第57話「帰ってきた三ツ星」
翌日の、夕暮れだった。
店の扉が、勢いよく開いた。
【SOMA】――零。帰ってきた。三人とも、生きている。怪我はあるが、命に関わるものはない。それから、メイザも一緒だ。
先頭に立っていたのは、ガイだった。泥と、乾いた返り血にまみれ、革鎧はあちこち裂けている。髪は乱れ、頬には切り傷。ぼろぼろの姿だった。
だが、その目は、出発前とは、まるで違っていた。
「マスター……」ガイの声が、震えていた。「俺たち……勝ったよ」
その後ろで、ティナとコルムが、疲れ切った顔で、それでも笑っていた。最後に、メイザが、やれやれという顔で入ってくる。
「ただいま、店主」メイザが言った。「全員、生きて連れて帰ったよ。約束、守っただろう」
俺は、グラスを磨く手を止めた。
「おかえりなさい」
その一言を言うのに、少しだけ、間がいった。
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三人を、カウンターに座らせた。ヴァルドが、無言で、裂けた扉の建てつけを直しながら、ちらりと三人を見る。その目が、わずかに、和らいでいた。
「まず、これを」
俺は、温かい湯を、三人の前に置いた。三人は、それを両手で包み、一気に飲み干す。張り詰めていたものが、ようやく緩んだようだった。
ノアが、厨房から皿を運んできた。三人の前に、湯気の立つ一皿を置く。とろとろに煮込まれた、野菜と肉のシチューだった。器の底から、ほろほろの肉が顔を出し、濃い琥珀色のスープが、ことことと音を立てている。香草の香りが、ふわりと広がった。
「……黙って、食え」ノアが、ぶっきらぼうに言った。「疲れた体に、これが一番だ」
ティナが、一口すすって、ぽろりと涙をこぼした。
「……っ、おいしい。あったかい……」
泣きながら、それでも、夢中で食べる三人を、俺は静かに見ていた。
【SOMA】――零。あの三人、極限を、くぐってきた目だ。生きて帰った者だけが、する顔だ。
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腹が満たされると、ガイが、ぽつぽつと語り始めた。
「洞窟の奥に……でかい、毒蜘蛛がいたんだ」グラスを握りしめる。「五人を、襲ったやつ。糸と、毒で。最初、俺たち、何もできなくて」
「でも」コルムが、眼鏡を押し上げた。「アリシアさんの、教えを思い出して。毒持ちには、火が効くって。私が、覚えたばかりの炎の詠唱を、ありったけ」
奥にいたアリシアが、静かに顔を上げた。だが、何も言わず、ただ続きを待っている。
「炎で、蜘蛛がひるんだ隙に、ティナが弱点を見抜いて」ガイが続けた。「『右の二番目の脚の付け根、そこが薄い』って。あいつの矢が、ぴたりと」
「マスターに、教わったから」ティナが、俺を見た。「『見るんじゃない、気づけ』って。あの言葉、ずっと、頭の中にあった」
「で、隙ができたところに、俺が突っ込んだ」ガイが、自分の剣を見た。「この剣……ガルダさんが研いでくれた剣が、嘘みたいに、すっと通った。安物のはずなのに」
【SOMA】――零。名工の研ぎだ。ガルドが言った通りになった。
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「水源の毒も、断てたのかい」俺は、メイザに聞いた。
「ああ」メイザが頷いた。「蜘蛛の巣に、毒の元になる卵が、わんさとあってね。それを焼き払ったら、黒い水が止まった」彼女は、腰の小瓶を撫でた。「倒れてた村人にも、あたしの薬が効いた。子どもも、年寄りも、峠は越えたよ。もう、大丈夫だ」
店の中に、安堵の空気が流れた。
「村のみんな、泣いて喜んでた」ティナが、目を細めた。「トマさんなんか、地面に額をこすりつけて。あたしたち、ただの駆け出しなのに」
「ただの駆け出しじゃない」俺は、静かに言った。「あなたたちは、一つの村を、救ったんです」
