第37話 魔王の娘、正式に学級委員になる
学級委員になった翌朝、私はいつもより早く目を覚ました。
理由は明確である。
正式な役職には、正式な準備が必要だからだ。
まず、窓の鍵を確認。
異常なし。
扉の鍵を確認。
異常なし。
机の上の提出物一覧を確認。
女子寮分、未提出なし。
男子寮分、アレン・フォルクが昨日ぎりぎり提出。
掃除当番表、クロードが再整理済み。
次回班訓練希望調査、集計途中。
黒角隊関連の私的記録、封印済み。
魔王城への報告下書き、鞄の奥に保管。
よし。
状況は把握できている。
私は机に向かい、今日の行動予定を書き出した。
一、朝の連絡事項確認。
二、提出物の不足再確認。
三、掃除当番表を掲示。
四、班訓練希望調査の集計。
五、グレイン先生へ報告。
六、アレンの栄養状態確認。
七、ティナへのお弁当返礼候補検討。
八、ミナの様子を観察しすぎない。
九、黒角隊関連の追加調査は本日休止。
十、戸締まり。
完璧な予定である。
問題は、八番だ。
ミナの様子を観察しすぎない。
これは難しい。
彼女は黒角隊の情報を知ったばかりだ。
オルステッド村への関与可能性。
魔王軍中央の命令ではない可能性。
それでも魔族が家族を殺した事実。
魔王城が知らなかったことにはしないという父上の言葉。
それらを受け取った翌日である。
気にするなという方が無理だ。
しかし、気にしすぎるとミナは困る。
彼女は以前、気を使われすぎると困ると言った。
だから、観察しすぎない。
だが、必要なら気づく。
これは高度な技術である。
「ルシェラ……朝から何書いてるの……?」
背後から、毛布に半分包まれたティナの声がした。
「今日の行動予定です」
「学級委員の?」
「はい」
「朝から真面目……」
ティナは眠そうに目をこすりながら、私の木板を覗き込んだ。
そして、七番で止まった。
「返礼候補検討って何?」
「今は言えません」
「またそれ! でも、だいたい分かった!」
なぜ分かる。
私は表情を引き締めた。
「分かっていません」
「分かってるよ。ルシェラ、何か返そうとしてる時、すっごく真剣な顔になるもん」
「私の顔は本当に情報を漏らしすぎています」
「そこがいいんだよ」
「よくありません。潜入に不向きです」
「潜入?」
「……日常生活に不向きです」
危ない。
朝から失言しかけた。
学級委員初日としては不安な滑り出しである。
ミナは壁側のベッドで、すでに起きていた。
弓の手入れはしていない。
今日はただ、窓の外を見ている。
私は見た。
見てしまった。
だが、見すぎてはいけない。
「ミナ」
「何?」
「朝食の時間まで、あと少しです」
「うん」
「食べられそうですか」
言ってから、少し後悔した。
これは観察しすぎではないか。
ミナは私を見て、少しだけ口元を緩めた。
「普通に聞くの、下手」
「すみません」
「でも、食べる」
「はい」
「あと、そんなに困った顔しなくていい」
「困った顔」
「してる」
ティナも頷いた。
「してるね」
私は顔を両手で軽く押さえた。
やはり改善が必要だ。
顔面管理。
新たな課題である。
朝食の食堂では、正式な学級委員になった影響がすぐに出た。
「ディアさん、今日の掃除当番って掲示される?」
「はい。午前中に掲示します」
「提出物って今日までだよね?」
「はい。未提出者には昼休みまでに連絡します」
「班訓練の希望、後から直せる?」
「理由があれば可能です。クロードに提出してください」
次々と声がかかる。
人間は、役職が決まった相手にはすぐに仕事を投げる。
私はパンを食べる時間を失いかけた。
すると、ティナが私の皿を指差す。
「ルシェラ、食べて」
「ですが、質問が」
「食べながらでいいよ。学級委員が倒れたら困るでしょ?」
ポルカが遠くから反応した。
「学級委員の生存率はクラス全体の生存率に影響します!」
「ポルカ、朝から声が大きい」
