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裏路地の隠れ家『BAR ZERO』。下戸の元情報屋が提供する極上の一杯は、追放された者たちを救い、悪党を密かに破滅へ導く  作者: tatsuya akaike


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第76話「二人ぶんの航海」

婚礼の宴から、数日が過ぎた、静かな夜だった。


俺は、カウンターの中で、ふと、この店の歩みを、思い返していた。裏路地に、ひっそりと店を開けてから、もう、一年半。剣聖も、将軍も、国王までもが、扉を叩いた。鉄を打ち、薬を作り、人を育て、そして、婚礼まで、祝った。何もなかった裏路地から、ずいぶん、遠くまで、来たものだった。


【SOMA】――零。感慨深いか。だが、お前は、変わらんな。どれだけ、店が大きくなっても。カウンターの内側で、静かに、一杯を、差し出している。


そんなことを、考えていた時だった。店の扉が、ゆっくりと、開いた。


入ってきたのは、白髪の、老人だった。がっしりとした体つき。日に焼けた、皺深い顔。ただの老人ではない。長年、体を、酷使してきた者の、風格があった。手には、油紙に包まれた、何かを、大事そうに、抱えている。



「ここが、噂の、ギルド・ゼロか」老人は、しわがれた声で言った。「どんな、難しい望みも、叶えてくれると、聞いてな」


「望みの、内容によります」俺は、微笑んだ。「まずは、一杯、いかがですか。お座りください」


老人は、カウンターに、腰を下ろした。そして、抱えていた油紙を、そっと、開いた。中から、現れたのは、古びた、一枚の、地図だった。


【SOMA】――零。ずいぶん、古い地図だな。何度も、開いては、畳んだ跡がある。手垢で、擦り切れている。持ち主が、よほど、大切にしてきたものだ。


「わしは、ドルグ」老人は言った。「昔は、冒険者を、やっていた。もう、とうに、引退した身だがな」彼は、その地図を、指でなぞった。「頼みたいのは、この地図の、示す場所を、突き止めて、ほしいのだ。わしは、もう、目も、足も、衰えた。一人では、行けん」


「その場所には、何が、あるのですか」俺は、尋ねた。「宝、ですか」


老人は、ふっと、寂しげに、笑った。


「宝、か」彼は言った。「……ある意味では、な。だが、金には、ならん。誰にとっても、価値のない。だが、わしにとっては、何よりの、宝がある場所だ」



俺は、その言葉に、静かに、耳を傾けた。


「この地図はな」ドルグは、遠い目をした。「昔、相棒と、二人で、描いたものだ」彼の声が、優しく、なった。「グレンという、男でな。わしの、無二の、相棒だった。若い頃、二人で、あちこちを、旅した。危ない目にも、遭った。だが、いつも、背中を、預け合ってな。……本物の、相棒だった」


【SOMA】――零。相棒か。若い頃、命を預け合った、戦友。いい響きだ。


「ある時、二人で、とある場所を、見つけた」ドルグは、続けた。「名もない、小さな、丘だ。だが、そこから見る、夕日が、それは、美しくてな。世界じゅうの、どんな景色より、美しかった」彼は、目を細めた。「わしらは、約束したんだ。『年を取って、冒険者を、引退したら。もう一度、二人で、あの丘に、行こう。あの夕日を、また、見よう』と」


老人の、皺深い顔に、深い、悲しみが、よぎった。


「だが、グレンは……先に、逝っちまった」彼は、静かに言った。「病でな。あっけ、なかった。……約束を、果たせないまま」



店の中に、静かな、沈黙が、流れた。


「グレンが、死ぬ間際、わしに、言った」ドルグは、震える声で、続けた。「『すまん。約束を、守れなくて』と。わしは、言ったよ。『気にするな。お前の分も、わしが、行ってくる』と」彼は、地図を、握りしめた。「だが……わしも、もう、この歳だ。目も、霞む。足も、動かん。あの丘が、どこにあったのか。この、古い地図だけが、頼りなんだ」


彼は、俺を、見た。その目には、必死の、願いが、こもっていた。


「頼む。この地図の、場所を、突き止めてくれ」彼は、頭を下げた。「わしは、死ぬ前に、もう一度、あの丘に、行きたい。グレンとの、約束を、果たしたいんだ。……あいつの分も、あの夕日を、見てやりたい」


