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裏路地の隠れ家『BAR ZERO』。下戸の元情報屋が提供する極上の一杯は、追放された者たちを救い、悪党を密かに破滅へ導く  作者: akaike


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第56話「剣を継ぐ者」

ガイたち三ツ星と、メイザが村へ発って、二日が過ぎた。


店は、どこか落ち着かなかった。地下から訓練の声が響かないだけで、こんなにも静かになる。ルナが、何度も扉の方を見ていた。


「ねえ、おにーさん。ガイたち、だいじょうぶかな」


「ガルダさんが研ぎ直した剣と、アリシアさんの教えがあります」俺は言った。「それに、メイザさんもついている。心配いりませんよ」


そう言いながら、俺も内心では、彼らの無事を願っていた。


その夜、扉が開いた。


【SOMA】――零。二人だ。一人は、二十年無敗の剣聖。もう一人は、若い剣士。お前のよく知る、あの二人だ。


入ってきたのは、ガルド・ラインハルトだった。双剣の剣聖。かつて手の震えに苦しみ、この店で救われた男だ。その後ろに、若い剣士が続く。レン。ガルドの弟子だった。


「久しぶりだな、零」ガルドが、低い声で言った。


「ガルドさん、レンさん。お久しぶりです」


---


ガルドは、いつもの席に腰を下ろした。レンは、その隣で、少し緊張した面持ちだった。


「マスター、ご無沙汰してます」レンが、ぺこりと頭を下げた。「修行の旅に出てて、しばらく来れなくて」


「立派になりましたね」


レンの背は、以前より伸びていた。剣を握る手も、ずいぶん厚くなっている。だが、その目の奥にある純粋さは、変わっていなかった。


「噂を聞いてな」ガルドが言った。「この店が、駆け出しの冒険者を、育ててると」


【SOMA】――零。剣聖の地獄耳だ。三ツ星のことが、もう耳に入っている。


「育てる、というほどでは」俺は言った。「うちに来る三人組に、ヴァルドさんや、住人たちが、少し稽古をつけているだけです」


「その三人が、村の魔物退治に行ったとも、聞いた」ガルドの目が、鋭くなった。「駆け出しを、危険な依頼に出したのか」


その声には、咎めるような響きがあった。剣の世界で、無謀がどれだけ命を奪うか、知り尽くした者の声だった。


---


「ご心配は、もっともです」俺は、静かに言った。「ですが、彼らだけを行かせたわけではありません」


俺は、出発前の編成を、ガルドに話した。ガルダという鍛冶師が武具を整えたこと。メイザが同行し、毒と治療を受け持つこと――。


「待て」ガルドが、俺の言葉を遮った。「今、ガルダと言ったか。鍛冶屋の」


「ご存知ですか」


「知っているも何も」ガルドの目が、見開かれた。「俺の双剣を打ったのが、あの女だ。十年前、忽然と姿を消して、誰もが行方を案じていた」彼は、信じられないという顔をした。「あの鉄火のガルダが、お前の店に、出入りしているのか」


【SOMA】――零。剣聖と名工。やはり、旧知だったか。同じ王国の武を、支えた二人だ。


「ええ。今は、地下の鉱脈の鉄に、惚れ込んでいます」


「……そうか。生きていたか」ガルドは、深く息を吐いた。その声には、長年の友の無事を知った、安堵がにじんでいた。「あの女の打つ剣は、本物だ。研ぎ一つとっても、並じゃない。あいつが手を入れた武具なら、その三ツ星も、そう簡単には死なん」


剣聖が、名工を信じる。その一言には、二十年、互いの仕事を認め合ってきた者だけの、重みがあった。


---


レンが、ぽつりと言った。


「……俺も、駆け出しの頃、無謀でした」グラスを見つめる。「師匠みたいになりたくて、一人で、強い魔物に挑んで。死にかけて、師匠に助けられた」


レンは、顔を上げた。


「その三ツ星の人たち、今、どこの村ですか。俺、加勢に行けないかな」


【SOMA】――零。この若者、本気だ。会ったこともない冒険者のために、剣を抜こうとしている。


俺は、レンを見た。それから、棚から一本のボトルを取り出した。


琥珀色の酒。地の文で、俺だけが知っている。グレンモーレンジィ。前の世界の、スコットランドの蒸留所だ。「グレン・オブ・トランクウィリティ――静寂の谷」という名を持つ。スコットランドで一番、背の高い蒸留器を使う。その背の高さゆえに、重いものは昇りきれず、軽くて繊細な香りだけが、すっと立ち昇る。せっかちには、造れない酒だ。


