第72話「異国の一杯」
白鉄組との和解の噂は、また、新たな縁を、運んできた。
数日後の夜。店の扉が開いて、見慣れない、いでたちの男が、入ってきた。日に焼けた肌。色鮮やかな、異国の衣装。腰には、たくさんの、小さな革袋を、ぶら下げている。
「こんばんは」男は、独特の、訛りのある言葉で言った。「ここに、世界一の、ギルドが、あると聞いてね。ぜひ、取引が、したいのだが」
【SOMA】――零。この男、遥か南方の、交易商人だ。名は、サディク。いくつもの、砂漠と、海を越えて、様々な国の、珍しい品を、運ぶ。特に、香草と、香辛料の、目利きだ。
「ようこそ、いらっしゃいました」俺は、頭を下げた。「まずは、一杯、いかがですか。旅の、お疲れでしょう」
「おお、ありがたい」サディクは、陽気に、カウンターに座った。「長い、旅だった。故郷から、ここまで、三月も、かかったよ」
「取引、というと」俺は、尋ねた。
「こちらのギルドは、鉄や、薬で、名を上げたと聞いてな」サディクは、腰の革袋を、一つ、外した。「わたしは、南方の、珍しい香草や、香辛料を、扱っている。あんたのところの、薬師や、魔法師に、役立つものが、あるんじゃ、ないかと、思ってね」
彼は、革袋を開けた。中から、嗅いだことのない、複雑で、豊かな香りが、立ち上る。
【SOMA】――零。本物だ。これは、貴重な香草だ。この男、ただの商人じゃない。相当な、目利きだぞ。
ちょうど、二階の作業場から、アリシアと、メイザが、降りてきた。その香りに、気づいたらしい。
「零さん、この香りは……」アリシアが、目を輝かせた。「素晴らしい、香草の香りです」
「南方の、薬草だね」メイザも、鼻を、ひくつかせた。「見たことのない、種類だ。これは、面白い」
サディクは、二人の反応に、満足そうに、頷いた。
「おお、あんたたちが、噂の、薬師と、魔法師か」彼は言った。「どうだ、この、香草。故郷では、万能薬と、呼ばれている。だが、使い方が、難しくてな。ここまで、目利きが、揃っているなら、ぜひ、買ってほしい」
俺は、しばらく、考えた。それから、一つの、提案を、思いついた。
「サディクさん」俺は言った。「取引の前に。一つ、面白いものを、お見せしても、いいですか」
「ほう?」
「あなたの香草と、うちのアリシアさんたちの薬草。それに、この世界の、珍しい果実を、使って」俺は、微笑んだ。「一杯の、特別な酒を、作ってみたいのです」
サディクの目が、興味深そうに、光った。
俺は、棚から、一本の、透明な酒を取り出した。
無色の、澄んだ酒。地の文で、俺だけが知っている。ジン。前の世界の、蒸留酒だ。この酒は、面白い、生まれを持っている。もともとは、酒ではなく、薬だった。遠い昔、修道士や、医者たちが、ジュニパーベリーという、木の実を、はじめとする、様々な薬草を、酒に浸して、薬用酒として、造ったのが、始まりだ。腹痛や、熱の、治療薬。それが、あまりに、美味しかったので、いつしか、人々に、愛される酒に、なった。
そして、この酒の、いちばんの特徴は、その、自由さにある。ジュニパーベリーを、軸にしながら、造り手は、好きな薬草や、香草を、自由に、加えることができる。何十種類もの、植物を使う、造り手もいる。まさに、薬草と、香草の、結晶のような酒だった。
「この酒は」俺は、サディクに言った。「もともと、薬だったのです。様々な、薬草を、酒に、溶かし込んで」俺は、続けた。「そして、この酒は、自由です。どんな薬草も、香草も、受け入れる。……あなたの香草と、うちの薬草を、加えるのに、これほど、ふさわしい酒は、ありません」
俺は、アリシアと、メイザに、声をかけた。
「お二人の、薬草を、少し、分けてもらえますか。体に、優しく、香りのいいものを」
「もちろんです」アリシアが、頷いた。彼女は、二階の作業場から、丁寧に、乾燥させた薬草を、持ってきた。「これは、心を、落ち着ける、薬草です。ほんの少し、甘い香りが、します」
「あたしのは、これだ」メイザも、小瓶を出した。「爽やかな、香りの薬草。飲んだ後、すっきりする」
そして、俺は、ルナに、頼んだ。
「ルナ。厨房から、あの、青い果実を、持ってきてもらえますか」
ルナが、嬉しそうに、駆けていき、一つの果実を、持ってきた。この世界の、珍しい果実だ。ノアが、料理に使う、爽やかな酸味と、ほのかな甘みを持つ、青い実だった。
「これで、材料は、揃いました」俺は言った。
俺は、静かに、カクテルを、作り始めた。
まず、ジンを、氷を入れた、器に、注ぐ。そこに、アリシアの、心を落ち着ける薬草を、そっと、加える。次に、メイザの、爽やかな薬草を、ほんの少し。そして、ルナが持ってきた、青い果実を、搾って、その果汁を、垂らす。最後に、蜂蜜を、少しだけ。
【SOMA】――零。いい配合だ。ジンのボタニカルと、アリシアの薬草、メイザの薬草、異世界の果実。すべてが、喧嘩せず、溶け合っている。さすが、元・銀座の、バーテンダーだ。