【SOMA】――零。……重い願いだ。金のためじゃない。死んだ相棒との、約束を、果たすため。この老人の、最後の、旅なんだな。


俺は、しばらく、その地図を、見つめた。そして、静かに、頷いた。


「わかりました」俺は言った。「お引き受けします。必ず、その丘を、見つけ出します」



俺は、まず、その地図を、詳しく、調べた。ダリウスが、手配してくれた、この国の、詳細な地図と、照らし合わせる。三ツ星の、ティナも、その斥候の目で、地形の特徴を、読み解いた。


「零。この地図の、この、川の形」ティナが、指さした。「それに、この、二つ並んだ、山。これ、王都から、東へ、三日ほど行った、辺りの、地形と、似てる」


「間違いない」ダリウスの情報網も、それを、裏付けた。「この丘は、今は、忘れられた、古い街道の、そばだ。人も、めったに、通らない。だが、確かに、存在する」


場所は、特定できた。だが、問題は、ここからだった。ドルグは、老いて、一人では、そこまで、行けない。


俺は、少し、考えた。それから、口を、開いた。


「ドルグさん」俺は言った。「場所は、わかりました。ですが、あなた一人で、行かせるわけには、いきません」俺は、続けた。「うちの、若い者を、供につけます。あなたが、無事に、あの丘に、たどり着いて。そして、無事に、帰ってこられるように」



俺は、そのために、一本の、酒を、取り出した。


琥珀色の、深い酒。地の文で、俺だけが知っている。ラム。前の世界の、カリブ海の、島々で生まれた、酒だ。サトウキビから、造られる。この酒は、長いあいだ、海の男たちの、酒だった。船乗りや、冒険者たちが、愛した酒。長い航海の間、水が、腐っても、この酒は、腐らなかった。だから、船乗りたちは、この酒を、携え、大海原へと、乗り出していった。仲間と、分け合い、励まし合い。過酷な航海を、共に、乗り越えるための、相棒のような、酒だった。


俺は、グラスに注ぎ、ドルグの前に、置いた。豊かな、甘い香りが、立ち上る。


「これは、遠い海の、船乗りたちが、愛した酒です」俺は言った。「長い航海の、供として。仲間と、分け合って、飲んだ酒です」俺は、続けた。「腐りやすい水と、違って。この酒は、どんな、長い旅にも、耐えました。だから、冒険者たちの、相棒だった」


