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裏路地の隠れ家『BAR ZERO』。下戸の元情報屋が提供する極上の一杯は、追放された者たちを救い、悪党を密かに破滅へ導く  作者: akaike


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第59話「炉に、火を入れる」

ギルド・ゼロが、正式に動き出して、数日が過ぎた。


とはいえ、店の夜は、いつもと変わらない。


その夜も、カウンターには、何人かの客が並んでいた。仕事帰りの職人が、一杯のエールで、肩の力を抜いている。隅の席では、若い行商人が、慣れない様子で、果実の酒を傾けていた。俺は、一人ひとりの顔を見て、その日の疲れに合う一杯を、静かに出していく。


「いらっしゃいませ。お疲れのようですね」


「……わかるか」職人が、苦笑した。「今日は、親方に、こってり絞られてな」


俺は、すっきりとした柑橘の酒を、彼の前に置いた。職人は一口飲んで、ふう、と息を吐いた。


これが、ギルド・ゼロの、土台だ。どれだけ大きくなろうと、ここは、バーだ。一杯の酒で、人の一日を、ねぎらう場所。それを、忘れるつもりはなかった。


---


客が引けて、店が静かになった頃。開店前から店にいたガルダが、改まった顔で、カウンターに腰を下ろした。


「零。相談がある」ガルダは、自分のごつい手を見た。「あの地下の鉱脈のそばに……炉を、築かせてくれないか」


【SOMA】――零。来たな。あの女、鉱脈を見つけて以来、研ぎ仕事ばかりで、うずうずしていたんだ。


「あの鉱脈の鉄……あれは、ただの鉄じゃない」ガルダの目が、燃えていた。「かすかに、星みたいな光を帯びていて、鎚で叩くと、澄んだ音がする。長年、鉄を見てきたが、あんな質は、初めてだ。研いでばかりじゃ、宝の持ち腐れだ。あれを、ちゃんと精錬して、鍛えて、剣にしてやりたい。そのためには、本格的な、鍛冶場がいる」


【SOMA】――零。あの鉱石、鑑定した。星霜鉄、とでも呼ぶべきものだ。このダンジョンの魔力を、気の遠くなるような年月をかけて吸い込んだ鉄だ。軽く、丈夫で、魔力との相性もいい。


(扱いは、簡単なんですか)


【SOMA】――いや。難物だ。火入れの加減が、極めて難しい。並の鍛冶師では、まず扱えない。だが、あの女なら、別だ。


俺は、内心で頷いた。十年、納得のいく鉄を探し続けた名工。その執念が、ようやく報われようとしている。


---


「炉を築くのは、構いません。地下は、俺が管理を任されていますから」俺は言った。「ですが、一つ、筋を通したい相手がいます」


「筋?」ガルダが、片眉を上げた。


「この建物の、持ち主です」


翌日、俺は、大家のハロルドに、使いを出した。


ハロルド・ベック。元・建築職人で、この建物の持ち主だ。亡き妻との約束で、この建物を、売らずに守り続けている老人だった。地下とはいえ、建物の真下で、炉を焚く大工事をするのだ。持ち主に、黙っているわけにはいかなかった。


ハロルドは、その夜、杖をついて、ゆっくりと店に現れた。


「久しぶりじゃのう、零さん」皺だらけの顔が、ほころんだ。「店が、ずいぶん、賑やかになったと聞いて、嬉しくてな」


俺は、ハロルドに、温かい一杯を出してから、鍛冶場の話をした。地下で、炉を焚きたいこと。建物の真下になるので、許しを得たいこと。


ハロルドは、しばらく、黙って聞いていた。そして、ふっと、笑った。


「わしは、元・建築職人だ」彼は言った。「地下の岩盤は、この建物の基礎より、ずっと固い。炉を焚いたくらいで、揺らぐ建物じゃない。安心して、やりなさい」


【SOMA】――零。さすが、元・建築職人だ。建物の構造を、知り尽くしている。


「ありがとうございます」


「礼はいい」ハロルドは、首を振った。「妻は、言っていた。この建物は、いつか、誰かの役に立つと」彼は、店の中を、ゆっくりと、見回した。剣士も、魔法使いも、職人も、笑い合っている。「……その通りに、なった。こんなに、人が集まる場所に。妻が見たら、どんなに、喜んだか」


