第67話「岩に、一杯を」
北部への防具作りは、順調に、始まっていた。
ガルダの鍛冶場に、剣聖の弟子レンが加わり、炉の火は、いっそう赤く燃えている。ヴァルドが、実戦を知る目で、防具の形を助言し、アリシアが、防護の魔力を、鎧に宿す。ギルド・ゼロの総力を挙げた、若い兵たちのための、仕事だった。
だが、数日後の夜。地下から上がってきたガルダの顔が、曇っていた。
「零。困ったことに、なった」彼女は、カウンターに腰を下ろし、低い声で言った。「鉄が、足りん」
「星霜鉄が、ですか」
「ああ」ガルダは、頷いた。「北部の兵の数は、多い。全員分の防具となると、相当な量の鉄がいる。だが、今の採掘のペースじゃ、とても、追いつかない」彼女は、腕を組んだ。「手っ取り早いのは、あの一枚岩を、砕くことだ。あそこは、いちばん質のいい星霜鉄の、大元だからな。だが……」
彼女は、言葉を、濁した。
「あの岩には、手をつけるな、と言ったのは、お前だ」
俺は、しばらく、考え込んだ。
あの一枚岩。星霜鉄の、大元。ダンジョンの魔力が、気の遠くなる年月をかけて、凝縮した場所。そして、その奥に、まだ何かが眠っている、謎の岩。シロが、開けるべきではないと、告げた岩だ。
【SOMA】――零。難しい判断だ。若い兵の命は、守りたい。だが、あの岩を、力ずくで砕くのは、危険かもしれん。奥に眠るものが、何なのか、まだ、わからんのだからな。
(ええ。砕くのは、最後の手段です)
俺は、決めた。その夜、店を閉めた後、シロを連れて、地下へ降りた。あの岩と、もう一度、向き合ってみるつもりだった。
第一層の、鉱脈の奥。淡く光る一枚岩は、変わらず、そこにあった。俺は、その前に立ち、じっと、見つめた。
「シロ。この岩から、星霜鉄を、分けてもらう方法は、ないだろうか」俺は、静かに問うた。「砕くのではなく。この岩を、傷つけずに」
シロは、俺を見上げ、それから、岩を見た。そして、ゆっくりと、鼻先で、俺の腰のあたりを、つついた。そこには、アイテムボックスに入れた、酒瓶があった。
【SOMA】――零。シロは、何か、伝えようとしている。酒……いや、一杯を、ということか。
俺は、はっとした。
かつて、この地下の境界が、乱れかけたことがあった。あの時、俺は、力ずくで抑えようとはしなかった。境界に、一杯を、捧げたのだ。すると、乱れは、静かに、整っていった。力ではなく、敬意を。それが、この店の地下の、古いものと向き合う、俺の作法になっていた。この岩も、同じなのかもしれない。古い、力の源。それに、対話を、求めるように。
俺は、アイテムボックスから、一本のボトルを取り出した。
深い、琥珀色の酒。地の文で、俺だけが知っている。アードベッグ。前の世界の、スコットランドのアイラ島で造られる、力強い酒だ。島の、泥炭を焚きしめた、濃厚な煙の香り。荒々しく、野性的で、飲む者を、圧倒する。だが、その奥には、驚くほど繊細な、甘さと複雑さが、隠れている。大地の、荒ぶる力と、静かな滋味を、併せ持つ酒だった。炉の炎で鉄を打つ、この場所に、ふさわしい一杯だと思った。
俺は、小さな器に、その酒を注いだ。そして、光る岩の、根元に、そっと、供えた。
「あなたの力を、少し、分けてください」俺は、静かに語りかけた。「遠い北の、若い兵たちを、守るためです。彼らは、まだ、これからの人生がある。あなたの、古い力で、その命を、守らせてください」
【SOMA】――零。……何か、反応がある。岩の光が、揺らいでいる。
その時だった。
俺の後ろで、小さな光が、灯った。振り返ると、いつの間にか、ルナが、階段の下に立っていた。眠れなかったのか、俺を追って、降りてきたらしい。その首の、星霜鉄の飾りが、これまで見たことのないほど、強く、光っていた。
「おにーさん……この子が、光ってる」ルナは、飾りを、両手で包んだ。「岩さんと、お話ししてるみたい」
俺が止める間もなく、ルナは、岩に、歩み寄った。そして、飾りを持った手を、そっと、岩にかざした。
すると――岩の光と、飾りの光が、呼応するように、明滅した。柔らかな光が、二つの間を、行き交う。まるで、親子が、手を取り合うように。
【SOMA】――零。すごいぞ。あの飾りが、鍵になっている。大元の岩と、飾りが、共鳴している。岩が……応えている。
やがて、岩の表面から、いくつもの、星霜鉄の欠片が、こぼれ落ちた。まるで、岩が、自ら、その身を、少しだけ、分け与えたかのようだった。それも、これまでで、いちばん質の高い、輝きを放つ鉄だった。