ドルグの目が、その酒を見て、潤んだ。


「相棒、か」彼は、呟いた。「……グレンと、よく、こういう酒を、二人で、分けあったよ。焚き火を、囲んでな」


「では」俺は、もう一つ、グラスを、取り出した。そして、そこにも、ラムを、注いだ。「今夜は、グレンさんの分も。二人ぶん、注ぎましょう」



ドルグは、その、二つのグラスを見て、大粒の、涙を、こぼした。


「……ありがとう」彼は、声を、詰まらせた。「そうだな。あいつも、一緒だ。いつだって」


彼は、自分のグラスを、手に取り、もう一つのグラスに、そっと、触れ合わせた。かちん、と、澄んだ音が、鳴る。


「グレン」彼は、静かに、語りかけた。「待ってろよ。もうすぐ、あの丘に、行くからな。お前の分も、あの夕日を、見てくる」


彼は、ラムを、ゆっくりと、飲んだ。その顔には、悲しみと、そして、確かな、喜びが、浮かんでいた。長年の、約束を、果たせる。その、安堵が。


【SOMA】――零。いい酒の、飲ませ方だ。二人ぶん、注ぐ。それだけで、この老人の、心が、救われた。死んだ相棒が、隣に、いるように、感じられたんだ。



「供は、うちの、レンさんに、頼みましょう」俺は言った。「若くて、腕が立つ。それに、優しい男です。あなたを、必ず、守ります」


ちょうど、地下から、上がってきたレンが、話を聞いて、頷いた。


「マスター。俺が、行きます」彼は、力強く言った。「ドルグさんを、必ず、あの丘まで、お連れします。そして、必ず、無事に、お帰しします」


「頼む、若いの」ドルグは、レンの手を、握った。「わしの、最後の、わがままに、付き合って、くれ」


その夜、店は、ドルグの、旅立ちを、励ます、団欒に、包まれた。


ノアが、旅の、携行食を、用意した。日持ちする、干し肉と、木の実の、詰まった、堅パン。


「年寄りの、長旅だ。しっかり、食え」ノアは、ぶっきらぼうに、言った。「途中で、倒れられちゃ、困る」


ルナが、ドルグの、そばに来て、心配そうに、言った。


「おじいちゃん、気をつけてね。ちゃんと、帰ってきてね」


「ああ、必ず、帰ってくるとも」ドルグは、優しく、ルナの頭を、撫でた。「約束を、果たしたらな」


ヴァルドが、レンに、短く、声をかけた。


「道中の護衛は、お前に任せる。だが、油断はするな」元騎士は言った。「年寄りを守りながらの旅は、いつもより、気を配れ」


「はい」レンが、引き締まった顔で、頷いた。


アリシアも、そっと、小瓶を差し出した。


「ドルグさん。これを、お持ちください」彼女は、微笑んだ。「疲れた時に、一口。少し、体が、楽になります」老人の長旅を気遣う、優しい心配りだった。



数日後。旅立ったドルグとレンから、無事に、丘に着いたという、報せが、届いた。そして、旅を終えて、二人が、店に、帰ってきた。


ドルグの顔は、来た時とは、まるで、違って、穏やかで、晴れやかだった。憑き物が、落ちたような、深い、安らぎが、あった。


「見てきたよ」彼は、静かに、言った。「あの丘の、夕日を。……昔と、少しも、変わっていなかった。世界じゅうの、どんな景色より、美しかった」彼の目に、涙が、光った。「グレンの分も、しっかり、目に、焼きつけてきた。……これで、思い残すことは、ない」


レンが、そっと、付け加えた。


「ドルグさん、丘の上で、ずっと、空に、話しかけていました」彼は言った。「『見ろよ、グレン。約束、果たしたぞ』って。……俺、なんだか、涙が、止まりませんでした」


俺は、静かに、頷いた。一枚の、古い地図が。一つの、古い約束を、果たした。金銭には、決してならない。だが、この老人にとって、これ以上の、宝は、なかった。


「ドルグさん」俺は、二つのグラスに、ラムを、注いだ。「お帰りなさい。約束を、果たされた、お祝いです。……もちろん、二人ぶん、注ぎました」


ドルグは、その、二つのグラスを見て、また、涙を、こぼした。そして、幸せそうに、微笑んだ。



【SOMA】――零。また一つ、この店で、いい仕事を、したな。金にならない、依頼だった。だが、この老人の、人生の、いちばん大切な、約束を、果たす手伝いを、できた。


俺は、内心で、頷いた。ギルド・ゼロは、鉄も打つ。薬も作る。だが、いちばん、大切にしているのは、こういう仕事だ。人の、心に、寄り添うこと。誰かの、大切な、想いを、守ること。


裏路地から、世界を、動かす。それは、大それた、野望では、ない。ただ、目の前の、一人の望みに、寄り添い続けた、その先に、ある。


「おにーさん」ルナが、帰ってきたドルグを見て、嬉しそうに、言った。「おじいちゃん、いい顔してるね!」


「ええ」俺は、微笑んだ。「大切な、約束を、果たせたんです。……人は、そういう時、いちばん、いい顔を、するんですよ」


ドルグは、ラムのグラスを、二つ、静かに、傾けていた。もう、その隣に、相棒の姿は、見えない。だが、彼の心の中では、確かに、二人は、あの美しい夕日を、一緒に、見ていた。


夜が、更けていく。裏路地の、小さなバーは、今夜も、一つの、古い約束を、そっと、見届けた。二人ぶんの、ラムとともに。



≪第76話・了≫

次話――ドルグの依頼は、静かな感動を、残していった。だが、平穏な日々は、長くは続かない。ある夜、シロが、落ち着かない様子で、地下への入口を、じっと、見つめていた。ダンジョンを、誰よりも、よく知る、始まりの守護者。その、もふもふとした獣が、かすかな、異変を、感じ取っていた。地下の、深い場所で、何かが、静かに、揺らいでいる。地下に眠る、あの、光る岩と……関わりが、あるのだろうか。

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