俺は、グラスに注ぎ、レンの前に置いた。


「以前、あなたに『まだ途中の一杯』を出したのを、覚えていますか」


レンが、はっとした顔をする。


「……忘れるわけ、ないです。あの一杯で、俺、変わったんだ」


「今は、どうですか。もう、熟しましたか」


レンは、グラスの琥珀色を見つめた。


「……まだ、途中です。たぶん、一生、途中だ」


「いい答えです」俺は、頷いた。「この酒は、背の高い蒸留器で、軽いものだけが昇って造られます。焦って火を強めても、いい香りは立たない。時間をかけて、自分の高さの分だけ、伸びていく酒です」


レンが、一口飲んだ。目を見開く。


「……すっと、する。喉の奥まで、まっすぐ抜けてく」


「焦らなくて、いいんです」俺は言った。「村に駆けつけたいその気持ちは、立派です。でも、あの三人には、あの三人の戦いがある。あなたが助けたら、彼らは、自分で勝つ機会を、失う」


レンが、はっとした。


---


ガルドが、低く言った。


「零の言う通りだ、レン」剣聖は、弟子を見た。「お前が駆け出しの頃、俺は、お前の戦いを、何度も黙って見ていた。手を出したいのを、こらえてな」


「師匠……知らなかった」


「弟子の戦いを、奪わないのも、師匠の仕事だ」ガルドは言った。「その三ツ星にも、支える者がいる。なら、信じて、待て。それも、剣士の強さだ」


レンは、しばらくグラスを見つめていた。それから、こくりと頷いた。


「……わかりました。待ちます」


その時、ルナが、レンの隣に来て、見上げた。


「レンおにいちゃん、つよいの?」


「ん? まあ、昔よりは」


「じゃあ、ガイたちが帰ってきたら、いっしょに稽古してあげて」ルナが、にっこり笑った。「あの人たち、もっと強くなりたいって、いつも言ってるの」


レンが、ルナを見て、それから笑った。


「……いいな、それ。兄弟子、みたいで」


【SOMA】――零。剣の道を行く若者が、もう一人。この店の縁が、また、つながっていく。


---


閉店後、ガルドとレンも残って、夜の卓を囲んだ。


ノアが、皿を運んできた。骨つきの肉を、香草とともにじっくり煮込んだ一皿だ。とろりと飴色に煮詰まったソースが、肉の上で、まだ静かに泡立っている。湯気とともに、肉と香草の匂いが、ふわりと立ち昇った。ノアは、それをレンの前に、黙って置いた。


「育ち盛りは、これを食え」それだけ言って、背を向ける。


レンが、肉に齧りついた。とたんに、目を見開く。


「……っ、うまい! 骨から、ほろっと取れる! こんなの、食ったことない!」


ノアの肩が、ほんの少しだけ、得意げに動いた気がした。


ヴァルドが、入口の定位置から、レンの食べっぷりを見ていた。


「ガルド」ヴァルドが、低く言った。「いい弟子だな」


「お前に言われると、悪い気はせんな」ガルドが、笑った。


元・第一騎士団副団長と、双剣の剣聖。かつて、王国の武を支えた二人が、同じ卓で、静かに酒を傾けている。アリシアが、温かいお茶を淹れながら、その光景を眺めていた。


「武の頂を極めた二人が、こんな裏路地で、肉をつつく」アリシアが、くすりと笑った。「世界は、わからないものですね」


「ここが、いいんだ」ガルドが言った。「ここでは、剣聖でも、ただの、酒飲みの一人でいられる」


俺は、その言葉を、静かに受け止めた。来た時と、帰る時で、顔が違う店。それが、この店だ。


---


レンが、満腹になって、ぽつりと言った。


「マスター。俺、また通います。ガイたちとも、友達になりたい」


「いつでも、どうぞ」俺は言った。「あなたの席は、いつでも、空けておきます」


ガルドとレンが帰った後、ルナが、シロを抱えて、あくびをした。


「ガイたち、はやく帰ってこないかな」


「もうすぐですよ」俺は、グラスを磨きながら言った。「きっと、見違えるくらい、強くなって帰ってきます」


【SOMA】――零。一つ、報告だ。村の方角から、伝令の早馬が、この町に入った。詳細はまだだが、大きな動きがあったのは、間違いない。


俺の手が、止まった。


吉と出たか、凶と出たか。それは、まだわからない。だが、もうすぐ、彼らが帰ってくる。俺は、静かに、グラスを磨き続けた。彼らの席を、いつでも迎えられるように。


---


≪第56話・了≫


次話――翌日の夕暮れ。店の扉が、勢いよく開いた。先頭のガイは、泥と返り血にまみれ、ぼろぼろだった。だが、その目は、出発前とは、まるで違っていた。「マスター……俺たち、勝ったよ」


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