第64話「地下で光るもの」
その日は、月に一度の、特別な日だった。
閉店後、俺はシロを連れて、地下へ降りていた。第一層の泉を越え、第二層を抜け、第三層へ。そこには、封印された扉がある。その奥に、あのゲートがあった。前の世界――東京の、銀座の裏路地へと繋がる、世界と世界の境目だ。
月に一度、俺はここを通り、東京へ買い出しに行く。シロが許した時だけ開く、この店の、大切な生命線だった。
【SOMA】――零。今月も、無事に、仕入れは済んだな。棚の酒も、しばらくは、保つ。
今夜も、ゲートの向こうで、六時間だけ、東京の空気を吸ってきた。棚に補充する酒。ノアが欲しがっていた調味料。アリシアに頼まれた、細かな器具。そして、ルナへの土産の、甘い菓子。アイテムボックスに、それらを詰めて、帰ってきたところだった。
このゲートのことは、この店でも、俺とシロだけの秘密だ。第三層の封印は、誰にも、触れさせない。世界の均衡を守る、重い秘密だった。
その帰り道、第一層まで戻ってきた時だった。
鉱脈の奥から、ガルダが、俺を呼んだ。今夜は遅くまで、星霜鉄を打っていたらしい。
「零! ちょうどいい、来てくれ」ガルダの声が、いつになく、緊張していた。「妙なものを、見つけたんだ」
俺は、シロとともに、鉱脈の奥へ向かった。ガルダが、鎚で、岩肌の一点を指した。
「これだ」
そこには、扉のような形の、平たい一枚岩があった。淡く、光っている。星霜鉄の飾りと、同じ色だった。
【SOMA】――零。気をつけろ。この岩、妙な気配がする。星霜鉄と、同じ光だ。
俺の中で、警戒の色が走った。地下の、光る岩。しかも、扉のような形。第三層の封印を、預かる身としては、確かめずには、いられなかった。
「ガルダさん。少し、調べさせてください」
俺は、岩に、そっと手をかざした。鑑定の力が、その岩の正体を、探ろうとする。隣で、シロが、じっと岩を見つめていた。唸りもしない。ただ、静かに、見ている。
【SOMA】――零。鑑定結果だ。この岩は、第三層の封印とは、別系統のものだ。東京へのゲートじゃない。安心しろ。だが……ただの岩でもない。
(では、何なんですか)
【SOMA】――星霜鉄の、大元だ。このダンジョン全体の魔力が、気の遠くなる年月をかけて、この一点に、凝縮している。星霜鉄は、この岩から染み出した、いわば「雫」のようなものだ。そして、この岩の奥には、まだ、何かが眠っている。それが何かは、今の俺にも、読み切れない。
俺は、しばらく、その光る岩を見つめた。
星霜鉄の、大元。この店の地下に眠る、古い、静かな力の源。ルナが首から下げた、あの小さな飾りも、元をたどれば、この岩から生まれた。そう思うと、あの淡い光の意味が、少しだけ、深く感じられた。
シロを、見た。シロは、ゆっくりと、首を横に振るような仕草をする。危険ではない。だが、開けるべきではない。そう言っているようだった。
「シロも、そう言うか」俺は、頷いた。「わかった。この岩は、無理に暴かず、そっとしておこう」
「どうだった、零」ガルダが、尋ねた。
「あの岩は、星霜鉄の、大元の鉱脈でした」俺は言った。嘘では、ない。ただ、奥に眠る何かのことは、伏せておいた。「危険なものでは、ありません。ですが、とても古くて、繊細です。無理に掘らず、そっとしておきましょう」
「なるほど。道理で、妙な気配が、したわけだ」ガルダは、納得したように頷いた。「あの岩のそばの星霜鉄は、特に、質がいい。大元の近くだからか」彼女は、腕を組んだ。「わかった。あの一枚岩には、手をつけん。まわりの鉄を、大事に使わせてもらうよ」
【SOMA】――零。うまく収めたな。星霜鉄の大元、というのは、嘘じゃない。奥に眠るものは、まだ、伏せておけばいい。
俺は、内心で頷いた。すべてを話す必要はない。だが、嘘もつかない。それが、この店を長く続けるための、俺の流儀だった。
