」


 全員で確認する。


 話したくないことは話さなくてよい。


 大きな言葉で誰かを一括りにしない。


 怒っても、相手を名前で呼ぶ。


 怖い、重い、休みたいを報告してよい。


 胸の前に手を上げたら休憩。


 途中退出可。


 記録は個人名なし。


 読み終えた後、部屋は静かだった。


 重すぎる沈黙ではない。


 始まる前の静けさ。


 私は椅子に座った。


「最初の問いです。怒りがある時、してよいことは何でしょう」


 いきなり魔族への怒りを話すのではない。


 行動から入る。


 セフィナ先生の助言通りだ。


 最初に手を挙げたのは、ティナだった。


「怒ってるって言うこと」


「怒っていると報告する、ですね」


「うん。何も言わずに急に強い言い方になるより、先に『今怒ってる』って言えた方がいいと思う」


 私は紙に書く。


 ――怒っていると報告してよい。


 ポルカが手を挙げた。


「怒っている理由を、できれば言うこと」


「理由」


「はい。理由が分からない怒りは怖いです。理由がある怒りも怖いですが、まだ見えます」


 アレンが頷く。


「見えない怒りは廊下の角から出るからな」


「はい!」


 少しだけ笑いが起きた。


 ミナも、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 私は書く。


 ――怒り+理由。


 怖い+理由と同じ構造だ。


 感情に理由をつけると、周囲が動ける。


 クロードが言う。


「怒っている相手から一度離れることも、してよいことに入ると思う」


「離れる」


「怒りながら近くにいると、言わなくてよいことまで言う可能性がある。距離を取るのは逃げではなく、悪化を防ぐ手段だ」


 良い。


 非常に良い。


 私は書く。


 ――必要なら距離を取る。逃げではなく悪化防止。


 ミナが手を挙げた。


 部屋の空気が少し変わる。


 だが、誰も急に黙り込みすぎない。


 ミナは壁の紙を見た後、言った。


「怒ってる相手の名前を言う」


 私はゆっくり頷く。


「怒っても、名前で呼ぶ」


「うん。魔族、とか、人間、とかじゃなくて」


 その言葉は、部屋の中心に落ちた。


 私は胸の奥が少し痛む。


 ミナは知らない。


 私が魔族であることを。


 だが、彼女は今、「魔族」と一括りにする危険を自分の口で言っている。


 私は自分を受け皿にしてはいけない。


 進行役。


 流れを整える。


 私は紙に書く。


 ――怒っても、相手を名前で呼ぶ。


 アレンが小さく言う。


「それ、今日の一番大事なやつだな」


「はい」


 私は頷いた。


 次の問い。


「では、怒りがある時、してはいけないことは何でしょう」


 アレンがすぐに言った。


「全部、って言うこと」


「全部」


「魔族は全部、人間は全部、貴族は全部、平民は全部。そういうやつ」


 クロードが少しだけ反応した。


 貴族、平民。


 彼にも刺さる。


 アレンは続ける。


「本当に全部見たわけじゃないのに、全部って言うと、話が止まる」


 私は書く。


 ――「全部」と言わない。見た範囲を分ける。


 クロードが続ける。


「相手の怒りを、面倒だと言って切り捨てること」


 ティナが頷く。


「それも嫌だね」


 クロードは少し視線を落とした。


「怒りが強い者を、ただ厄介者として扱うと、ますます強くなる」


 彼自身、貴族として平民の不満を以前そう見ていたのかもしれない。


 私は書く。


 ――怒りを厄介者扱いしない。


 ポルカが手を上げる。


「怒っている人に、すぐ落ち着けと言うこと」


 ティナが「あ」と声を漏らした。


 ポルカは続ける。


「落ち着いてほしい気持ちは分かります。でも、最初に言われると、怒ること自体を否定されたみたいで、余計怖いです」


 セフィナ先生が静かに頷いている。


 私は書く。


 ――すぐに「落ち着け」と言わない。まず理由を聞く。


 ティナが少し手を上げた。


「あたし、言いそう」


「ティナは悪気なく言いそうだな」


 アレンが言う。


「うん。だから気をつける」


 ティナは素直だった。


 ミナが小さく言う。


「落ち着けより、聞く、の方がいい」


「何を聞く?」


 アレンが尋ねる。


「何が嫌だったか」


 私は書く。


 ――何が嫌だったかを聞く。


 次に、近くにいる人ができること。


 これは難しい。


 怒っている人の近くにいる者は、止めるべきか、聞くべきか、離れるべきか迷う。