アレンが隣の席で言う。
「すみません!」
私はパンを一口食べた。
それを確認してから、ティナは満足そうに頷いた。
アレンはいつものように購買のパンを食べている。
だが、今日はゆで卵が添えられていた。
私は目を止めた。
「アレン」
「何だよ」
「改善しましたね」
「何が」
「栄養配分です」
「お前が毎日うるさいからだろ」
「成果です」
「うるさいことは否定しないんだな」
「必要な助言です」
アレンは面倒そうに言ったが、ゆで卵を食べた。
よし。
学級委員初日の成果、一件。
クロードは食堂の端で当番表を見直していた。
食事中にも書類。
真面目である。
ただし、彼も食べる量が減っている。
「クロード」
「何だ」
「あなたも食事を優先してください」
「この確認が終わってから」
「食事後に確認してください」
「だが」
ティナが横から言う。
「ルシェラ、クロードにも食事管理始めた」
「委員長の権限が広がっているな」
アレンが言う。
私は首を振る。
「クロードが倒れると副委員業務に支障が出ます」
「僕は倒れない」
「倒れる者は、倒れる前にそう言います」
クロードは少し黙った。
そして、書類を閉じた。
「……分かった。食べる」
「よい判断です」
「なぜ君に食事を管理されているんだ」
「必要なので」
ティナが笑った。
朝食だけで、すでに疲れた。
学級委員とは、想像以上に周囲を見る役である。
教室へ向かう途中、アレンが私の隣に並んだ。
「委員長、初日から大変そうだな」
「正式名称は学級委員です」
「はいはい」
「返事は一回で結構です」
「もう染みついてるな」
アレンは少し笑った。
「で、どうだ。敵組織の中枢は」
私は彼を見た。
その言葉を聞いても、以前ほど慌てなかった。
「敵組織ではありません」
自然に言葉が出た。
アレンが少し驚いた顔をする。
「へえ」
「何ですか」
「いや。前なら、そこ否定する前に変な言い換えしてただろ」
「私も学習しています」
「学習しすぎると、つまらないな」
「私は面白さのために失言していたわけではありません」
「知ってる」
アレンは前を向いた。
「でも、敵組織じゃないって言えるようになったのは、いいんじゃないか」
いい。
そうなのだろうか。
任務としては危険な変化だ。
だが、人間を正しく見るという意味では、必要な変化なのかもしれない。
「はい」
私は答えた。
「そうかもしれません」
教室に入ると、黒板の隅にすでにグレイン先生からの連絡事項が書かれていた。
――学級委員は朝のうちに職員室へ。
仕事である。
私は鞄を置き、すぐに職員室へ向かった。
クロードも同行する。
「ディア」
「はい」
「今日から役割分担を明確にしよう」
「同意します」
「提出物と当番は僕が主に管理する。生徒からの相談、班訓練希望の調整は君が向いている」
「なぜですか」
「君は相手の得意不得意を見る。僕は規則を優先しすぎる」
クロードは自分でそう言った。
以前なら、自分の弱点をここまで簡単には認めなかっただろう。
私は頷いた。
「では、私は相談と調整を担当します。ただし、規則に反する場合はあなたに確認します」
「分かった。君が抱え込み始めたら止める」
「私も、あなたが規則で人を潰しかけたら止めます」
「……潰しかける前に頼む」
「努力します」
二人で職員室へ入る。
グレイン先生は机で書類を整理していた。
「来たか」
「はい」
「今日から正式に仕事をしてもらう。まず、次回班訓練の希望調査を見て、偏りを確認しろ。前衛希望が多すぎる。支援と索敵が足りない」
やはり。
勇者候補は前に出たがる。
剣を振る者、魔法を放つ者、目立つ者。
それらは分かりやすく評価される。
だが、支援、索敵、撤退判断、記録、伝達は軽視されやすい。
アレンやポルカの成長を見てきた今なら、それが危険だと分かる。
「役割の説明が必要です」
私は言った。
