第71話「後から来た者」
ギルド・ゼロの名が、国の頂にまで届いた、その少し後のことだった。
その男は、いかにも、不服そうな顔で、店に入ってきた。仕立てのいい服。だが、その表情には、隠しきれない、傲慢さが、滲んでいる。
【SOMA】――零。この男、王都の職人ギルド「白鉄組」の、重鎮だ。ドミトス。何百年も続く、由緒ある鍛冶の名門。この国の武具作りを、長く、取り仕切ってきた組織の、幹部だ。
「お前が、噂の、ギルド・ゼロの主か」ドミトスは、カウンターに座るなり、俺を、値踏みするように見た。「ふん。裏路地の、小さな店じゃないか」
「ようこそ、いらっしゃいました」俺は、静かに、頭を下げた。「何か、お飲みになりますか」
「北部の防具の件だ」ドミトスは、俺の言葉を、無視して言った。「リーナ将軍が、うちの白鉄組ではなく、こんな、ぽっと出のギルドに、発注したと聞いてな。腹に、据えかねている」
「白鉄組は、四百年、この国の武具を、支えてきた」ドミトスは、声を、荒らげた。「その、積み重ねた伝統がある。なのに、たかだか、数ヶ月前にできた、鍛冶場もどきが、我々を、差し置いて、将軍の依頼を、奪った」彼は、俺を、睨んだ。「お前たちのような、後から来た、素性も知れぬ者が。伝統も、格式もない、成り上がりが」
【SOMA】――零。プライドを、傷つけられたんだな。四百年の名門が、新参のギルドに、負けた。それが、許せないんだろう。
俺は、しばらく、その言葉を、静かに聞いていた。それから、口を開いた。
「おっしゃる通り、うちは、後から来た、新参者です」俺は、認めた。「伝統も、格式も、ありません。まだ、ほんの、数ヶ月の店です」
ドミトスが、勝ち誇ったように、鼻を鳴らした。
「だが」俺は、続けた。「後から来た者が、先を行く者を、追い越すことは、あります。それも、その、後から来た、というハンデを、逆に、強みに変えて」
俺は、棚から、一本のボトルを取り出した。
美しい、黄金色の酒。地の文で、俺だけが知っている。カバラン。前の世界の、台湾で造られる、ウイスキーだ。ウイスキーといえば、本場は、スコットランドや、アイルランド。何百年もの、歴史を誇る。そんな中、台湾は、ずっと後になって、ウイスキー造りに、挑んだ。歴史は、ほんの、十数年。まさに、新参者だった。
俺は、グラスに注ぎ、ドミトスの前に、置いた。豊かな、南国の果実のような、華やかな香りが、立ち上る。
「これは、遠い国で造られる、酒です」俺は言った。「ウイスキーという酒の、本場は、遥か北の、寒い国です。何百年もの、歴史があります。ですが、この酒は、違います。ずっと南の、暑い島で、ほんの十数年前に、造り始められた。まさに、後から来た、新参者の酒です」
ドミトスは、鼻で笑いながらも、その香りに、わずかに、眉を動かした。
「ウイスキーは、寒い土地で、長い年月をかけて、熟成させるのが、常識でした」俺は、続けた。「暑い土地は、酒造りには、向かない。誰もが、そう思っていました。この島の、暑さは、致命的なハンデのはずでした」
「ですが、造り手は、考えたのです」俺は言った。「暑さを、嘆くのではなく。その暑さを、逆に、利用しよう、と」
ドミトスの、笑いが、止まった。
「暑い土地では、酒が、樽の中で、早く、育ちます」俺は言った。「本場が、何十年も、かける熟成を、この島では、わずか数年で、成し遂げた。ハンデだったはずの暑さが、誰にも真似できない、強みに、変わったのです」俺は、静かに、続けた。「そして、この後から来た酒は、本場の、由緒ある大会に、挑みました。誰もが、鼻で笑いました。新参者に、何ができる、と」
俺は、ドミトスの目を、まっすぐに見た。
「結果は、優勝でした」
ドミトスの顔が、こわばった。
「四百年の伝統を持つ、本場の名門たちを、押しのけて。ほんの十数年の、新参者が、世界の頂点に、立ったのです」俺は言った。「後から来たからこそ、古いしがらみに、囚われなかった。常識を、疑えた。ハンデを、強みに、変えられた。……ドミトスさん。伝統は、尊いものです。ですが、伝統だけが、いいものを、生むわけでは、ありません」
ドミトスは、しばらく、黙って、いた。それから、悔しそうに、グラスの酒を、あおった。
とたんに、その目が、見開かれた。
「……なんだ、これは」彼は、呆然と、呟いた。「華やかで、複雑で……それでいて、深い。こんな味の酒、飲んだことが、ない」
「後から来た者にしか、造れない味です」俺は言った。「本場の常識に、縛られなかったからこそ、生まれた、新しい味です」
俺は、静かに、続けた。
