第60話「魔法と、薬の部屋」
鍛冶場の炉に、火が入って、数日。
地下からは、毎日のように、ガルダの鎚の音が響いてくるようになった。カン、カン、と。澄んだその音は、いつしか、ギルド・ゼロの、新しい鼓動になっていた。
その夜も、店は、いつものように、開いていた。
カウンターには、常連の顔が、ちらほらと並んでいる。地下から伝わる、かすかな槌音に、年配の客が、首をかしげた。
「マスター、最近、下から、妙な音がするな」
「ええ。腕のいい鍛冶屋が、店子になりまして」俺は、微笑んで、その客に、麦の酒を出した。「いい剣が打ち上がったら、お見せしますよ」
「ほう。そりゃ、楽しみだ」
これでいい。客にとっては、ここは、あくまで、くつろぎに来るバーだ。地下で何が起きていようと、扉を開ければ、いつもの一杯が待っている。その安心感こそ、この店の、変わらない芯だった。
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客が引けて、店が静かになった頃。アリシアとメイザが、揃って、俺の前に立った。二人とも、どこか、わくわくした顔をしている。
「零さん。お願いが、あります」アリシアが、いつになく、改まって言った。「私たちにも、作業場が、欲しいのです」
思えば、この二人が初めて顔を合わせたのは、メイザが店に来た、あの夜だった。薬師のメイザが、三ツ星の怪我を手当てした、その手際に、アリシアが目を留めた。以来、二人は、暇さえあれば、薬草と魔法の話で、盛り上がっていた。
「作業場、ですか」
「ああ」メイザが、にっと笑った。「鍛冶場を見てたら、うずうずしてきてね。あたしの薬と、アリシアさんの魔法。一緒にやれば、面白いものが、できそうなんだ」
【SOMA】――零。この二人、気が合うな。薬師と、魔法師。毒と薬、魔法と理。根っこのところで、通じている。
「面白いもの、というと」俺は、聞いた。
アリシアの目が、輝いた。
「メイザさんの薬草の知識と、私の魔法を、組み合わせるのです」彼女は、理路整然と語り始めた。「メイザさんの傷薬に、私の治癒の魔力を、宿らせる。塗るだけで、魔法的に治りが早まる薬になります」
「逆も、あるよ」メイザが続けた。「アリシアさんの魔法は、強力だが、燃費が悪い。でも、あたしの調合した薬草を、媒介に使えば、少ない魔力で、同じ効果が出せる」
二人は、顔を見合わせて、笑った。まるで、悪戯を思いついた、子どものようだった。
【SOMA】――零。これは、すごいぞ。魔法薬の領域だ。片方だけでは、たどり着けない。二人が、組むからこそ、生まれる技術だ。
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「ただ」アリシアが、少し、声を落とした。「魔力の実験は、繊細です。薬の調合にも、清潔で、静かな環境が要ります。私の素材の部屋は、一人で使うには十分でも、二人で本格的にやるには、手狭で」
確かに、店の奥にあるアリシアの素材の部屋は、小さい。メイザの薬草棚も持ち込んで、二人で調合や実験をするには、とても足りないだろう。
俺は、しばらく考えた。
【SOMA】――零。二階は、どうだ。奥に、空いている部屋があるだろう。前に、ハロルドが一晩泊まった、あの部屋だ。アリシアの素材の部屋とも近い。静かで、清潔。繊細な作業には、地下より、ずっと向いている。
(地下じゃなく、二階ですか)
【SOMA】――鍛冶場は、火と煙が出るから、地下でいい。だが、調合と魔法は、別だ。埃のない、落ち着いた部屋がいる。それなら、二階だ。
俺は、内心で、頷いた。確かに、その通りだった。火を扱う鍛冶場は地下。繊細な調合は、地上の静かな部屋。理にかなっている。
「二階の、奥の部屋は、どうでしょう」俺は言った。「アリシアさんの素材の部屋の、近くです。二部屋を、つなげて使えば、十分な広さになります」
アリシアの顔が、ぱっと、輝いた。
「あの部屋を、いただけるのですか」
「ただ、一つ」俺は、指を立てた。「二階は、この建物の一部です。大家のハロルドさんに、許しを得てからに、しましょう」
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翌日、俺は、大家のハロルドに、使いを出した。
ハロルド・ベック。元・建築職人で、この建物の持ち主だ。地下の鍛冶場の時も、快く、許してくれた老人だった。
ハロルドは、その夜、杖をついて、店に現れた。俺は、二階の部屋を、魔法薬の作業場にしたい、と話した。
「ほう。今度は、薬と魔法か」ハロルドは、面白そうに、目を細めた。「いいとも。あの部屋は、長いこと、物置にしていた。誰かの役に立つなら、本望だ」彼は、ゆっくりと、天井を見上げた。「だが、薬を煮るなら、煙が出るだろう。換気の窓を、一つ、増やした方がいい。なに、わしが、職人を手配してやる。元・建築職人の、最後のひと仕事だ」
【SOMA】――零。さすがだ。元・建築職人。部屋の使い方まで、見通している。
「ありがとうございます。助かります」
「礼はいい」ハロルドは、笑った。「この建物が、また一つ、人の役に立つ。それが、わしの、何よりの喜びだ」
亡き妻との約束を守り続けた老人は、その約束が、日に日に、形になっていくのを、心から、喜んでいるようだった。