 最初にティナが言う。


「水を出す」


 アレンが少し笑った。


「お茶会にする気か」


「違うよ。でも、怒ってる時って、ずっと話してると息が上がるし、水飲むと少し止まれるでしょ」


「それはある」


 私は書く。


 ――水を出す。身体を止めるきっかけにする。


 ポルカが言う。


「怖い時は、怖いと言う」


「近くにいる人が?」


「はい。怒っている人に『あなたが怖い』ではなく、『今の言葉が怖い』とか、『声が大きくて怖い』とか、具体的に言います」


 非常に良い。


 人ではなく、状況を言う。


 射線なし、と同じだ。


 私は書く。


 ――人ではなく、言葉・声・行動が怖いと伝える。


 アレンが言う。


「大きな言葉が出たら、誰の話か聞く」


「誰の話か」


「『魔族は全部』って出たら、『今話してるのは誰のことだ』って戻す。名前が分からないなら、『どの出来事のことだ』でもいい」


 私は書く。


 ――大きな言葉が出たら、誰/どの出来事の話かに戻す。


 ミナが少しだけアレンを見る。


「それ、いい」


「そりゃどうも」


 アレンは視線を逸らした。


 クロードが言う。


「話を止める合図も使うべきだ。怒っている本人も、周囲も、限界が来たら休憩できる」


 私は壁の紙を見る。


 胸の前に手を上げる。


 「試してみますか」


 私が言うと、ポルカがすぐに手を上げた。


 胸の前に、手のひらを見せる形。


 強すぎない。


 でも見える。


「こうですか」


「はい」


 ティナも真似する。


 ミナも少し遅れて、同じように手を上げた。


 アレンはやや嫌そうにしながら上げる。


 クロードはとてもきっちり上げた。


 少し緊張が解けた。


 合図を決めるだけで、場に戻り道ができる。


 私は書く。


 ――限界の合図を使う。合図が出たら休憩。


 ここまでで、かなり整理できた。


 しかし、まだ核心に触れていない。


 魔族への怒り。


 私は迷った。


 今日、どこまで行くべきか。


 グレイン先生は「第一回では具体的な被害体験を深く掘り下げない方がよい」と言った。


 セフィナ先生も同じ。


 だから、今日は具体的な話を求めない。


 だが、魔族という言葉を避け続けると、この会の意味が薄くなる。


 私は息を吸った。


「次に、少しだけ具体的にします」


 空気が変わる。


「魔族への怒りがある時、今の約束は使えるでしょうか」


 ミナが静かに私を見た。


 私は続ける。


「話したくない人は話さなくてよいです。答えなくてもよいです」


 沈黙。


 長くはない。


 でも、少し重い。


 最初に話したのは、ミナだった。


「使えると思う」


 声は静かだった。


「でも、難しい」


「どこが難しいですか」


「名前で呼ぶところ」


 私は頷く。


「はい」


「魔族って言う方が簡単。名前で呼ぶには、名前を知らないといけない」


 名前を知らない魔族。


 名前を知らない加害者。


 名前が分からない時、どうするか。


 セフィナ先生が少し身を乗り出す。


 だが、まだ口は挟まない。


 私は聞く。


「名前が分からない時は、どうすればよいでしょう」


 ミナは少し考えた。


「出来事で呼ぶ」


「出来事」


「私の村を襲った魔族、とか。その時そこにいた魔族、とか。全部の魔族じゃなくて」


 胸が痛い。


 だが、重要だ。


 私は書く。


 ――名前が分からない時は、出来事で限定する。


 アレンが言う。


「それでも広いけど、『全部』よりは狭いな」


「うん」


 ミナが頷いた。


「でも、怒ってる時は、全部って言いたくなる」


 その言葉に、部屋が静かになる。


 ミナは続けた。


「全部悪いって言えたら、少し楽だから」


 私は息を止めそうになった。


 ミナは、怒りを正直に出している。


 全部悪いと言えたら楽。


 それは危険な言葉だ。


 だが、本当の言葉だ。


 ここで否定してはいけない。


 私は進行役。


 受け皿ではない。


 流れを整える。


「全部と言いたくなるほど怒っている、ということですね」


 ミナは頷いた。


「うん」


 ポルカが胸の前に手を上げかけた。


 怖いのだろう。


 私は見る。


「ポルカ、休憩が必要ですか」


「まだです。でも、少し怖いです。理由は、『全部』という言葉の力が強いからです」


 ミナがポルカを見る。


「ごめん」


