第61話「二つ目の依頼」
魔法薬が、評判を呼んでいた。
メイザとアリシアの作った傷薬は、三ツ星が使い、その効き目を、冒険者仲間に話したらしい。「あの裏路地のギルドの薬は、よく効く」と。少しずつ、その噂が、広まり始めていた。
その夜も、店は、賑わっていた。
カウンターでは、常連の行商人が、一日の疲れを、果実の酒で流している。隅の席では、若い夫婦が、記念日らしく、少し上等な一杯を、分け合っていた。俺は、一人ひとりに、その日に合う酒を出していく。これが、俺の本業だ。ギルドが、どれだけ大きくなろうと、ここは、バーだった。
その、穏やかな夜を、破るように。
扉が、激しく、開いた。
【SOMA】――零。来る。血相を変えた男だ。冒険者。極限まで、追い詰められている。
転がり込んできたのは、若い冒険者だった。鎧は泥にまみれ、息は、上がりきっている。彼は、店を見回すと、まっすぐ、俺の前に来た。
「頼む! ここが、ギルド・ゼロか!」声が、裏返っていた。「依頼したい! 仲間が……仲間が、迷宮で、動けなくなってるんだ!」
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俺は、まず、彼の前に、水を置いた。
「落ち着いて。まず、一口。それから、手短に」
男は、震える手で、水を飲み干した。少しだけ、呼吸が、整う。
「俺たちは、四人組のパーティだ」男は、絞り出すように言った。「東の、古い迷宮を、探索してた。だが、奥で、罠を踏んじまって。床が、抜けて……仲間の一人が、足を、骨折した。動けない。それだけじゃない。罠の、毒の霧が、充満してて。下手に動くと、毒を吸う」
【SOMA】――零。状況を整理した。深い縦穴の底。骨折した仲間は、自力で上がれない。毒の霧が、救助を阻んでいる。時間との勝負だ。毒を吸い続ければ、骨折した仲間は、もって、半日。
俺の頭の中で、SOMAが、刻一刻と迫る、時間を告げた。半日。猶予は、ない。
「ほかの、仲間は」
「霧の手前で、足止めされてる。下手に降りれば、二次遭難だ」男は、拳を握りしめた。「領主の衛兵にも、冒険者ギルドにも、断られた。こんな、毒の迷宮の事故に、人は出せないと」
男は、顔を上げた。
「最後の、望みなんだ。困った奴を、見捨てないギルドが、裏路地にあるって。頼む、助けてくれ!」
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【SOMA】――零。嘘は、ない。本物の、緊急事態だ。そして、時間がない。
(わかっています。急ぎましょう)
俺は、カウンターの内側から、店を見渡した。
ちょうど、いい巡り合わせだった。今夜は、訓練を終えた三ツ星が、まだ店に残っていた。メイザも、薬を補充に来ていた。そして、情報を持って立ち寄っていた、ダリウスもいる。
「みなさん。聞いていましたね」俺は、声を上げた。「東の迷宮。縦穴の底に、骨折した冒険者。毒の霧。猶予は、半日。ギルド・ゼロへの、依頼です。引き受けても、いいですか」
最初に、立ち上がったのは、ガイだった。
「行く!」即答だった。「困ってる奴を、放っておけるかよ。俺たちの、出番だ」
ティナと、コルムも、頷いた。三人の目には、もう、迷いはなかった。あの村を救った夜から、彼らは、変わっていた。
「時間がありません。手早く、役割を決めます」俺は言った。
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「コルムさん。毒の霧を、なんとかできますか」
コルムが、眼鏡を押し上げた。以前の、自信なさげな青年とは、違っていた。
「風の魔法で、霧を、押し流せます」彼は、はっきりと言った。「アリシアさんに、教わりました。道を、こじ開ける」
「メイザさん。毒と、骨折の手当ては」
「任せな」メイザが、小瓶を、じゃらりと鳴らした。「毒消しと、痛み止め。骨を固定する添え木もある。あの新しい傷薬も、持っていくよ」
魔法薬。アリシアと、メイザが、二階の作業場で生み出した、あの薬だ。それが、初めて、実戦の現場に、出ていく。
「ティナさん。縦穴の、ロープ作業と、退路の確保を」
