006 祈りの間に、私の罪が置かれています
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第2章、第二起動編の開幕です。
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「それは、誤解でございます」
大司教ウルリッヒは、穏やかに言った。
控えの間の床には、三つのものが置かれている。
眠り香。
封印文を縫い込まれた白い布。
小さな銀鈴。
王妃陛下が見た。
近衛騎士が見た。
ライナス様が見た。
それでも大司教は、誤解と言った。
すごい人だ。
百回の中で、何度もこの声に負けた。
正しい顔。
優しい声。
人を救うような言葉。
その下で、私の言葉は消された。
だから今度は、言葉を追わない。
物を見る。
「王妃陛下」
私は床の銀鈴を示した。
「その鈴を、鳴らしてくださいませ」
控えの間が静まった。
大司教の微笑が、ほんの一瞬だけ止まる。
それで十分だった。
「ただの祈りの道具なら、何も起きないはずでございます」
王妃マーガレット陛下は、すぐに命じた。
「窓を開けなさい。香は遠ざけること。布は押さえなさい。鈴だけを鳴らします」
「はっ」
近衛騎士が動く。
大司教が一歩前へ出た。
「王妃陛下。古い祈具を不用意に扱うのは」
「危険ですか」
王妃陛下の声が、そこで切った。
「ならば、なぜアリシア嬢のもとへ持ち込ませたのです」
大司教は黙った。
近衛騎士が、銀鈴を拾う。
ちりん。
小さな音が鳴った。
その瞬間、控えの間の隅にいた侍女が崩れ落ちた。
眠り香を運んできた侍女ではない。
王城付きの侍女だ。
彼女の目から、焦点が消える。
「アリシア様を……」
近衛騎士が即座に侍女を支えた。
侍女の唇が、勝手に動く。
「祈りの間へ……お運び……声を封じて……」
王妃陛下の顔色が変わった。
侍女は、はっと息を呑む。
「わ、私は……何を……?」
控えの間に、冷たい沈黙が落ちた。
銀鈴は、ただの合図ではない。
王城の中に仕込まれた者を動かす鍵だった。
「保護ではありませんね」
ライナス様が、窓辺から低く言った。
「王城の侍女まで、合図で動くよう仕込まれている」
大司教の視線が、ライナス様へ向く。
「慎重な言葉を選ばれるべきです、殿下」
「なら、そちらも慎重に仕込むべきだったな」
軽い声だった。
だが、鋭かった。
王妃陛下が命じる。
「侍女を保護。責める必要はありません。ただし、一人にはしないこと」
「はっ」
「銀鈴は封印。眠り香、封印布と合わせて王妃預かり」
「はっ」
近衛騎士が動く。
大司教は止めない。
止めれば、さらに疑われる。
私は、その沈黙を見ていた。
この人は、まだ駒を切れると思っている。
神官を切る。
侍女を切る。
聖女を切る。
自分までは届かせない。
けれど、もう届き始めている。
「王妃陛下」
「何です」
「祈りの間を封鎖してください」
大司教の視線が、一瞬だけ動いた。
ほんの一瞬。
けれど、見えた。
王妃陛下も見た。
「理由は」
「私が教会預かりになった回では、必ず祈りの間を通りました」
私は大司教を見た。
「そこに、次の道具があります」
王妃陛下は、すぐに近衛へ命じた。
「祈りの間を封鎖。誰も入れるな。すでに中にいる者がいれば、その場で留め置きなさい」
「はっ」
近衛騎士が走る。
大司教の顔から、穏やかさが消えた。
ほんの一瞬ではない。
今度は、控えの間の全員が見た。
「王妃陛下」
大司教の声が低くなる。
「そこは教会の儀礼空間です」
「王城の中にあります」
「信仰への干渉です」
「王城への干渉を先にしたのは、どなたですか」
王妃陛下は退かない。
その一言で、大司教は黙った。
私は小さく息を吐く。
やっとだ。
この人の顔が、聖職者ではなくなった。