「うちのギルド・ゼロも、同じです」俺は言った。「四百年の伝統は、ありません。ですが、しがらみも、ありません。だから、常識にない、新しい鉄を、扱えた。剣士に、鍛冶を、学ばせた。魔法師と、薬師を、組ませた。伝統ある白鉄組では、決して、やらないことを、やれたのです」
ドミトスは、俯いた。その肩から、傲慢さが、抜け落ちていた。
「……見せて、もらえるか」彼は、絞り出すように、言った。「その、星霜鉄とやらの、防具を」
俺は、ガルダを呼びに、ルナを地下へ行かせた。しばらくして、ガルダが、完成した予備の防具を手に、上がってきた。
ドミトスは、その防具を、手に取った。四百年、鉄を見てきた、職人の目で。淡く光る、星霜鉄の鎧を、じっくりと、検分する。
その手が、震え始めた。
「……信じられん」彼は、呻いた。「この軽さ。この、強度。そして、この、魔力の、通り。四百年、鉄を見てきたが、こんなものは、見たことがない」彼は、顔を上げた。その目に、もう、傲慢さは、なかった。「これを、打ったのは、誰だ」
「あたしだよ」
地下から上がってきたガルダが、腕を組んで、言った。ドミトスが、彼女を見て、息を呑んだ。
「……鉄火のガルダ。あんた、生きていたのか」彼は、驚愕した。「王都一と、謳われながら、ある日、忽然と、姿を消した、伝説の鍛冶師。こんな、裏路地に、いたとは」
「本物の鉄を、探す旅に、出てたのさ」ガルダは、にやりと笑った。「そして、ここで、見つけた。あんたたち白鉄組が、四百年、扱えなかった、本物の鉄をね」
ドミトスは、深々と、頭を下げた。
「……見くびって、いた」彼は、言った。「伝統に、あぐらをかいて。後から来た者を、侮っていた。恥ずかしい、限りだ」彼は、俺を見た。「ギルド・ゼロ。お前たちの、実力を、認める。白鉄組は、二度と、お前たちを、格下とは、見ない」
「ありがとうございます」俺は、頭を下げた。「ですが、白鉄組の、四百年の伝統も、本物です。俺たちは、それを、尊敬しています」俺は言った。「後から来た者と、長く続く者。互いに、学び合えば、この国の、武具作りは、もっと、豊かになる。そう、思いませんか」
ドミトスは、しばらく、俺を見て、それから、ふっと、笑った。
「……お前は、たいした男だ」彼は言った。「勝ち誇るでもなく、敵に、手を差し伸べる、か」彼は、立ち上がった。「いいだろう。今度、白鉄組の、若い者を、寄越す。お前たちの、新しい鍛冶を、学ばせたい。その代わり、うちの、四百年の技も、伝えよう」
思わぬ形で、新参のギルドと、四百年の名門が、手を、結ぶことになった。
ドミトスが、帰った後。店に、いつもの団欒が、戻った。
ガルダが、まだ、少し、興奮した様子で、カバランのグラスを、傾けていた。
「しかし、いい酒だねえ、これは」彼女は、しみじみと言った。「後から来た者の酒、か。あたしみたいだ」
「ガルダさんこそ、本物です」俺は、微笑んだ。
ノアが、皿を運んできた。今夜は、南国風の、甘酸っぱいソースで、仕上げた、鶏肉の料理だ。つやつやと照りの出たソースが、食欲をそそる。カバランの、南国の香りに、合わせたのだろう。
「その酒に、合うと思ってな」ノアは、ぶっきらぼうに言った。
アリシアが、その料理を、一口食べて、微笑んだ。
「ノアは、本当に、お酒に合う料理を、考えるのが、上手ですね」
ヴァルドも、静かに、頷いていた。ルナは、そのそばで、星霜鉄の飾りを、いじりながら、みんなの笑い声を、楽しそうに、聞いている。
【SOMA】――零。今日は、いい日だったな。四百年の名門が、頭を下げた。だが、お前は、勝ち誇らなかった。むしろ、手を、結んだ。それでこそ、お前だ。
俺は、カウンターの中から、店の光景を、眺めた。
後から来た者。伝統も、格式もない、裏路地の、小さなギルド。だが、しがらみがないからこそ、新しいことに、挑めた。ハンデを、強みに変えて。まるで、あの、南の島の、後から来た酒のように。
「ねえ、おにーさん」ルナが、言った。「あの、いばってた、おじさん。最後は、いい人に、なったね」
「ええ」俺は、頷いた。「人は、本物に、触れると、変われるんですよ」
ルナが、にっこりと、笑った。彼女の首で、星霜鉄の飾りが、淡く、光る。後から生まれた、小さな星。だが、その輝きは、どんな、古い宝石にも、負けていなかった。
夜が、静かに更けていく。裏路地の、後から来たギルドは、今夜も、確かな一歩を、刻んでいた。伝統の、その先へ。誰も、見たことのない、新しい場所へと。
≪第71話・了≫
次話――白鉄組との、思わぬ和解。その噂は、また、新たな縁を、運んでくる。数日後、店に、遠い異国の訛りを持つ、一人の商人が、訪ねてきた。「こちらに、世界一のギルドが、あると聞いてね。ぜひ、取引が、したいのだが」。ギルド・ゼロの名は、ついに、国境をも、越えようとしていた。