「前衛だけでは班は機能しません」
「そうだ」
グレイン先生は頷く。
「だが、教師が言うより、同じ生徒が言った方が届く場合がある。やってみろ」
「はい」
「レインハルトは、貴族生徒の前衛偏重を抑えろ」
「承知しました」
「ディアは、後方役や支援役を希望しにくい生徒がいたら拾え」
「はい」
先生は少しだけ目を細めた。
「お前たちは、互いの弱点を補え。片方は規則に寄り、片方は抱え込む」
また言われた。
クロードと私は同時に返事をした。
「はい」
職員室を出た後、クロードが言った。
「先生は遠慮がないな」
「的確です」
「それはそうだが」
クロードは少し苦笑した。
苦笑。
彼も表情が柔らかくなっている。
これは記録したい。
だが、廊下なので我慢する。
教室へ戻ると、ティナがすぐに駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「業務が増えました」
「感想!」
「前衛希望が多すぎるため、役割調整が必要です」
「また仕事の話!」
「仕事ですので」
アレンが後ろから言った。
「支援役が少ないなら、ティナが宣伝すればいいんじゃないか」
「宣伝?」
ティナが首を傾げる。
「回復役がどれだけ大事か、ティナが言えばいい。お前、助けられる側の気持ちとか、助ける側の大変さとか、分かりやすく話せるだろ」
ティナは少し驚いた顔をした。
「あたしが?」
「他に誰が言うんだよ」
「アレン、たまにすごく褒めるよね」
「褒めてない。役割の話だ」
「それ、ルシェラみたい」
「やめろ」
私はアレンを見る。
「良い提案です」
「いちいち評価するな」
「我慢します」
「もう遅い」
ティナは少し考え、頷いた。
「うん。じゃあ、支援役って楽しいよって言ってみる」
「楽しい、だけでなく重要性も」
「ルシェラ、そこは任せて」
「はい」
任せる。
また一つ。
ポルカも手を挙げた。
「索敵や経路確認も、僕が少し話せます。怖い人向けに」
「怖い人向け?」
「前に出るのは怖いけど、役に立ちたい人向けです」
私は少し胸が温かくなった。
ポルカが、自分の怖さを役割として他者へ渡そうとしている。
「お願いします」
「はい!」
ミナが静かに言った。
「後衛の射線も説明する」
「助かります」
クロードが続ける。
「僕は前衛希望者へ、前衛の負担と責任を話す。目立つだけではないと伝える」
アレンが肩をすくめる。
「じゃあ俺は、見て伝える役の話をする。地味だけど、ないと死ぬって」
「死ぬは強すぎます」
ティナが言う。
「でも、分かりやすいです」
ポルカが頷く。
私は第一班を見た。
誰かに命じたわけではない。
けれど、皆が自分の役割を使って、クラスのために動こうとしている。
学級委員とは、全員を動かす者ではなく、全員が動けるようにする者。
グレイン先生の言葉が、少し実感になった。
昼休み。
私たちは簡単な役割説明会を開いた。
正式な会ではない。
教室の一角で、班訓練希望を出し直したい生徒を集めるだけ。
それでも、十人近い生徒が来た。
前衛希望が多い。
支援や索敵に回ることは、弱いと認めることだと思っている生徒もいる。
アレンが最初に言った。
「前に出るだけが役割じゃない。見てるやつがいないと、前に出たやつは横から殴られる」
表現は乱暴だが、伝わる。
ポルカが手帳を開く。
「逃げ道を知っていると、前に出る人も安心して動けます。僕は怖いので逃げ道を探していましたが、それが旗取りで役に立ちました」
ティナが続ける。
「支援役は、誰かが倒れてから動くんじゃなくて、倒れないように見る役だと思う。だから、すごく大事だよ」
ミナが短く言う。
「後ろにいるから弱いわけじゃない。後ろからしか見えないものがある」
クロードが最後に言った。
「前衛は目立つ。だが、目立つということは狙われるということだ。支援、索敵、伝達がなければ、前衛はただの的になる」