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数日後、二階の奥の部屋は、立派な作業場に生まれ変わった。
ハロルドの手配で、換気の窓が増え、棚が据えられた。メイザの薬草の瓶が、ずらりと並ぶ。中央には、調合のための、清潔な作業台。そして、その隣に、アリシアが魔法陣を描くための、磨かれた石板。アリシアの素材の部屋とも、戸でつながって、二部屋が、一つの工房になった。
ただ、一つだけ、地下から運んでくるものがあった。
「魔法薬には、あの泉の水が、要ります」アリシアが言った。「第一層の泉の水は、純粋な魔力を含んでいる。あれを、媒介にすれば、効果が、段違いです」
俺は、頷いた。
「泉の水は、俺が、地下から汲んで、運びましょう」アイテムボックスがあれば、樽ごと運ぶのも、造作はない。「ただし、地下に降りるのは、俺だけです。あなたたちは、二階で、待っていてください」
第一層の、さらに奥。第二層、そして、誰も触れてはならない、第三層の封印。そこは、ギルドの誰にも、近づけさせない。あれは、俺と、シロだけの、秘密だ。地上の作業場と、地下の泉。役割を、はっきりと、分けておく。それが、いちばん、安全だった。
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その夜、店じまいの後。二人が、最初の試作品を持って、降りてきた。小さな小瓶に入った、淡い青色の、傷薬だった。
「できました」アリシアが、誇らしげに、それを掲げた。「メイザさんの傷薬に、泉の水と、水の治癒魔力を、宿らせたものです」
ちょうど、地下の訓練から上がってきた、三ツ星のティナが、腕の擦り傷に、それを塗った。とたんに、目を見開く。
「……すごい。すうっと、痛みが引いた。傷が、もう、塞がってきてる」
メイザと、アリシアが、顔を見合わせ、両手を、ぱちんと打ち合わせた。
俺は、その夜、二人に、一杯を出した。
琥珀色の、とろりとした酒。地の文で、俺だけが知っている。ベネディクティン。前の世界の、フランスの修道院で生まれた、薬草系のリキュールだ。二十七種類もの、薬草と香辛料を、調合して造られる。ボトルには「D.O.M.」の三文字が刻まれている。「いと善く、いと大いなる神に」という、ラテン語の祈りの言葉の、頭文字だ。病を癒すための薬として、修道士たちが、祈りを込めて、造り続けた酒だった。
俺は、二つの小さなグラスに注ぎ、二人の前に置いた。
「これは、ある修道院で、生まれた酒です」俺は言った。「二十七種類の薬草を、調合して。もともとは、病に苦しむ人を、癒すための、薬でした」
メイザが、グラスを手に取り、香りを嗅いだ。薬師の顔だった。
「……ああ、わかる。何種類もの薬草が、喧嘩せずに、まとまってる。これを調合した人は、相当な、腕だ」
「薬と、祈り」アリシアが、グラスを見つめた。「私たちの、やろうとしていることと、似ていますね」
「ええ」俺は、頷いた。「あなたたちの、魔法と薬も、きっと、誰かを、癒します」
二人は、グラスを、そっと合わせた。
【SOMA】――零。ギルド・ゼロに、また一つ、新しい力が、生まれたな。地下で、鉄を打つ炉。二階で、命を癒す、調合の部屋。役割が、きれいに、分かれた。
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閉店後、店は、いつもの団欒に包まれた。
ノアが、夜食を並べていく。今夜は、滋養のある、根菜と鶏のスープだ。じっくり煮込まれて、黄金色に澄んだスープから、生姜の効いた、温かい湯気が立ち上る。とろりと煮崩れた根菜が、匙の上で、ほろりと溶けた。
「頭を使った日は、これだ」ノアが、アリシアとメイザの前に、椀を置いた。「血の巡りが、よくなる」
「あら、料理人さんも、薬膳の心得が」メイザが、笑った。
「……親父の、受け売りだ」ノアは、いつものように、ぶっきらぼうに言って、背を向けた。
ヴァルドが、入口の定位置で、静かに、その光景を見ていた。
「零」彼が、低く言った。「店が、賑やかになったな」
「ええ」俺は、頷いた。
地下では、鉄が打たれ。二階では、薬が練られ。厨房では、料理が生まれる。みんなが、それぞれの場所で、自分の技を、磨いている。そして、夜には、こうして、一つの卓を、囲む。
ルナが、星霜鉄の飾りを、首から下げて、嬉しそうに、みんなの間を、歩き回っていた。あの星は、相変わらず、淡い光を、放っている。
【SOMA】――零。いい店に、なったな。いや――いい、ギルドに。
俺は、グラスを磨きながら、内心で、頷いた。
ゼロから始まった、裏路地の小さなバー。それが今、鉄を生み、薬を生み、人を癒す。だが、明日の夜も、扉を開ければ、いつもの一杯が、客を待っている。そこは、変わらない。
夜が、静かに、更けていった。明日も、この場所は、続いていく。
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≪第60話・了≫
次話――魔法薬が評判を呼び、ギルド・ゼロの名は、また少し、広まっていく。そんなある日、一人の冒険者が、血相を変えて、店に飛び込んできた。「頼む! ギルド・ゼロに、依頼したい! 仲間が……仲間が、迷宮で、動けなくなってるんだ!」。ギルド・ゼロに、二つ目の依頼が、舞い込もうとしていた。