老人の目が、潤んでいた。俺は、黙って、もう一杯、注いだ。


---


許しは得た。だが、もう一つ、問題が残っていた。資金だ。


【SOMA】――零。炉を築くには、金がかかる。鉄も、煉瓦も、燃料も。心当たりが、あるんだろう。お前が、これまで救ってきた連中の中に。


俺は、内心で頷いた。この一年、追い詰められたところを救った商人たちが、口々に言っていた。いつか、恩を返したい、と。その「いつか」が、今かもしれなかった。


その夜から数日、俺は、四人の商人に、使いを出した。


最初に来たのは、バルス・ガン。希少な魔法生物を集め、檻に閉じ込めていた男。今は、その檻を全て取り払い、与える側へと生き方を変えた、財力と人脈の持ち主だ。


「出資の相談、か。面白い。聞こうじゃないか」


次に、オスカー・ベイン。王都の中堅商会の当主。ライバル商会の謀略で潰されかけたところを、俺が救った男だ。


「あなたには、商会ごと、救われた恩がある」


三人目は、セルジオ・メナ。隣国ベルタニアの商会の当主。珍しいものに、目がない男だ。


四人目が、マリア・ヴェロン。行商人から身を起こし、一代で商会を築いた女傑。交渉決裂で追い詰められた夜、この店で立ち直った。


「あなたが声をかけてくるなんて。よほど、面白い話なんでしょうね」


四人の商人が、カウンターに、揃って座った。


---


俺は、棚から、一本のボトルを取り出した。


深い、琥珀色の酒。地の文で、俺だけが知っている。ハイランドパーク。前の世界の、スコットランドの最北、オークニー諸島で造られる酒だ。かつて、この島には、海を渡ってきたヴァイキングが住み着いた。蒸留所が建つ土地は、千年の昔、ヴァイキングの族長の館があった場所だと言われる。風の強い、何もない北の島。そこに、海を越えてきた者たちが根を張り、酒を造り、今に伝えた。荒れ地に、根を下ろした者たちの酒だった。


俺は、四つのグラスに注ぎ、四人の前に置いた。


「これは、遠い北の、何もない島で造られる酒です」俺は言った。「海を渡ってきた者たちが、その荒れ地に、根を張って造りました。風しかない土地に、根を下ろすのは、たやすいことじゃない。それでも、彼らは、根を張った」


俺は、ガルダの構想を、四人に話した。地下の鉱脈で採れる、星霜鉄という希少な鉄。それを鍛える炉。腕利きの名工。鍛冶場ができれば、ギルドの装備は自前で賄え、ゆくゆくは、星霜鉄で打った武具を、売ることもできる。


聞き終えると、四人は、顔を見合わせた。


---


最初に口を開いたのは、バルスだった。


「昔の俺なら、こう考えた。『その鍛冶場を独占して、武具を高く売りつけよう』と」彼は、グラスを置いた。「だが、今の俺は、違う。ゼロから始める奴らに、場所を与える。そっちの方が、面白い。資金と、職人の手配は、俺が持つ」


オスカーが、続けた。


「私は、王都の流通を、引き受けます。打った武具を売る販路。資材を運ぶ手配。あなたに救われた、あの日の恩を、返させてください」


セルジオが、にやりと笑った。


「星霜鉄、と言ったな」目が、好奇心で光った。「星の光を帯びた鉄の剣なんて、ベルタニアじゃ、見たこともない代物だ。他国への販路は、俺が持ってくる」


最後に、マリアが、口を開いた。


「あなたたちは、夢ばかり見すぎよ」彼女は、ぴしゃりと言った。その目は、しかし、楽しげだった。「鍛冶場は、作って終わりじゃない。鉄の採掘、職人の賃金、炭の補充。毎月、金が出ていく。誰が、それを管理するの?」


店が、一瞬、静かになった。


「私がやるわ」マリアは、ふっと笑った。「一から事業を作るのが、どれだけ大変か。行商人から、ここまで来た私が、いちばん知ってる。夢を、現実にするには、地味な算盤が要るの。その役目、私が引き受ける」