「わかった」ティナが、頷いた。「一番安全な、降り方を、見つける」
俺は、地下へ、声を張った。
「ガルダさん! 急ぎで、要るものがあります!」
鎚の音が、止まった。地下の鍛冶場から、煤だらけのガルダが、駆け上がってくる。
「聞こえてたよ。縦穴の、救助だろう」彼女は、にやりと笑い、一本の、鉤爪のついた金具を差し出した。星霜鉄で打ったものだ。淡く、星の光を帯びている。「星霜鉄の、登攀具だ。軽くて、丈夫で、まず折れん。縦穴に打ち込めば、絶対に抜けん。命綱を、託せる」
【SOMA】――零。鍛冶場が、さっそく、役に立ったな。星霜鉄の道具は、こういう、ここぞの場面で、ものを言う。
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最後に、情報だ。
「ダリウスさん。東の迷宮までの道と、その罠の情報を」
「もう、手配している」ダリウスが、すでに、羊皮紙を広げていた。現役の、情報省中佐だ。仕事が、速い。「ここから東の迷宮までの、最短の道順。それに、縦穴の構造と、毒の霧の、過去の記録だ。風の通り道も、書いてある。これを、使え」
ばらばらだった、それぞれの技が、一つの依頼のために、組み上がっていく。装備、薬、情報。すべてが、数分で、揃った。
俺は、店に残る者を、決めた。
「ヴァルドさんと、アリシアさんは、店に残ってください」
ヴァルドが、静かに、頷いた。アリシアも。二人とも、その意味を、わかっている。この店の、地下の、さらに奥。守るべきものが、ある。手薄には、できない。
「アリシアさん。コルムさんに、最後の助言を。一言で」
「ええ」アリシアは、コルムの前に立った。「霧を、吹き飛ばそうとしては、いけません。薄い『膜』を作り、仲間を毒から守る盾に。一気にではなく、じっくり、です」
「……はい!」コルムの目が、輝いた。
宮廷魔法師の、最後の一手。それが、コルムの魔法を、一段、引き上げた。
「行ってきます、マスター!」ガイが、叫んだ。
「待っています」俺は、頷いた。「全員、無事に。帰ってきたら、温かい飯と、一杯を、用意しておきます」
四人が、星霜鉄の登攀具と、魔法薬と、地図を手に、夜の闇へ、駆け出していった。一杯の酒より、今は、一秒が惜しい。送り出すのが、俺の仕事だった。
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店に、静けさが、戻る。だが、それは、不安な静けさだった。
ルナが、心配そうに、扉を見ていた。その手は、首から下げた、星霜鉄の星の飾りを、ぎゅっと、握っている。星は、ルナの不安に応えるように、いつもより少しだけ、強く、光っているように見えた。
「だいじょうぶだよ、ルナ」俺は、声をかけた。「ガイたちは、強くなった。それに、いい道具と、いい薬と、いい情報を、持っていきました。みんなの、力を、ね」
「……うん」ルナは、頷いた。「みんなの力、持っていったんだね」
シロが、ルナの足元で、励ますように、小さく鳴いた。ルナが、その背を、そっと撫でる。
ヴァルドが、入口で、静かに言った。
「零。お前は、また、ここから、人を動かしたな」
「ええ」俺は、グラスを磨いた。「俺は、ここで、待つだけです。帰ってきたら、すぐに、温かい一杯を、出せるように」
その夜、ノアが、厨房で、何かを、煮込み始めた。骨つきの肉を、たっぷりの野菜と。
「ノアさん。それは」
「……あいつらが、帰ってきたときの、飯だ」ノアは、ぶっきらぼうに言った。「腹を空かせて、帰ってくるだろう。冷めちまわないよう、とろ火で、待たせておく」
その、ぐつぐつと煮える音が、店の不安を、少しだけ、やわらげた。誰もが、四人の、無事な帰りを、待っていた。
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≪第61話・了≫
次話――夜明け前。店の扉が、静かに、開いた。泥と、汗にまみれた、三ツ星とメイザが、立っていた。その後ろには、担架に乗せられた、骨折した冒険者と、無事だった仲間たちの姿が。コルムが、疲れ切った顔で、しかし、確かな声で言った。「ただいま、マスター。……全員、生きてます」




