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裏路地の隠れ家『BAR ZERO』。下戸の元情報屋が提供する極上の一杯は、追放された者たちを救い、悪党を密かに破滅へ導く  作者: tatsuya akaike


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第96話「盾を置いたその手で」

その知らせは、一通の手紙で届いた。


使いの者が、店に届けてくれた、その手紙。差出人の名を見て、俺は、思わず口元をほころばせた。リーナ。あの女将軍リーナからだった。引退を決意し、「二度目の春を探しに行く」と旅立っていった、あの人だ。


手紙には、こう書かれていた。


『店主。息災か。折り入って、集まってほしい場所がある。……わたしの新しい門出に、ぜひ、あなたと店の皆に立ち会ってほしいのだ』


【SOMA】――零。リーナからの招待か。……二度目の春。あの人は、何を見つけたんだろうな。


「新しい門出、ですか」俺は、手紙を見つめた。その力強い筆跡から、彼女の晴れやかな決意が伝わってくるようだった。



俺は、いつも、店から動かない。カウンターの中で一杯を注ぎ、人を迎え、表に出ることはめったにない。それが、俺の流儀だった。


だが、この日ばかりは特別だった。


「行きましょう」俺は、住人たちに告げた。「リーナさんの、新しい門出です。この目で見届けなければ」


大切な常連の、人生の節目だ。権力の招きなら辞退する。だが、これは、一人の人間のまっすぐな門出。……そういうものにこそ、俺は足を運びたかった。


ルナが、目を輝かせた。ヴァルドが、静かに頷く。ノアが、腕をまくった。「なら、俺は祝いの料理を作らねえとな」コハクも、嬉しそうに、俺の肩で羽ばたいた。


こうして、俺たちは、リーナの待つ場所へと向かうことになった。



リーナが指定した場所は、街の外れにあった。


かつては、古びた大きな屋敷だったのだろう。それが今は、すっかり手入れされ、温かな佇まいになっていた。門の前で、リーナが待っていた。だが、その姿は、俺の知る彼女とは少し違った。


鎧は、もう纏っていない。将軍の威厳の代わりに、穏やかで柔らかな、そんな空気を纏っていた。


「よく来てくれた」リーナが微笑んだ。その笑顔は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。「ここが、わたしの二度目の春だ」


「リーナさん」俺は、辺りを見回した。「ここは、いったい」


「入ってみてくれ。見てもらった方が早い」彼女は、扉を開けた。



中に足を踏み入れて、俺は、息を呑んだ。


そこには、大勢の人々がいた。片腕を失った男。松葉杖をつく若者。目に包帯を巻いた老兵。……皆、どこか戦の傷跡を負った者たちだった。だが、その顔は、決して暗くはなかった。穏やかに談笑し、日向で静かに過ごしている。


「ここは」リーナが、静かに語り始めた。「戦で傷ついた者。戦えなくなった退役兵。行き場を失った者たち。……そういう者たちのための家だ」


俺は、言葉を失った。


「わたしは二十年、戦場で、数えきれない命が失われるのを見てきた」リーナの声は、静かで深かった。「守れなかった命も、たくさんあった。……その無念を、ずっと抱えて生きてきた」


彼女は、集う人々を、慈しむように見つめた。



「引退を決めた時、わたしは思ったのだ」リーナは続けた。「これからは、剣で命を奪う側ではなく。……この手で、命を守り支える側に回りたい、と」


彼女は、自分の両手を見つめた。かつて、剣を握り続けた手。その手で、今は、傷ついた者を支えている。


「戦えなくなった者は、行き場を失う。……この国では、そういう者は、見捨てられがちだ」リーナの声に、かすかな怒りが滲んだ。「だから、わたしが、その居場所を作ろうと思った。彼らが安心して生きられる、そんな場所を」


【SOMA】――零。……これが、リーナの二度目の春か。盾将としてではなく、一人の人間として、もう一度誰かを守る道を選んだんだな。


俺の胸が、熱くなった。


「素晴らしいです」俺は、心から言った。「あなたにしかできないことです」



「あなたのおかげだ、店主」リーナが、俺をまっすぐに見た。「あの夜、あなたが『二度目の春がある』と言ってくれた。……あの一言が、わたしの背中を押してくれた」


彼女は、深々と頭を下げた。


「もし、あの夜、あなたの一杯がなければ。わたしは、ただ、抜け殻のように余生を過ごしていただろう。……本当に、ありがとう」


「いいえ」俺は、静かに首を振った。「道を選んだのも、歩き出したのも、あなた自身です」俺は微笑んだ。「俺はただ、あなたの心がもともと向いていた方角を、少し照らしただけですよ」


リーナは、ふっと笑った。そして、かつての将軍の顔で、どこか優しく言った。


「では、その締めくくりに、もう一度あなたの一杯を所望したい」彼女は言った。「この新しい門出に、ふさわしい一杯を。……頼めるか」


「もちろんです」俺は、深く頷いた。「そのために来たのですから」



俺は、持参したアイテムボックスから、一本の酒を取り出した。


力強い琥珀色の酒。地の文で、俺だけが知っている。余市。前の世界の、日本のウイスキーだ。この酒には、一つの物語がある。日本のウイスキーの父と呼ばれた人が、遠い異国で本物の酒造りを学んだ。そして帰国し、自らの理想を実現するための土地を探し求めた。たどり着いたのは、北の果ての、冷涼で厳しい、だが彼が理想とした風土の地だった。彼は、その新天地でゼロから、自らの信じる酒造りを始めたのだ。石炭の直火で力強く蒸溜される、その酒は、どっしりと重厚で力強いコクを持っていた。……新しい土地で、一から自らの道を切り拓いた者の、魂のような酒だった。