「いえ! ミナさんが怖いのではなく、言葉が怖いです!」


 ポルカは必死に言った。


 さきほど決めたことだ。


 人ではなく、言葉・声・行動が怖いと伝える。


 ミナは少しだけ目を伏せた。


「分かった」


 アレンが低く言う。


「今の、けっこう大事だな」


「はい」


 私は書く。


 ――「全部」と言いたくなるほど怒っている、という報告はできる。ただし、そのまま相手を全部にしない。


 少し長い。


 だが重要。


 ティナが水をミナの近くへ置いた。


「飲む?」


 ミナは少し迷って、頷いた。


「うん」


 水を飲む。


 場が少し止まる。


 休憩ではないが、小さな間。


 ティナの支援は的確だった。


 グレイン先生が、ここで初めて口を開いた。


「今の流れは悪くない」


 全員が先生を見る。


「怒りを否定しなかった。だが、『全部』という言葉をそのままにはしなかった。怖いと言った者も、相手ではなく言葉が怖いと言った。覚えておけ」


 私は頷いた。


 先生はそれ以上は言わない。


 また見守りに戻る。


 次に、クロードが静かに言った。


「これは魔族だけではなく、貴族と平民にも当てはまる」


 ティナが少し目を上げる。


 クロードは続ける。


「僕は以前、平民を一括りに見ていたと思う。規則を守らない者、秩序を乱す者として。だが、それも『全部』に近い」


 ティナは少し驚いた顔をした。


 クロードはティナを見た。


「マール。君を見て、少し変わった」


 ティナは目を丸くした。


「えっ、あたし?」


「君は規則に弱いところもあるが」


「最初にそこ?」


「しかし、周囲を見る力がある。だから、平民という大きな言葉で見ると間違えると思った」


 ティナは少し照れたように笑った。


「えっと、ありがとう?」


「感謝ではなく事実だ」


「ルシェラみたいな言い方」


「なぜそこで私が」


 少し笑いが起きた。


 怒りの会の中で、貴族と平民の話が出た。


 これは良い兆候だ。


 魔族への怒りだけでなく、大きな言葉そのものへ話が広がっている。


 ただし、広がりすぎないように注意が必要。


「今の話から分かることを一つ記録します」


 私は言った。


「大きな言葉は、怒りだけでなく、見下しや決めつけにも使われる」


 アレンが頷く。


「いいんじゃないか」


 ミナも静かに頷いた。


 時間が半分を過ぎた。


 私は少し場を見た。


 ポルカは緊張しているが、まだ動ける。


 ティナはお茶を見ている。


 ミナは疲れているが、崩れてはいない。


 アレンは全体を見ている。


 クロードは規則案を修正している。


 教師たちは見守っている。


 ここで、一度休憩を入れるべきか。


 私はティナを見る。


 ティナはすぐに頷いた。


「休憩、入れよう」


「はい」


 私は言った。


「ここで五分休憩します。話さなくてよいです。水かお茶を飲んでください」


 ポルカが大きく息を吐いた。


「助かります……!」


 ティナがお茶を注ぐ。


 アレンは窓の外を見る。


 ミナは水を飲む。


 クロードは規則案に「休憩は早めに入れる」と書き加えていた。


 私は少しだけ椅子にもたれた。


 疲れた。


 非常に疲れた。


 怒りを扱うのは、遠征訓練より体力がいるかもしれない。


 休憩中、セフィナ先生が静かに近づいてきた。


「ディアさん」


「はい」


「よく進めています。ただ、少し自分を固くしすぎています」


「そうでしょうか」


「はい。進行役は、完全な壁にならなくてよいのです。あなたも、重いと感じたら重いと言って構いません」


 私は少し黙った。


 進行役が重いと言ってよいのか。


 いや、ミナにも言われた。


 内容を言わなくても、重いと言う。


「……重いです」


 私は小さく言った。


 セフィナ先生は頷いた。


「はい」


「ですが、続けられます」


「それで十分です」


 休憩後、会は再開した。


 最後の問い。


「怒っている人の近くにいる人ができることを、もう少し整理します」


 ティナが言う。


「水を出す、休憩を提案する、何が嫌だったか聞く」


 ポルカが言う。


「怖い時は、何が怖いかを言う」


 アレンが言う。


「大きな言葉を、誰の話かに戻す」


 クロードが言う。


「話を続けるか、離れるか、本人に確認する」


 ミナが少し考え、言った。


「怒ってる人を、一人にしすぎない。でも、囲まない」


 全員が静かになった。


