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第38話 役割希望は戦場より難しい

 役割希望調査の再提出分は、翌朝には私の机の上に積まれていた。


 紙の束。


 人間の希望。


 そして、悩みの塊である。


 前衛希望。


 後衛希望。


 支援希望。


 索敵希望。


 伝達希望。


 撤退補助希望。


 訓練時に試したい役割。


 苦手だが克服したい役割。


 できれば避けたい役割。


 欄外に書かれた小さな言い訳。


 これらを分類し、次回班訓練の編成に反映させる。


 学級委員の仕事としては、非常に重要だ。


 なぜなら、役割を間違えれば、生徒の力を潰す可能性があるからだ。


 前に出たい者を無理に下げすぎると、不満が残る。


 後ろで見る方が向いている者を前に出すと、恐怖で動けなくなる。


 支援に向く者を攻撃役に置けば、班全体の耐久力が落ちる。


 臆病な者から逃げ道を奪えば、ただの足手まといになる。


 逆に、逃げ道を見せれば、ポルカのように旗を取ることもある。


 つまり、役割希望は単なる希望ではない。


 自己認識と見栄と不安と成長欲求と過去の失敗と周囲への遠慮が混ざった、非常に複雑な資料である。


 私は朝の教室で、木板に分類表を作りながら考えていた。


 戦場の地形図より難しい。


「ルシェラ、また朝からすごい顔してる」


 ティナが隣から覗き込んできた。


「役割希望の分類をしています」


「うわ、細かい」


「必要です」


「これ、全部見るの?」


「はい」


「朝ご飯は?」


「食べました」


「本当に?」


「パンを半分」


「半分は食べたうちに入らないよ!」


 ティナは即座にそう言い、鞄から小さな包みを取り出した。


 中には、干し果物を挟んだ小さなパンが入っていた。


「はい。食べながらやって」


「これは?」


「予備」


「ティナはなぜ予備食を持っているのですか」


「ルシェラがこうなると思ったから」


 予測されている。


 しかも的中している。


 私は少し不服だったが、受け取った。


「ありがとうございます」


「どういたしまして。委員長が倒れたら困るからね」


「正式名称は」


「学級委員、でしょ。分かってる」


 ティナは笑った。


 私はパンを一口食べる。


 甘い。


 干し果物の酸味もある。


 食べると、少し頭が動きやすくなった。


 父上の言う通り、腹が減ると判断を誤る。


 ティナはそれを感覚で理解している。


 やはり支援役として優秀。


 記録したい。


 だが、今は役割希望の分類が先である。


 前の席からポルカが振り向いた。


「ルシェラさん、僕の希望、変じゃありませんでしたか?」


「確認します」


 私は束からポルカの紙を探した。


 希望役割。


 第一希望、経路確認。


 第二希望、罠発見。


 第三希望、安全地帯の確保。


 避けたい役割、正面戦闘。


 欄外。


 ――怖い場所は分かります。怖くない場所はあまり分かりません。


 私は少し感心した。


「非常に良い自己分析です」


「本当ですか!」


「はい。自分が何を見られるか、何を見にくいかが書けています」


「怖くない場所が分からないのは欠点では?」


「欠点ですが、欠点が分かっているのは強みです」


「欠点が分かっているのは強み……」


 ポルカはその言葉を手帳に書こうとして、手を止めた。


「今、授業前ですが記録しても?」


「よいと思います」


「ありがとうございます!」


 アレンが後ろから言った。


「ルシェラの言葉、どんどん手帳に増えてるな」


「有用なので」


 ポルカは真面目に答える。


「そのうち『ルシェラ語録』とかできそうだな」


「何ですか、それは」


「お前の変な言い換え集」


「変ではありません」


「生存位置取り、補給線の共有、暫定的友好対象」


「最後の二つは現在使用を控えています」


「成長してるな」


 アレンは笑った。


 私は彼の希望用紙も確認する。


 第一希望、観察。


 第二希望、伝達。


 第三希望、撤退判断補助。


 避けたい役割、単独前衛。


 欄外。


 ――見えたものを言葉にする練習をしたい。たぶん、まだ遅い。


 私はその欄外を見て、しばらく黙った。


 アレンが怪訝そうにこちらを見る。


「何だよ」


「いえ」


「何か変か」


「いいえ。とても良いです」


「だから、そういう顔で見るな」


「自分の成長課題を書けています」


「提出物だろ。書けって言われたから書いただけだ」


「以前のあなたなら、書かなかったと思います」


「……前回比較か」


「はい」


 アレンは少しだけ目を逸らした。


