表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裏路地の隠れ家『BAR ZERO』。下戸の元情報屋が提供する極上の一杯は、追放された者たちを救い、悪党を密かに破滅へ導く  作者: akaike


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
65/68

第65話「夜会には行かない」

その招待状は、上質な羊皮紙に、美しい封蝋で、閉じられていた。


王都の使いが、恭しく届けに来たものだ。差出人は、クレスタ侯爵。中を検めると、流麗な文字で、こう記されていた。近く王都で開かれる夜会に、ギルド・ゼロの主として、ぜひ参加してほしい、と。


【SOMA】――零。大した誘いだ。侯爵主催の夜会といえば、王都の名士が、一堂に会する。そこにギルド・ゼロが招かれるのは、名が、表舞台に届いた証だ。


店の中が、少し、ざわついた。招待状を覗き込んだルナが、目を輝かせる。


「おにーさん、すごい! お城の、パーティーだって!」


「夜会か」ヴァルドが、腕を組んだ。「侯爵の顔を立てる意味でも、悪い話ではない。ギルドの名を、王都に広める好機だ」


みんなが、俺を見た。行くのか、と。俺は、招待状を、そっと置いた。


「……行きません」



店が、静かになった。ルナが、きょとんとした顔をする。


「行かないの? せっかく、呼ばれたのに」


「ええ」俺は、微笑んだ。「俺は、この店の、カウンターの内側が、いちばん似合う人間です。きらびやかな夜会は、俺の場所じゃない」


これは、俺の、長年の流儀だった。前の世界で、情報屋をやっていた頃も、そうだった。表舞台には、立たない。派手な場所には、出ない。俺は、いつも、店の奥から、静かに世界を動かす。それが、いちばん、性に合っている。


【SOMA】――零。相変わらずだな。だが、侯爵の顔を、無下にはできんぞ。


(ええ。わかっています。だから――)


俺は、一つ、考えがあった。


「行かない代わりに、こちらから、お誘いします」俺は言った。「クレスタ侯爵を、この店に、お招きするんです。夜会の、その前に。ギルド・ゼロの、本当の姿を、見ていただく」



数日後の夜。店を貸し切りにして、俺は、クレスタ侯爵を迎えた。


侯爵は、供も連れず、お忍びで、裏路地の店にやってきた。かつて、娘のエレナの窮地を、俺が救った縁で、この店の常連となり、会員にもなった人物だ。王都でも指折りの、有力貴族だった。


「零。招待を、断るとはな」侯爵は、苦笑しながら、カウンターに腰を下ろした。「わしの夜会を、袖にした人間は、お前が、初めてだ」


「申し訳ありません」俺は、頭を下げた。「ですが、俺は、どうしても、あの場所が、苦手でして。その代わり、俺のいちばんの場所で、侯爵を、おもてなししたかったのです」


侯爵は、店の中を、ゆっくりと見回した。磨き込まれたカウンター。棚に並ぶ、色とりどりのボトル。地下から、かすかに響く、鍛冶の音。そして、住人たちの、温かな気配。


「……なるほど」侯爵は、目を細めた。「夜会の、豪奢な広間とは、違うな。だが、ここには、あそこにはないものが、ある」


「何でしょう」


「体温だ」侯爵は、言った。「人の、温もりだよ」



俺は、侯爵のために、一本のボトルを取り出した。


深い、ルビーのような赤の酒。地の文で、俺だけが知っている。ロマネ・コンティ。前の世界の、フランスはブルゴーニュの、ごく小さな畑で生まれるワインだ。その畑は、わずか二町歩ほどしかない。世界で最も高価なワインの一つでありながら、金を積んでも、簡単には手に入らない。あの畑の、あの土からしか、あの味は生まれない。何百年もの時をかけて、人と土地が、育んできた、奇跡のような一杯だった。


俺は、ごく少量を、グラスに注いだ。芳醇な香りが、ふわりと、店じゅうに広がる。


「これは、前の世界で、最も高貴とされるワインの一つです」俺は言った。「ですが、王侯貴族が、いくら望んでも、簡単には手に入りません。ごく小さな畑の、限られた土からしか、生まれないからです」