三人が、はっと顔を上げた。自分たちのやったことの大きさに、今、ようやく気づいたような顔だった。
ガイの目から、ぼろぼろと、涙がこぼれた。
「……俺たち、あの時、辞めようとしてたんだ」声が震えた。「負けて、逃げ帰って。この店で、解散しようって。でも、マスターが言った。『辞めるなら、勝った日に辞めろ』って」
ガイは、涙を拭った。
「俺たち、勝った。……でも、辞めない。もっと、強くなりたい。もっと、いろんな人を、助けたい」
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俺は、棚の奥から、一本のボトルを取り出した。
琥珀色の、深く澄んだ酒。地の文で、俺だけが知っている。マッカラン。前の世界の、スコットランドはスペイサイドの蒸留所。「シングルモルトのロールスロイス」と呼ばれる、名酒だ。シェリー樽でじっくりと、長い時間をかけて熟成させる。安く早くは、決して造れない。時間だけが与えてくれる、深みと風格がある。
俺は、三つのグラスに、丁寧に注いだ。
「これは、長い時間をかけて、熟成させた酒です」俺は言った。「樽の中で、何年も、何十年も、ただ静かに、深みを増していく。早くは、造れない。時間だけが、与えてくれる味です」
ガイたちが、グラスを受け取る。
「あなたたちは、まだ、若い。荒削りで、未熟だ」俺は言った。「でも、今日、一つ、深みを得た。命を懸けて、誰かを救った。それは、何年もの修行に、匹敵します」
三人が、グラスを口に運んだ。長い時間をかけた酒が、喉を通っていく。
「……すごい」ガイが、目を見開いた。「深い。なんか……いろんな味が、奥から、次々と」
「あなたたちの、これからの人生のように」俺は、微笑んだ。「飲むたびに、新しい味が、見つかります」
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その夜、店は、ささやかな祝いの場になった。
ガルダが、研ぎの腕を褒められて、満更でもない顔をしていた。ダリウスが、村と領主の後始末は引き受けた、と報告に来た。住人たちも、それぞれの形で、三人の帰還を喜んでいた。
ルナが、ガイたちの間を、嬉しそうに飛び回っている。
「ガイ、ティナ、コルム! すごい、すごい! 村、助けたんだね!」
「ルナちゃんも、応援してくれてたもんな」ガイが、ルナの頭を撫でた。
その光景を見ながら、入口のヴァルドが、俺の隣に来た。そして、低く、言った。
「零」
「はい」
「前にも言ったが、もう一度言う」ヴァルドの目は、まっすぐだった。「お前が、ここに作っているもの。それに、そろそろ、名前がいる」
俺は、店の中を見渡した。
剣を振るガイ。弓を引くティナ。炎を操るコルム。剣を研ぐガルダ。薬を配るメイザ。情報を握るダリウス。料理を作るノア。魔法を教えるアリシア。剣を守るヴァルド。名前を覚えるルナ。そして、境界を守るシロ。
ばらばらだった技と、人生が、いつの間にか、一つの場所に、集まっていた。
【SOMA】――零。もう、認めろ。これは、ただのバーじゃない。一つの、共同体だ。冒険者の、職人の、賢者の――一つのギルドだ。
俺は、静かに、息を吐いた。
「……そうですね」俺は、ヴァルドに言った。「考えてみます。この場所に、ふさわしい名前を」
ヴァルドが、満足そうに、頷いた。
裏路地の小さなバーが、何かに変わろうとしている。その名前は、まだない。だが、もうすぐ、生まれる。今夜の、この温かさのような、何かが。
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≪第57話・了≫
次話――祝いの夜が更けた頃。ルナが、ふと、俺に聞いた。「ねえ、おにーさん。この、みんなの集まり、なんて名前にするの?」。その無邪気な問いが、俺の中の、何かに火を点けた。名前を持たなかった子どもたちと、名前を取り戻した者たちの物語。今度は、この場所が、名前を持つ番だった。