【SOMA】――零。四人とも、本物だ。バルスは資金と人脈、オスカーは王都の流通、セルジオは他国の販路、マリアは経営の現実。これ以上の、後ろ盾はない。


俺は、四人に、頭を下げた。


「ありがとうございます。あなたたち四人を、ギルド・ゼロの、最初の出資者として、お迎えします」


夢を見る者と、それを現実にする者。両方が揃って、初めて、物事は動き出す。


---


数日後、地下の第一層に、人と物資が運び込まれ始めた。


その間も、店の営業は、続いていた。昼は鍛冶場の槌音が響き、夜になれば、いつものように、客が一杯を求めて、扉を開ける。俺は、カウンターで、その両方を、回していた。


バルスの手配した職人たちが、鉱脈のそばに、炉を築いていく。オスカーが、王都から、上質な煉瓦と燃料を取り寄せた。マリアが、その費用を、帳面に、きっちりと記録していく。ガルダが、一つひとつに、細かく指示を出した。


「星霜鉄は、火が強すぎると、脆くなる。弱すぎると、粘りが出ん」ガルダは、炉の角度を睨んだ。「この鉄の機嫌は、俺にしか、わからん」


ガイたち三ツ星も、手伝いに駆り出された。コルムが魔法で資材を運び、ティナが部材を仕分け、ガイが汗だくで煉瓦を積む。


その作業を、入口のヴァルドが、時折、見に降りていた。


「ガルダ」ヴァルドが、低く言った。「騎士団にいた頃、お前の打った剣を、何本も振った。あれは、いい剣だった」


ガルダが、手を止めて、ヴァルドを見た。


「……騎士団の。道理で、いい目をしている」彼女は、ふっと笑った。「星霜鉄で、お前の手に合うやつを、いつか打ってやる」


剣を打つ者と、剣を使う者。武の両極にいた二人が、ここで、つながった。


---


そして、十日ほどが過ぎた、ある夜。


ガルダが、煤だらけの顔で、地下から上がってきた。だが、その目は、輝いていた。


「零。完成した。炉に、火が入った」


その夜、ギルド・ゼロの全員が、地下の第一層に集まった。俺だけは、カウンターに残ったが、ルナが、後で全部、話してくれた。


新しく築かれた鍛冶場。その中心で、炉が、赤々と燃えていた。ガルダが、星霜鉄を、初めて、その炉にくべる。やがて、熱せられた鉄が、ただ赤いだけでなく、その奥に、星のような光を、ちらちらと宿し始めた。ガルダが、それを金床に乗せ、鎚を振り下ろす。


カン、と。澄んだ音が、地下に響いた。星の光をまとった火花が、闇に散った。


「……ようやく、だ」ガルダの声は、震えていた。「十年、探して、たどり着いた鉄を。やっと、俺の手で、打てる」


その夜、ガルダが最初に打ったのは、剣ではなかった。星霜鉄のかけらで作った、星の形をした、小さな飾りだった。ガルダは、それを、ルナに渡した。


「ギルド・ゼロの、最初の作品だ」ガルダは、ぶっきらぼうに言った。「お前が、名前をつけた、ギルドだからな」


ルナは、その星を、両手で握りしめた。星霜鉄の飾りは、ルナの手の中で、淡く、星の光を放っていた。


「……あったかい」ルナが、呟いた。「炉の火の、あったかさが、残ってる」


---


その夜、店に戻ったガルダに、俺は、一杯を出した。


ノアが、無言で、ガルダの前に、皿を置いた。こんがりと焼けた、分厚い肉だ。脂の弾ける音が、まだ、皿の上で鳴っている。


「炉の火で働いた奴は、これを食え」ノアが、ぶっきらぼうに言った。


ガルダが、豪快に笑って、肉に齧りついた。


「礼を言うのは、俺の方だ」彼女は、静かに言った。「十年、旅を続けて。どこにも、根を張れなかった。だが、ここで、出会えた。星霜鉄にも、火を入れる場所にも。……仲間にも」


【SOMA】――零。ギルド・ゼロに、心臓が、もう一つ増えたな。人の心を癒す、バーという心臓。そして、物を生み出す、炉という心臓だ。


俺は、内心で頷いた。裏路地の小さなバーは、もう、ただのバーじゃない。だが、その根っこは、今も、変わらず、バーだ。人が集い、一杯で癒され、技が生まれ、根を張る。そういう場所に、なっていく。


その晩も、店じまいの時間まで、扉は、何度も開いた。ギルド・ゼロ。その拠点が、今、本当の意味で、動き始めた。


---


≪第59話・了≫


次話――鍛冶場が動き出すと、次に動いたのは、アリシアとメイザだった。二人が、揃って俺の前に来て、言った。「零さん。私たちにも、作業場が欲しいのです」「魔法と、薬。一緒にやれば、面白いものができそうでね」。ギルド・ゼロの拠点が、さらに広がろうとしていた。


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