侯爵は、グラスを傾け、その香りを、深く吸い込んだ。


「……見事だ」彼は、感嘆した。「これほどのものは、王城の宴でも、そうは、味わえん」


「格式や、豪奢さは、ここにはありません」俺は言った。「でも、本当にいいものは、静かな場所で、生まれます。この店も、そうありたいのです。派手ではないが、確かなものを、静かに、差し出す。それが、ギルド・ゼロです」


侯爵は、しばらく、そのワインを、味わっていた。そして、深く、頷いた。


「わかった。夜会の件は、もう言わん」彼は、穏やかに言った。「お前が、なぜ、あの誘いを断ったのか。この一杯で、よくわかった。お前は、着飾って、人に見られる人間じゃない。人を、静かに、支える人間だ」



そこへ、ノアが、皿を運んできた。


侯爵のために、腕によりをかけた一皿だった。淡い緑のソースを敷き、その上に、丁寧に火を通した白身魚を、そっと置いている。付け合わせの野菜は、宝石のように、彩りよく並べられていた。湯気とともに、上品な香りが、ふわりと立ち上る。


「ほう」侯爵が、目を見張った。「これは、王城の料理人にも、引けを取らん」


「……当然だ」ノアは、ぶっきらぼうに言って、背を向けた。だが、その口ぶりには、料理人としての、静かな誇りが、滲んでいた。


侯爵は、一口食べて、深く、息を吐いた。


「うまい。それに、優しい味だ」彼は、しみじみと言った。「王城の料理は、豪華だが、どこか、よそよそしい。これは、違う。食べる人間のことを、考えて作られている」


その言葉に、背を向けたノアの肩が、わずかに、動いた。



夜が更けるまで、侯爵は、店で過ごした。


ルナが、星霜鉄の飾りを見せると、侯爵は、その細工に、感心していた。アリシアとは、魔法談義に花を咲かせた。ヴァルドとは、かつての騎士団の話で、意気投合していた。侯爵は、いつしか、貴族の顔を忘れ、ただの、一人の客として、この店を、楽しんでいた。


帰り際、侯爵は、俺に言った。


「零。今宵は、久しぶりに、心から、くつろいだ」彼は、穏やかに笑った。「夜会では、味わえん夜だった。礼を言うぞ」


「こちらこそ、お越しくださり、ありがとうございます」俺は、頭を下げた。


「一つ、約束しよう」侯爵は、扉の前で、振り返った。「王都で、ギルド・ゼロの名を、悪く言う者がいれば、わしが、黙らせる。お前たちは、わしが見込んだ、本物だからな」


有力貴族の、確かな後ろ盾。それは、どんな夜会に出るよりも、大きな意味を持っていた。俺は、深く、頭を下げた。



侯爵が去った後、店に、いつもの空気が戻った。


ルナが、俺のそばに来て、首をかしげた。


「おにーさん。やっぱり、夜会、行かなくてよかったの? お城、きらきらで、すごいよ?」


「ええ」俺は、頷いた。「俺には、ここが、いちばんです」


俺は、店の中を、見渡した。磨いたカウンター。並んだボトル。住人たちの、笑い声。地下から響く、鍛冶の音。何もない裏路地から、こつこつと積み上げてきた、俺の、居場所。


【SOMA】――零。お前らしいな。世界を動かす人間が、いちばん、目立たない場所にいる。だが、それでこそ、お前だ。


俺は、内心で、頷いた。前の世界でも、俺は、そうだった。銀座の、小さなバーの、カウンターの内側。そこから、静かに、世界を見ていた。今も、変わらない。裏路地の、この店から。俺は、俺のやり方で、世界と、繋がっていく。


「さあ、明日も、店を開けましょう」俺は言った。「いつも通りに」


ルナが、にっこりと、笑った。


夜が、静かに更けていく。招待状は、断った。だが、この店には、今夜も、確かな温もりが、満ちていた。それで、十分だった。



≪第65話・了≫



次話――侯爵の来訪が、思わぬ縁を運んでくる。数日後、店に、一人の女性が訪ねてきた。凛とした佇まいの、その顔に、俺は見覚えがあった。かつて、この店で、一杯の酒に救われた、女将軍。「久しぶりだな、店主。……今日は、客としてではなく、頼みがあって来た」。鉄壁の盾将、リーナ・クロードが、ギルド・ゼロに、依頼を持ってきたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