俺は、それをグラスに注いだ。琥珀色の液体が、力強く揺れる。ひとくち含むと、まず、ずしりと重い芯のある味わいが広がった。決して、甘く飲みやすいだけの酒ではない。だが、その力強さの奥に、確かな温もりと深みがあった。厳しい道を歩んだ者だけがたどり着ける、そんな境地の味だった。



「リーナさん」俺は、そのグラスを彼女に差し出した。「この酒はね、遠い異国で、ある人が自らの理想のために、誰もいない北の大地で一から造り始めたものです」


リーナが、その琥珀色の酒を見つめた。


「新しい土地、新しい挑戦。……多くの人が無謀だと笑ったそうです」俺は続けた。「ですが、その人は、信じた道をまっすぐに歩き続けた。そして、誰もが認める本物の酒を造り上げた」俺は、リーナを見た。「盾を置いて、新しい道を歩き始めた、あなたと。……重なりませんか」


リーナの目が、潤んだ。


「この力強い味は、厳しい道を歩んだ者だけが生み出せるものです」俺は言った。「あなたのこの新しい挑戦も、……きっと、同じように深く力強いものになります」


リーナは、その余市を、ゆっくりと口に運んだ。そして、目を閉じて、噛みしめるように味わった。



「……ああ」彼女は、深く息を吐いた。「力強い味だ。だが、その奥に温かさがある」彼女は、しみじみと言った。「厳しくて、優しい。……まるで、これから、わたしが進む道のようだ」


彼女の顔に、清々しい決意が浮かんでいた。


その時、集っていた退役兵たちも、次々と俺たちの周りに集まってきた。ノアが、腕によりをかけた料理を振る舞う。ルナが、花を配って回る。アリシアが、ささやかな灯りの魔法で場を彩る。コハクが、人々の間を楽しげに飛び回った。


傷ついた人々の顔に、笑顔が広がっていく。ここは、もう、悲しみの場所ではない。新しい希望が芽吹く場所だった。


【SOMA】――零。いい門出だな。……盾将リーナの物語は、ここで終わりじゃない。新しい物語の始まりだ。


「ええ」俺は、静かに頷いた。



宴がたけなわになった頃。リーナが、俺の隣に、そっと腰を下ろした。


「店主。一つ聞いてもいいか」彼女は、穏やかに言った。「あなたは、いつも店から動かないのに、なぜ今日はここまで来てくれたのだ」


俺は、少し考えて、それから微笑んだ。


「俺は、表に出るのが得意じゃありません」俺は言った。「店のカウンターから、静かに人を見守る。それが、俺の性分です」俺は続けた。「ですが、今日は、どうしてもこの目で見たかった。……あなたが見つけた二度目の春を。その始まりの瞬間を」


俺は、集う人々を見渡した。


「一杯の酒は、時に、人の背中を押します」俺は言った。「あの夜、俺が注いだ一杯が、あなたをここまで導いた。……その行き着いた先を見届けるのは、一杯を注いだ者の、ささやかな特権ですから」


リーナは、声を上げて笑った。豪快で、晴れやかな笑い声だった。



日が傾き始めた頃。俺たちは、屋敷を後にした。


門の前まで、リーナが見送りに出てくれた。その傍らには、彼女が守る人々の姿があった。


「店主。今日は本当にありがとう」リーナが言った。「あなたと、あなたの店に救われた。……この恩は忘れない」


「いいえ」俺は、首を振った。「また、いつでも店にいらしてください」俺は微笑んだ。「あなたの二度目の春の物語を聞かせてくれる一杯を、用意してお待ちしています」


リーナは、力強く頷いた。もう、その顔に、かつての迷いや不安は微塵もなかった。ただ、新しい道を歩む者の清々しさだけが、そこにあった。


俺たちは、歩き出した。裏路地の店へと帰る道を。夕日が、長い影を落としている。


「おにーさん」ルナが、俺の手を握った。「リーナさん、すごく、しあわせそうだったね」


「ええ」俺は、優しく頷いた。「あの人は、自分の二度目の春を見つけたんです。……立派に、ね」



その夜。俺は、店のカウンターに戻っていた。


いつもの裏路地のバー。いつもの、俺の居場所。少しだけ外の世界を歩いてきたが、やはり、ここが俺の帰る場所だった。


【SOMA】――零。今日は、めずらしく表に出たな。……たまには、いいもんだろう。


「ええ」俺は、静かに微笑んだ。「でも、俺の居場所は、やっぱりこのカウンターの中です」俺は言った。「ここで一杯を注ぎ、人の背中を、そっと押す。……それが、俺にできる精一杯ですから」


俺は、水のグラスを傾けた。今日見た、リーナの晴れやかな笑顔を思い出しながら。


一人の女将軍が、盾を置いた。そして、その同じ手で、今度は優しく人を守り始めた。……その物語の始まりに立ち会えたことを、俺は、静かに噛みしめていた。


夜が更けていく。裏路地の小さなバーは、今夜も、誰かの人生の新しい一歩を、そっと後押しするために扉を開けている。



≪第96話・了≫



次話――リーナの新しい門出を見届けた。店には、また、いつもの穏やかな日々が戻ってくる。見習いのカルロも、少しずつ腕を上げていた。そんなある日。一人の女性が、幼い子どもの手を引いて、店を訪れる。「あの……こちらに、亡くなった主人が通っていたと聞いて」。彼女が探していたのは、夫が遺した、ある約束だった。


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