「なら、まあ、成長ってことで」


「大きな成長です」


「そこは小さくしろ」


 ティナがにこにこしている。


 クロードは教室の前方で貴族生徒たちの希望用紙を確認していた。


 彼は副委員として、非常に有能だ。


 字が読みやすい。


 分類が早い。


 規則を把握している。


 ただし、時々厳しすぎる。


「この欄は空欄では受理できない」


「えー、でも特にないし」


「特にない、という意思表示ならそう書くべきだ。空欄は未記入だ」


「細かいなあ」


「必要な細かさだ」


 クロードらしい。


 私は近づき、紙を確認した。


 該当生徒は男子の平民生徒、ラウル・ヘイン。


 細身で、剣術は中程度。


 魔力は低め。


 だが走るのは速い。


 以前の演習で、伝令役に向いていそうだと思った生徒だ。


「ラウル」


 私が声をかけると、彼は少し驚いた。


「え、俺?」


「はい。あなたは走るのが速いですね」


「まあ、それくらいしか取り柄ないけど」


「それは取り柄です」


 アレンが後ろで小さく「出た」と呟いた。


 私は無視する。


「班訓練では、伝令や位置連絡の役を試すのはどうでしょう」


「伝令?」


「はい。前衛と後衛、離れた班員同士をつなぐ役です。速度と判断が必要です」


「それ、戦う役じゃないよな」


「直接戦う役ではありません。ですが、情報が届かない班は崩れます」


 ラウルは少し考え込んだ。


「走るだけでも役に立つのか?」


「走るだけではなく、見て、選んで、伝える必要があります」


「難しそうだな」


「はい」


「……じゃあ、ちょっとやってみたいかも」


 私は用紙を差し出した。


「では、第三希望に伝令補助と書いてください」


「第三でいいのか?」


「最初から第一にする必要はありません。試すことが重要です」


 ラウルは頷き、紙に書き込んだ。


 クロードが私を見た。


「なるほど。空欄を責めるより、選択肢を提示した方がよい場合もあるのか」


「はい。空欄は、書くことがないのではなく、言葉が見つからない場合があります」


「覚えておく」


 クロードは真面目に頷いた。


 彼も学んでいる。


 私も学んでいる。


 学級委員の仕事は、思ったより教育に近い。


 いや、教育というより、名前を見つける作業かもしれない。


 その生徒が「特になし」と思っているものに、まだ名前がない役割を与える。


 伝令。


 撤退補助。


 支援。


 経路確認。


 観察。


 声かけ。


 位置取り。


 名前がつくと、人は少し動きやすくなる。


 昼休みまでに、希望用紙はほぼ揃った。


 だが、一枚だけ問題があった。


 ミナ・オルステッド。


 第一希望、後衛射撃。


 第二希望、索敵。


 第三希望、なし。


 避けたい役割、魔族関連想定訓練。


 欄外。


 ――今は、魔族役の相手を撃つ訓練はしたくない。


 私はその紙を見て、手を止めた。


 当然だ。


 黒角隊の情報を知ったばかりだ。


 今、魔族役を相手にする訓練をさせれば、傷を無理に触ることになる。


 だが、訓練では魔族を想定した敵役も出る。


 勇者学校である以上、避け続けることはできない。


 問題は、いつ、どのように向き合うか。


 私は紙を見つめた。


 ミナに聞くべきか。


 グレイン先生に先に相談すべきか。


 ティナと話すべきか。


 アレンに意見を求めるべきか。


「一人で考えない」


 声がした。


 アレンだった。


 いつの間にか横にいた。


「顔に出ていましたか」


「出てた」


「どのように」


「また自分で全部決めようとしてる顔」


 私は反論できなかった。


 アレンは紙を見ないように、少し視線を外している。


 個人の希望用紙だからだろう。


 こういうところは、彼は意外と慎重だ。


「ミナの件です」


「だろうな」


「見ていないのに、分かるのですか」


「お前がそんな顔する相手、今は限られてる」


「……困ります」


「褒め言葉として受け取る」


「褒めていません」


 アレンは少しだけ笑った。


「グレイン先生に相談しろ。あと、ミナ本人にも。ティナもいた方がいい」


「あなたは?」


「必要なら呼べ」


「必要です」


 即答すると、アレンが目を瞬かせた。


「早いな」


「あなたは、ミナの言葉の整理に必要なことを言う場合があります」


「時々、だろ」


「はい」


「そこは覚えてるのかよ」


 私は紙を畳んだ。


「昼休みに、ミナへ確認します。ティナとアレンも同席してください」


「分かった」


 昼休み。


 中庭の木陰。


 いつもの場所。


 ティナはすぐに空気を察し、弁当を開きながらも声を落とした。