 それは、強い言葉だった。


 一人にしすぎない。


 でも、囲まない。


 支援と監視の違い。


 配慮と支配の違い。


 全部つながる。


 私は書いた。


 ――一人にしすぎない。囲まない。


 アレンが小さく言う。


「今日の二番目に大事なやつだな」


「一番は?」


 ティナが聞く。


「怒っても名前で呼ぶ」


 ミナが、ほんの少しだけ頷いた。


「うん」


 会の最後に、私は今日決まったことを読み上げた。


 個人名は書かない。


 決まった扱い方だけ。


 ――怒りを消さない会 第一回まとめ。


 一、怒っていると報告してよい。できれば理由も言う。

 二、怒っても、相手を名前で呼ぶ。名前が分からない時は出来事で限定する。

 三、「全部」と言わない。言いたくなるほど怒っている、という形で報告する。

 四、怒りを厄介者扱いしない。

 五、すぐに「落ち着け」と言わず、何が嫌だったかを聞く。

 六、怖い時は、人ではなく言葉・声・行動が怖いと伝える。

 七、大きな言葉が出たら、誰の話か、どの出来事の話かに戻す。

 八、必要なら距離を取る。逃げではなく悪化防止。

 九、一人にしすぎない。囲まない。

 十、限界の合図が出たら休憩する。


 読み終えると、部屋は静かだった。


 だが、始まる前の静けさとは違う。


 少し疲れている。


 少し重い。


 でも、何かが形になっている。


 グレイン先生が言った。


「悪くない。第一回としては十分だ」


 セフィナ先生も頷く。


「とても大切な会になりました」


 ミナは紙を見ていた。


 私は聞く。


「ミナ、このまとめを個人名なしで残してもよいですか」


 ミナは少し考えた。


「いい」


「ありがとうございます」


「名前はない。でも、今日話したことはある」


「はい」


 名前のない記録。


 ただし、守るための記録。


 また一つ増えた。


 会が終わり、皆が少しずつ部屋を出る。


 ポルカは「生き延びました」と何度も言っていた。


 ティナは「お茶、足りてよかった」と胸を撫で下ろしていた。


 クロードは規則案を大事そうに持っている。


 アレンは扉の横で、最後まで人の動きを見ていた。


 ミナは部屋を出る前に、私のところへ来た。


「ルシェラ」


「はい」


「ありがとう」


「私は進行しただけです」


「それが必要だった」


 ミナはそう言った。


「怒りは消えてない」


「はい」


「でも、少し置く場所ができた」


 怒りを置く場所。


 胸が熱くなる。


「それなら、よかったです」


 ミナは頷き、ティナと一緒に出ていった。


 夜。


 私は記録を書いた。


 ――怒りを消さない会、第一回実施。少人数。教師二名見守り。

 ――目的は、怒りを消すことではなく、怒りがある時の行動を考えること。

 ――主要な決定。怒っていると報告してよい。怒っても名前で呼ぶ。名前が分からない時は出来事で限定する。「全部」と言わない。怒りを厄介者扱いしない。すぐ落ち着けと言わず、何が嫌だったかを聞く。大きな言葉が出たら、誰/どの出来事の話かに戻す。一人にしすぎない。囲まない。

 ――ミナ「怒りは消えてない。でも、少し置く場所ができた」と発言。重要。

 ――私自身、会の途中で重いと報告。進行役も重さを言ってよいとセフィナ先生より助言。

 ――記録は個人名なしの扱い方のみ。本人確認済み。


 最後に一行。


 ――怒りは消さなくていい。ただし、怒りで名前を消してはいけない。


 私は羽ペンを置いた。


 疲れた。


 だが、逃げなかった。


 ミナの怒りは消えていない。


 消えていなくていい。


 怒りがあることは、彼女の家族が存在したことの裏返しでもある。


 ただ、その怒りが、別の誰かの名前を消す刃にならないようにする。


 それが今日、少しだけ分かった。


 私は胸元のお守りに触れた。


 父上。


 怒りを消さない会を開きました。


 人間の怒りは、確かにありました。


 怖かったです。


 ですが、怒りを消せとは言いませんでした。


 怒っても名前で呼ぶ。


 全部と言わない。


 一人にしすぎず、囲まない。


 今日、私たちはそう決めました。


 これは、人間側だけの話ではないと思います。


 魔族の怒りにも、きっと同じものが必要です。


 ゼルガにも。


 いつか、彼にも言えるでしょうか。


 怒っても、名前で呼んでください、と。

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