教室が静かになった。
的。
クロードの言葉は少し厳しい。
だが、彼が言うと説得力がある。
前衛希望の生徒たちは、少し考え込んでいた。
一人の男子生徒が手を挙げる。
「あの、索敵って、魔力が強くなくてもできるのか?」
アレンが答える。
「できる。むしろ、魔力ばっかり見てると見落とすこともある。足跡、音、視線、変な沈黙。そういうのを見る」
別の女生徒がティナに聞く。
「回復魔法が弱くても支援に回れる?」
「回復だけじゃないよ。水を渡す、声をかける、位置を伝える、無理してる人を止める。それも支援」
ポルカが小さく付け加える。
「あと、怖いと思ったら言っていいです。怖い場所には、だいたい理由があります」
それを聞いた生徒が、少し笑った。
だが、馬鹿にした笑いではなかった。
空気が少し軽くなる。
私はその場を見ながら、ほとんど何も言わなかった。
最後に、希望調査の紙を差し出す。
「希望を変えたい人は、今日中に提出してください。前衛、後衛、支援、索敵、伝達、撤退補助。どれも必要な役割です」
生徒たちは頷いた。
数人が紙を受け取る。
説明会は成功した。
私一人ではできなかった。
第一班の全員が、自分の言葉で話したから届いた。
放課後、グレイン先生に報告すると、先生は短く言った。
「悪くない」
クロードが少し嬉しそうにする。
私は言った。
「第一班の協力が大きかったです」
「そう言えるなら、少しは任せることを覚えたな」
「はい」
「ただし、これで終わりではない。希望を変えた生徒が、本当にその役割で動けるようにするまでが仕事だ」
「はい」
仕事は終わらない。
人間界の役職は、やはり大変である。
夕方。
寮の談話室で、第一班は小さなお茶会を開いた。
今日は、学級委員初日終了祝いらしい。
「また祝いですか」
私が聞くと、ティナが言った。
「初日は一回しかないから!」
「理屈は分かります」
ミナが干し林檎を出し、ポルカが今日の説明会の反応を手帳にまとめ、クロードが希望調査の紙を整理し、アレンが焼き菓子を食べていた。
「アレン」
「何だよ」
「今日はゆで卵を食べていましたね」
「まだ言うのか」
「良い傾向です」
「はいはい」
「返事は一回で」
「はい」
アレンは途中で止めた。
少し勝った気がする。
ティナが笑い、ミナも小さく笑った。
私はお茶を飲みながら思った。
正式な学級委員初日。
仕事は多い。
責任も増えた。
目立つ危険も増した。
だが、私は一人ではなかった。
クロードが書類を持ち、ティナが支援を語り、ポルカが怖さを役割にし、ミナが後ろから見えるものを語り、アレンが観察と伝達を語った。
クラスは、少し動き始めている。
私が全員を動かしたのではない。
全員が動ける場所を、少し作った。
それだけだ。
でも、それは悪くない。
夜。
私は記録を書いた。
――学級委員正式業務初日。提出物確認、掃除当番表掲示、班訓練希望調査の再調整を開始。
――グレイン先生より、前衛希望偏重の是正を指示される。
――第一班協力のもと、役割説明会を実施。アレン=観察と伝達、ティナ=支援、ポルカ=経路確認、ミナ=後衛の視点、クロード=前衛の責任を説明。
――複数生徒が希望役割の再検討を開始。
――私は、ほとんど説明せず、場をつないだ。少し任せられた。
――アレン、朝食にゆで卵を追加。栄養改善。重要ではないようで重要。
最後に一行。
――学級委員は、敵組織の中枢ではなく、名前を持つ同級生たちが動ける場所を作る役かもしれない。
私は羽ペンを置いた。
二巻が始まった。
正式に学級委員になった私は、これからもっと多くの声を聞くことになるのだろう。
不満。
希望。
傷。
役割。
秘密。
そのすべてを一人で抱えることはできない。
だから、任せる。
つなぐ。
足りないところに入る。
それが今の私の役割だ。
魔王の娘としてではなく。
勇者学校一年二組の学級委員として。