そこへ、廊下の向こうから足音が戻ってきた。
祈りの間へ向かった近衛騎士だ。
彼は扉の前で膝をつく。
「王妃陛下」
「報告を」
「祈りの間に、教会関係者が三名。中央に、布で覆われた台がございます」
大司教の目が、わずかに動いた。
近衛騎士は続ける。
「台の上には、木札が二枚」
控えの間の空気が、固まる。
「一枚は、王太子エドワード殿下のお名前」
近衛騎士の声が、低くなる。
「もう一枚は、アリシア・ヴァルトハイム嬢のお名前です」
王妃陛下の声が落ちた。
「木札には、何と」
近衛騎士は、息を呑んだ。
「罪の承認、と」
部屋が凍った。
王太子の名。
私の名。
罪の承認。
全部、そこに置かれていた。
夜会場で王太子に言わせる。
聖女に泣かせる。
神官に祈らせる。
私を眠らせて祈りの間へ運ぶ。
声を封じる。
そして、罪を固定する。
もう、線は見えた。
「大司教」
王妃陛下の声は、氷のようだった。
「王城の祈りの間に、なぜ私の息子と公爵令嬢の名が置かれているのです」
大司教は、ゆっくりと微笑んだ。
薄い。
冷たい。
「古い儀礼には、現代の方には誤解されやすい形式がございます」
まただ。
また、綺麗な言葉。
けれど今度は、誰も頷かない。
眠り香がある。
封印布がある。
銀鈴がある。
王城の侍女が動いた。
祈りの間には、木札がある。
言葉だけでは、もう戻せない。
王妃陛下が命じる。
「祈りの間へ向かいます」
大司教が、初めて明確に顔を上げた。
「王妃陛下」
「確認します」
「儀礼の場を乱すことになります」
「乱されたのは、王城です」
王妃陛下は、近衛へ視線を向けた。
「先導しなさい」
「はっ」
近衛騎士たちが動く。
私は一歩踏み出そうとして、膝に力が入りにくいことに気づいた。
朝に戻っただけの身体。
殴り、かわし、歩き、話し続けた。
体力は、もう削れている。
けれど、止まれない。
ライナス様が、すっと横に立った。
「歩けるか」
「歩けます」
「そう言うと思った」
彼はそれ以上、手を出さない。
支えられるほど弱くは見せない。
けれど、倒れた時には届く距離にいる。
ちょうどいい位置だった。
腹立たしいほどに。
私は扇を握り直す。
控えの間を出る。
王妃陛下が先頭。
近衛騎士が前後。
帳簿を持つ騎士。
ライナス様。
そして私。
大司教も、後ろからついてくる。
今まで、私は何度も運ばれた。
眠らされて。
声を塞がれて。
祈りの間へ連れて行かれて。
だが今回は違う。
自分の足で向かっている。
王妃陛下の命令で。
近衛の警護で。
隣国の目を連れて。
祈りの間へ。
廊下を曲がると、空気が変わった。
甘い香。
冷たい石の匂い。
祈りの声の残り香。
知っている。
この先だ。
何度も、ここで終わった。
近衛騎士が扉の前で止まる。
中から、押し殺したざわめきが聞こえた。
王妃陛下が言う。
「開けなさい」
重い扉が、開く。
祈りの間の中央に、布をかけられた台があった。
その上に、木札が二枚。
王太子エドワード。
アリシア・ヴァルトハイム。
そして、その下に赤い古代文字。
罪の承認。
私は息を止めた。
やはり、ここだ。
夜会場で言葉を起こし。
控えの間で私を運び。
祈りの間で罪を固定する。
これが、次の手順。
王妃陛下が、大司教を見る。
「説明を」
大司教は答えない。
私は床の線を見る。
まだ薄い。
だが、ある。
王太子の名と私の名を結ぶように、赤い線が走っている。
この先にある。
断罪ではない、何か。
私は扇を伏せた。
「王妃陛下」
「何です」
「この台を動かしてはなりません」
大司教の目が、初めてはっきりと私を射抜いた。
殺意に近い冷たさ。
怖い。
だが、構わない。
それが正解だという証拠だから。
私は台を見据えた。
「動かせば、次の起動が始まります」
祈りの間が、静まり返った。
大司教はもう、笑っていなかった。