俺は、シロを見た。シロは、静かに、頷くような仕草をした。これで、いい。そう、言っているようだった。
俺は、こぼれた星霜鉄の欠片を、丁寧に、拾い集めた。岩を、砕いてはいない。傷つけても、いない。ただ、岩が、自ら分けてくれた、恵みだった。
「ありがとうございます」俺は、岩に、頭を下げた。供えたアードベッグは、いつの間にか、器から、消えていた。まるで、岩が、受け取ったかのように。
ルナが、不思議そうに、飾りを見つめていた。
「この子、岩さんの、赤ちゃんだったから」彼女は、ぽつりと言った。「お母さんに、会えて、嬉しかったのかな。それで、力を、貸してくれたのかも」
俺は、その言葉に、静かに、驚いていた。ルナの、無邪気な直感。それは、案外、真実を、突いているのかもしれなかった。
【SOMA】――零。あの飾りと、あの岩。やはり、ただの鉄では、ないな。この繋がりの意味は、いつか、大きな鍵に、なるかもしれん。
俺は、内心で、頷いた。だが、今は、まだ、その時ではない。今夜、大切なのは、若い兵たちの命を、守る鉄が、手に入ったこと。それで、十分だった。
翌朝、俺は、集めた星霜鉄を、ガルダに、渡した。
「零、これは……!」ガルダは、その鉄を見て、目を見張った。「なんて、質だ。今まで、掘り出したどれよりも、いい。こんな鉄、見たことがない」彼女は、興奮を、抑えきれない様子だった。「一体、どうやって」
「岩が、分けてくれました」俺は、静かに言った。「砕いてはいません。……少し、頼み込んだら、応えてくれたんです」
ガルダは、しばらく、俺を、じっと見ていた。それから、深くは、聞かなかった。
「……そうかい」彼女は、鉄を、そっと撫でた。「なら、この鉄に、恥じない仕事を、しないとな。岩が分けてくれた命だ。無駄には、できん」
職人の顔だった。彼女は、その鉄を抱え、地下の鍛冶場へと、戻っていった。
その夜、店に、いつもの団欒が戻った。
ノアが、皿を運んでくる。今夜は、香ばしく焼いた肉に、たっぷりの野菜を添えた、力のつく一皿だ。炭火で炙ったような、香ばしい匂いが、店に広がる。
「鍛冶場の連中は、よく食う」ノアは、ぶっきらぼうに言った。「レンの分も、多めに、作った」
鍛冶を手伝うレンも、すっかり、この店の食卓に、馴染んでいた。彼は、師匠のガルドとは、また違う、ものづくりの世界に、目を輝かせている。
アリシアが、お茶を淹れながら、俺に言った。
「零さん。今日の星霜鉄、私も、少し、扱わせてもらいました」彼女は、静かに、言った。「魔力の、通りが、まるで違います。まるで、鉄そのものが、生きているみたいで」彼女は、微笑んだ。「この店の地下には、本当に、不思議な力が、眠っていますね」
「ええ」俺は、頷いた。「まだ、俺たちの知らないことが、たくさん」
ルナが、俺のそばに来て、星霜鉄の飾りを、見せた。
「おにーさん。この子、今日、すごく、頑張ったんだよ」彼女は、誇らしげに言った。「岩さんと、お話しして。みんなの防具のために、力を、貸してくれたの」
「ええ。ルナのおかげです」俺は、微笑んだ。「あなたと、この飾りがいなかったら、岩は、応えてくれなかったかもしれません」
ルナは、嬉しそうに、飾りを、握りしめた。
【SOMA】――零。ルナと、飾りと、地下の岩。この三つの繋がり、確実に、何かの伏線だ。いつか、この店の、いちばん深い秘密に、繋がるかもしれん。
俺は、その光を、静かに見つめた。ルナが、自分でつけた名前。左耳の下の、星形のあざ。そして、星霜鉄の飾りと、地下の岩の、共鳴。すべてが、まだ見えない糸で、どこかに、繋がっている。その予感が、確かに、あった。
だが、急ぐことはない。この店は、ゆっくりと、時間をかけて、育っていく。その秘密も、いつか、しかるべき時に、明らかになるだろう。
夜が、静かに更けていく。地下の岩が分けてくれた鉄は、明日から、若い兵たちを守る、防具に、生まれ変わる。裏路地の小さな店が、また一つ、遠くの誰かの命に、繋がっていく。
≪第67話・了≫
次話――星霜鉄の防具が、次々と、仕上がっていく。その知らせは、思わぬ人物の耳にも、届いた。ある日、店に、懐かしい顔が現れる。剣聖ガルド。愛弟子レンが、鍛冶の道にも励んでいると聞き、様子を見に来たのだ。「マスター。レンのやつ、この店で、いい顔を、しているそうだな」。剣を継ぐ者と、鉄を打つ者。二つの道が、この店で、交わろうとしていた。