「ミナの希望のこと?」


「はい」


 ミナは静かにこちらを見た。


「書いたこと?」


「はい。魔族関連想定訓練を今は避けたい、と」


「うん」


 ミナは視線を落とさなかった。


「今は、無理だと思う」


「分かりました」


 私は頷いた。


「次回班訓練では、その条件を考慮します」


「いいの?」


「はい。避けることと、逃げることは同じではありません」


 アレンが少しこちらを見た。


 私は続ける。


「今向き合うと壊れる可能性があるなら、時期を選ぶべきです」


 ミナは少し黙った。


「ずっと避けるのは、だめだと思う」


「はい」


「でも、今は無理」


「はい」


 ティナがそっと言う。


「じゃあ、今は無理ってことでいいんじゃないかな。いつかやるかは、その時に考えよう」


「うん」


 ミナは頷いた。


 アレンが言った。


「訓練で魔族役が出るなら、事前に分かるようにした方がいい。突然出るのが一番きついだろ」


 ミナは少し考えた。


「うん。それは嫌」


「なら、先生に言う時はそこだな。避けたいじゃなくて、事前に知りたい。今は参加を調整したい。そう言えば通るんじゃないか」


 やはり有用。


 アレンは言葉の逃げ道を作るのが上手い。


 逃げ道というより、呼吸できる道。


「その方針でグレイン先生へ相談します」


 私は言った。


 ミナが小さく頷く。


「ありがとう」


「一緒に行きますか」


「……行く」


 ティナがすぐに言う。


「あたしも行く」


 アレンは肩をすくめた。


「俺も必要なら行く」


「必要です」


「また早い」


「あなたが説明した方が伝わる部分があります」


「便利に使われてるな」


「有用なので」


 ミナが少しだけ笑った。


「有用」


 その笑いを見て、私は少し安心した。


 放課後、私たちはグレイン先生へ相談した。


 ミナ本人が、自分の言葉で話した。


 魔族関連想定訓練を今すぐ受けるのは難しいこと。


 突然出されると動けなくなる可能性があること。


 ただし、ずっと避けたいわけではないこと。


 事前に分かれば、準備できるかもしれないこと。


 先生は最後まで黙って聞いた。


 そして、短く言った。


「分かった」


 それだけだった。


 ミナが少し驚く。


「いいんですか」


「今無理にやっても、訓練にならん」


 グレイン先生は腕を組んだ。


「ただし、いずれ向き合う必要はある。その時は、こちらで段階を作る。最初は記録を見る。次に模型。次に上級生役。いきなり実戦想定にはしない」


 段階。


 続けられる状態。


 壊さないこと。


 先生はやはり、生徒を生き残らせる教師だ。


「ありがとうございます」


 ミナが小さく頭を下げた。


「礼はいい。自分で言えたことは評価する」


 ミナは少しだけ目を伏せた。


 だが、その表情は悪くなかった。


 先生は私へ視線を移した。


「ディア」


「はい」


「よく一人で決めなかった」


 私は少し驚いた。


「はい」


「覚えておけ。配慮は、本人抜きで決めると支配になる」


 その言葉は鋭かった。


 配慮。


 本人を傷つけないため。


 守るため。


 だが、本人に聞かずに決めれば、それは相手から選ぶ力を奪うことになる。


 私は頷いた。


「覚えておきます」


 夜。


 私は記録を書いた。


 ――役割希望調査、再提出分確認。希望は単なる希望ではなく、自己認識・見栄・不安・成長欲求が混ざる資料。

 ――ラウル・ヘイン、伝令補助の可能性。空欄は言葉が見つからない場合がある。

 ――ポルカ、経路確認・罠発見・安全地帯確保を希望。自己分析良好。

 ――アレン、観察・伝達・撤退判断補助を希望。自己認識の変化継続。

 ――ミナ、魔族関連想定訓練を今は避けたいと明記。本人、ティナ、アレンと相談の上、グレイン先生へ共有。

 ――グレイン先生、段階的に向き合う方針を示す。「配慮は、本人抜きで決めると支配になる」と指摘。重要。


 私は最後に一行書いた。


 ――役割を与えることは、その人の代わりに決めることではない。その人が選べる形にすること。


 学級委員の仕事は、思ったより難しい。


 戦術よりも、魔法制御よりも、普通の友人関係よりも、難しいかもしれない。


 だが、今日一つ分かった。


 人は、役割を押しつけられると苦しくなる。


 でも、自分で選べる役割があると、少し前に進める。


 私はその選択肢を増やす役なのだろう。


 魔王の娘としてではなく。


 学級委員として。


 そして、名前を持つ同級生の一人として。

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