俺は、それを、丁寧に、混ぜ合わせた。氷が、澄んだ音を立てる。透明だった酒が、青い果実の色を、映して、ほんのりと、美しい、若草色に、染まった。
俺は、その一杯を、サディクの前に、そっと、置いた。
「どうぞ。うちのギルドと、あなたの香草が、出会って、生まれた、一杯です」俺は言った。「名前は……そうですね。『邂逅』と、でも、しましょうか」
サディクは、その、美しい若草色の酒を、じっと、見つめた。それから、ゆっくりと、口に、運んだ。
その瞬間、彼の目が、大きく、見開かれた。
「……なんと」彼は、呆然と、呟いた。「これは……すごい。ジュニパーの、香りが、まず来て。それから、優しい甘さ。爽やかさ。そして、この、異国の果実の、酸味」彼は、もう一口、飲んだ。「一つひとつの、薬草が、生きている。それでいて、全体が、一つの、調べのように、まとまっている」
彼は、感極まったように、俺を見た。
「わたしは、三十年、香草を、扱ってきた」彼は言った。「様々な国で、様々な、飲み物を、味わってきた。だが、これほど、香草の、良さを、引き出した一杯は、飲んだことが、ない」
【SOMA】――零。サディクの心を、掴んだな。この男、本物の目利きだ。その男が、これほど、感動している。
「これは、一人で、作ったものでは、ありません」俺は言った。「あなたの香草。アリシアさんと、メイザさんの薬草。ルナが選んだ、この世界の果実。みんなの力が、集まって、生まれた一杯です」
サディクは、深く、頷いた。それから、店の中を、見回した。アリシア、メイザ、ルナ。そして、興味深そうに、顔を出した、ヴァルドや、ガルダ。
「わかったよ」彼は、晴れやかに、言った。「なぜ、ここが、世界一と、呼ばれるのか。それは、一人の、天才が、いるからじゃ、ない。違う力を持つ者が、集まって、一つのものを、生み出す。その、力なんだな」
「ええ」俺は、微笑んだ。「うちの、いちばんの、財産です」
「取引の話だが」サディクは、身を乗り出した。「ぜひ、うちの香草を、あんたのギルドに、卸させてくれ。そして、こうして、あんたたちが、それを、素晴らしいものに、変えていくのを、見せてほしい」彼は、笑った。「南方の香草が、遠い、この国で、こんな、美しい一杯に、なる。商人として、これほど、嬉しいことは、ない」
こうして、ギルド・ゼロは、遠い南方の、交易商人とも、繋がった。その名は、また一つ、国境を、越えていく。
その夜、店は、賑やかな、団欒に、包まれた。
ノアが、サディクの、香辛料を、少し、分けてもらい、腕を振るった。香辛料を、効かせた、南方風の、煮込み料理だ。エキゾチックで、食欲をそそる、香りが、店じゅうに、広がる。
「異国の、香辛料は、面白い」ノアが、ぶっきらぼうに、言った。「使い方を、覚えれば、料理の幅が、広がる」
「おお、料理人まで、腕がいい」サディクが、その料理を、頬張って、目を丸くした。「うまい! 我が故郷の味と、この国の味が、混ざり合っている!」
アリシアと、メイザは、サディクから、香草の、詳しい使い方を、熱心に、聞いていた。新しい、魔法薬の、可能性が、また、広がりそうだった。
ルナは、自分が選んだ果実が、美しい一杯になったことが、嬉しくて、たまらない様子だった。
「あたしの果実、お酒に、なったね!」
「ええ。ルナの、おかげです」俺は、微笑んだ。「いい、果実を、選んでくれました」
夜が更け、サディクが、上機嫌で、帰っていった。また、来る、と約束して。
俺は、カウンターの中から、静かに、店を、眺めた。
遠い、異国の香草。この世界の、薬草と、果実。そして、前の世界の、酒。何もかもが、違う、はずのものが。この、小さな店で、出会い、混ざり合い、一つの、美しい一杯に、なった。
【SOMA】――零。カクテルってのは、面白いな。違うものを、混ぜて、新しいものを、生む。まるで、この店に、集まる、人間たちの、ようだ。
俺は、内心で、頷いた。その通りだった。違う世界から来た、俺。追われて、流れ着いた、住人たち。遠い国から、訪ねてくる、客たち。みんな、違う。だが、この店で、出会い、混ざり合って、何か、新しいものを、生んでいく。
一杯の、カクテルのように。
ルナが、眠そうに、目をこすりながら、星霜鉄の飾りを、握っていた。その小さな星も、この、混ざり合う店の、大切な、一つの、色だった。
夜が、静かに、更けていく。裏路地の、小さなバーは、今夜も、様々なものを、混ぜ合わせ、新しい何かを、生み出していた。世界で、たった一つの、味を。
≪第72話・了≫
次話――サディクとの取引で、ギルド・ゼロには、南方の珍しい香草が、続々と、届くようになった。アリシアとメイザの、魔法薬の研究は、大きく、前進する。そんなある夜。一人の若い女が、思いつめた顔で、店を訪れた。「お願いします……わたしの、声を、取り戻してください」。かつて、歌姫と、謳われた女は、ある日、突然、歌えなくなったのだという。ギルド・ゼロに、また一つ、風変わりな依頼が、舞い込もうとしていた。




