第68話「剣と、鉄と」
星霜鉄の防具作りが、佳境に入った、ある日の夜。
店の扉が開いて、大柄な男が、入ってきた。鍛え抜かれた体。静かな眼光。腰には、二振りの剣。
【SOMA】――零。剣聖ガルドだ。久しぶりの来店だな。弟子のレンの様子を、見に来たんだろう。
「よう、零」ガルドは、低い声で言った。かつて、この店で毒を抜き、剣士としての生を、取り戻した男だ。「久しぶりだな」
「お久しぶりです、ガルドさん」俺は、頭を下げた。「レンさんのことで、いらしたんですか」
「ああ」ガルドは、カウンターに腰を下ろした。「あいつが、この店で、鍛冶を、手伝っていると聞いてな。剣の修行の合間に。……いい顔を、しているそうじゃないか」
その言葉には、師としての、複雑な響きが、混じっていた。
ちょうどその時、レンが、地下の鍛冶場から、上がってきた。煤で汚れた顔。だが、その目は、生き生きと、輝いている。
「師匠!」レンは、ガルドを見て、驚いた。それから、少し、気まずそうに、目を伏せた。「……来て、いたんですね」
店の空気が、わずかに、張り詰めた。剣の弟子が、鍛冶に、うつつを抜かしている。師として、それを、どう思うのか。レンは、それを、恐れているようだった。
【SOMA】――零。レンのやつ、後ろめたいんだな。剣の道から、逸れていると、思い込んでいる。
俺は、二人の間に、そっと、口を挟んだ。
「まず、お二人とも、一杯、いかがですか」俺は言った。「積もる話は、それからでも、遅くありません」
ガルドは、小さく頷いた。レンも、おずおずと、師の隣に、腰を下ろす。
俺は、棚から、一本のボトルを取り出した。
透き通った、気品のある酒。地の文で、俺だけが知っている。十四代。前の世界の、日本は山形の、由緒ある酒蔵の酒だ。何百年も、親から子へ、代々受け継がれてきた蔵。だが、その当代は、伝統を守るだけでは、なかった。古い技を受け継ぎながら、新しい造りにも挑み、それまでの日本酒の常識を、塗り替えた。伝統と革新。その両方を、一つの杯に、宿した酒だった。芳醇で、華やかで、それでいて、澄んでいる。
俺は、二つの杯に注ぎ、ガルドとレンの前に置いた。
「これは、遠い国の、古い酒蔵の酒です」俺は言った。「何百年も、親から子へ、受け継がれてきました。ですが、この酒を造った当代は、ただ、伝統を守るだけでは、ありませんでした」
ガルドが、杯を傾け、その香りを、確かめる。
「古い技を、受け継ぎながら」俺は、続けた。「新しい造りにも、挑んだ。伝統と、革新。その両方を、併せ持つ。だからこそ、この酒は、これほど、深いのです」
レンが、はっとした顔で、俺を見た。
「レンさん」俺は、静かに言った。「あなたは、ガルドさんから、剣を、受け継いでいます。それは、揺るぎない、あなたの、根です」俺は、続けた。「でも、あなたは今、鍛冶という、新しい道にも、触れている。それは、剣の道から、逸れることでは、ありません。むしろ、剣を、もっと深く、知ることです」
レンの目が、揺れた。
「い、いいんでしょうか」彼は、絞り出すように言った。「俺は、剣士です。師匠の、弟子です。なのに、鉄を打つことに、夢中になって……師匠に、申し訳なくて」
沈黙が、流れた。
そして、ガルドが、口を開いた。
「レン」低い声だった。「お前は、勘違いを、している」
レンが、びくりと、肩を震わせた。
「俺は、二十年、剣を振ってきた」ガルドは、静かに言った。「その間、ずっと、思っていた。いい剣とは、何か。どうすれば、剣は、折れず、しなり、命を守るのか。だが、俺は、剣を振ることしか、知らなかった。鉄が、どう生まれるかは、知らなかった」
彼は、レンを、まっすぐに見た。
「お前は、その両方を、知ろうとしている」ガルドの声が、わずかに、温かくなった。「剣を振る者が、鉄を打つことを知る。それは、俺には、できなかったことだ。誇りに思え。恥じることなど、何もない」
レンの目に、みるみる、涙が浮かんだ。
「師匠……」
「いい機会だ」ガルドは、立ち上がった。「その、ガルダという鍛冶師に、挨拶がしたい。お前が、世話になっている、師の一人だ」
「あら、噂をすれば」
その声に、振り返ると、地下から、ガルダが上がってきていた。煤だらけの顔で、鎚を肩に担いでいる。剣聖ガルドと、鍛冶師ガルダ。名は似ているが、まるで違う道を歩んできた、二人だった。