その夜、店に戻ると、まだ、住人たちが起きていた。俺の帰りを、待っていたらしい。
「おかえりなさい、おにーさん!」ルナが、駆け寄ってきた。「お土産、あった?」
「ありますよ」俺は、アイテムボックスから、色とりどりの菓子を取り出した。前の世界の、甘い菓子だ。ルナの目が、輝く。
「わあ! ありがとう!」
月に一度の、この光景。ルナにとって、俺の買い出しの日は、特別な楽しみになっていた。ノアも、無言で、俺が持ち帰った調味料を受け取り、少しだけ、口の端を上げた。アリシアも、頼んでいた器具を手に取り、嬉しそうに、頷いている。
俺は、棚から、一本のボトルを取り出した。今夜、東京から持ち帰ったばかりの、一本だ。透き通った、静かな酒。地の文で、俺だけが知っている。白州。前の世界の、日本の、深い森の中にある蒸留所の酒だ。南アルプスの麓。豊かな森と、清らかな水に囲まれた場所で、静かに、時をかけて育てられる。飲むと、若葉のような爽やかな香りと、森の奥の湧き水のような、澄んだ味わいが広がる。人里離れた、静謐な自然の恵み、そのものの酒だった。
俺は、グラスに注ぎ、住人たちに配った。
「今夜、地下で、不思議なものを見つけました」俺は言った。「星霜鉄の、大元になる、古い岩です。危険は、ありません。でも、とても静かで、古い力を、感じました」
「不思議な岩……」アリシアが、興味深そうに、目を細めた。「この店の地下は、本当に、奥が深いですね」
「ええ」俺は頷いた。「まだ、俺たちの知らないことが、たくさん、眠っているのかもしれません」
入口のヴァルドが、静かに口を開いた。
「零。何かあれば、言え」元騎士は、短く言った。「この店を脅かすものは、俺が、断つ」
「頼もしいですが、今回は、その心配はいりません」俺は微笑んだ。「静かな岩です。ただ、そこにあるだけの」
ルナが、自分の星霜鉄の飾りを、そっと、手のひらに乗せた。
「じゃあ、この子も、その岩から、生まれたんだね」彼女は、飾りを、優しく見つめた。「地下の、おっきな岩の、赤ちゃんみたいな、ものなのかな」
その言葉に、俺は、はっとした。
飾りが、ルナの手の中で、いつもより、少しだけ、強く、光った気がした。まるで、地下の大元と、呼応するように。
【SOMA】――零。今の、見たか。あの飾りが、光った。地下の岩と、繋がっているのかもしれん。
(……ええ。気のせいでは、ないでしょうね)
俺は、その光を、静かに見つめた。ルナと、星霜鉄の飾りと、地下の岩。それらが、どこかで、繋がっている。その予感が、確かにあった。だが、それが何を意味するのかは、まだ、わからない。
「ルナ」俺は、優しく言った。「その飾りは、大事にしてください。きっと、特別なものです」
「うん!」ルナは、嬉しそうに頷いた。「あたしの、宝物だもん」
ノアが、厨房から、温かい汁物を運んできた。夜更けの体に染みる、根菜の澄まし汁だ。生姜の香りが、ふわりと立つ。
「難しい話の後は、これでも飲め」ノアは、ぶっきらぼうに言った。「腹が温まれば、余計なことは、考えん」
白州の澄んだ味わいと、根菜の汁の温かさが、店の中に、静かに広がっていく。深い森の、湧き水のように。この店の地下にも、まだ知らない、静かな水源が眠っている。それを、いつか、ゆっくりと知っていけばいい。急ぐ必要は、なかった。
夜が、静かに更けていく。明日も、この場所は、続いていく。地下の光る岩と、東京へ続くゲートと、ともに。
≪第64話・了≫
次話――地下の一件が落ち着いた頃。店に、王都の使いが、一通の招待状を届けに来た。差出人は、クレスタ侯爵。「近く、王都で開かれる夜会に、ぜひ、ギルド・ゼロの主として、参加してほしい」と。裏路地のギルドの名が、王都の、華やかな表舞台に、届き始めていた。