「久しぶりだね、ガルド」ガルダが、にやりと笑った。「あんたの剣は、相変わらず、よく斬れるかい」
「ガルダか」ガルドの顔が、わずかに、ほころんだ。「昔、お前に打ってもらった剣は、今も、使っている。あれ以上の剣に、出会ったことがない」
【SOMA】――零。この二人、旧知の仲だったな。剣を使う者と、剣を打つ者。名工の剣を、最強の剣士が振る。かつて、そういう関係だったんだろう。
二人は、しばらく、懐かしそうに、昔の話をしていた。名を、聞き間違えそうなほど、似た響きの二人。だが、その道は、剣と鉄で、はっきりと、分かれている。そして、その二つの道が、今、レンという若者の中で、一つに、交わろうとしていた。
「レン」ガルダが、若者を見た。「お前、筋がいいよ。剣を知ってる奴が打つ刃は、違う。どこに力が加わるか、体で、わかってるからな」彼女は、続けた。「剣士のまま、鍛冶を、続けな。お前にしか、打てない剣が、いつか、できる」
「はい!」レンが、力強く、頷いた。
ガルドが、その様子を見て、満足そうに、頷いた。
「零」ガルドが、俺を見た。「いい店だな。ここでは、人が、伸びる。俺の弟子が、俺の知らない顔を、見せている」彼は、杯を、傾けた。「この酒みたいに、だ。古いものを受け継ぎ、新しいものに、挑む」
「ええ」俺は、微笑んだ。「レンさんは、きっと、あなたと、ガルダさん、二人の技を、受け継いだ、新しい何かに、なります」
その夜、店は、賑やかな団欒に包まれた。
ノアが、腕によりをかけた料理を、運んでくる。今夜は、分厚い骨つき肉を、香草とともに、じっくりと焼き上げた一皿だ。表面は、香ばしく焦げ、中は、しっとりと柔らかい。肉汁が、じゅうと、音を立てている。
「剣士も、鍛冶も、腹が資本だ」ノアは、ぶっきらぼうに言って、皿を並べた。「食え」
ガルドが、その肉を、豪快に頬張った。
「……うまい」彼は、目を細めた。「二十年、各地を回ったが。これほどの飯は、そうは、なかった」
レンと、ガルダも、同じ卓を囲んだ。剣の師と、鍛冶の師。二人の師に、囲まれて、レンは、幸せそうだった。
入口のヴァルドも、その光景を、静かに見守っていた。かつて騎士団で剣を振るった男には、剣を語る二人の会話が、心地よく響いているようだった。アリシアは、ガルダの打つ星霜鉄に宿る魔力の話を、興味深そうに、レンから聞き出している。
ルナが、その輪に加わり、星霜鉄の飾りを、ガルドに見せた。
「これ、ガルダさんが、打ってくれたの!」
「ほう」ガルドは、その細工を、じっと見た。「……見事な、星霜鉄だ。これを打てるのは、ガルダ、お前しか、いないな」
ガルダが、鼻を鳴らして、まんざらでもない顔をした。
夜が更け、ガルドが、帰り支度を始めた。
「零。世話になった」ガルドは言った。「レンのことは、この店に、預ける。剣も、鉄も、ここでなら、あいつは、まっすぐ、伸びるだろう」
「お任せください」俺は、頷いた。
ガルドは、レンの肩を、ぽんと、叩いた。
「励めよ。俺を、超えていけ」それだけ言って、剣聖は、夜の街へと、去っていった。
レンは、その背中を、まっすぐに見送った。その目には、もう、迷いは、なかった。
「マスター」レンが、俺に言った。「俺、決めました。剣も、鍛冶も、両方、極めます。俺にしか、打てない剣を。俺にしか、振れない剣を」
「いい決意です」俺は、微笑んだ。
【SOMA】――零。また一人、この店で、道を見つけたな。剣と、鉄。二つの道が、一人の若者の中で、交わった。
俺は、内心で頷いた。何かを受け継ぎ、何かに挑む。人は、そうやって、伸びていく。この店は、その、伸びる場所で、ありたかった。
夜が、静かに更けていく。明日も、地下の炉には、火が入る。若い兵たちの防具と、一人の若者の、新しい夢を、鍛えながら。
≪第68話・了≫
次話――ついに、北部への防具が、完成した。ガルダとレンが打ち上げた、星霜鉄の防具。その仕上がりは、リーナ将軍の、予想を、はるかに超えていた。だが、それを、北部の砦まで、どう届けるか。大量の防具の輸送には、思わぬ危険が、伴う。「零。運搬の護衛、誰に頼む?」。ギルド・ゼロの力が、試されようとしていた。




