第53話「鎚を打つ女」
翌朝、店の地下から賑やかな声が響いてきた。三ツ星が、さっそく第一層で訓練を始めたらしい。
営業前の、静かな時間だった。俺はカウンターの内側で、斥候の少女に、ひとつ教えていた。地下に降りる前、彼女が「魔物の気配が、どうしても読めない」と俺に零したからだ。
「斥候は、見るんじゃない。気づくんだ」俺は、グラスを磨きながら言った。「目で探そうとすると、視野が狭くなる。そうじゃなくて、いつもと違う『違和感』を拾う。鳥が鳴きやんだ。風の匂いが変わった。水音が、一拍遅れた。そういう、世界のほつれを」
少女が、目を丸くした。
「マスター、なんで、そんなこと知ってるの」
「昔、似たような仕事をしていてね」俺は、軽く流した。情報屋だった、とは言わない。
【SOMA】――零。あの少女、筋がいい。気づく力は、教えれば伸びる。素養がある。
少女は、何かを掴んだ顔で、地下へ降りていった。
その背を見送った、ちょうどその時。表の扉が開いた。
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入ってきたのは、鎚を担いだ大柄な女だった。背は俺より高く、腕は丸太のように太い。短く刈った髪の下から、鋭い目がのぞいている。
【SOMA】――零。その女、ただの鍛冶師じゃない。記録と照合した。"鉄火のガルダ"。十年前まで、王都一の鍛冶工房を構えていた名工だ。王国騎士団の剣の多くを、この女が打ったと言われている。
俺の手が、わずかに止まった。
(その伝説の鍛冶師が、なぜ裏路地の酒場に?)
【SOMA】――わからん。十年前、突然工房を畳んで姿を消した。それ以降の記録は、ほとんどない。
女は、店の中を見回してから、カウンターに腰を下ろした。
「ここの酒と飯が、うまいと聞いてな」女は言った。「旅の鍛冶屋だ。ガルダという。一杯、もらえるか」
名乗りは、ただの「鍛冶屋」だった。王都一の名工であることを、おくびにも出さない。
「零と申します。ようこそ」
俺はまず水を置いた。ガルダは、それを一息に飲み干す。
「強いのを頼む。鍛冶屋は、火の前で乾くんだ」
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俺は、棚から、琥珀色の酒を注いだ。力強い香りが立つ。
俺は、棚から、琥珀色の酒を注いだ。力強い、潮と煙のまじった香りが立つ。
スプリングバンク。前の世界の、スコットランドはキャンベルタウンの蒸留所だ。かつて三十以上の蒸留所がひしめき「ウイスキーの都」と呼ばれた港町で、今もなお操業を続ける、数少ない一つ。麦の栽培こそ外に頼るが、麦芽づくり、蒸留、熟成、瓶詰めまで、すべてを自分たちの手で、一つの蒸留所の中で行う。機械に頼らず、人の手で。だから造れる本数は少ない。それでも、頑として、やり方を変えない蔵だった。
俺は、グラスを置きながら言った。
「これは、北の国の、ある港町の酒です」客には、そう紹介する。
「かつてその町には、三十を超える蒸留所がありました。ウイスキーの都、と呼ばれるほどに。でも、安く大量に造る波に飲まれて、ほとんどが、消えました」
「……消えた」ガルダが、グラスを見つめた。
「ええ。ですが、この蔵だけは、生き残った」俺は言った。
「全部の工程を、自分たちの手でやる。麦を芽吹かせ、蒸留し、樽で寝かせ、瓶に詰める。手間も金もかかる。造れる本数も少ない。それでも、やり方を、一度も変えなかった。だから、潰れなかった」
ガルダの手が、グラスの上で止まった。長い間、止まっていた。
「……なあ、店主」声が、低くなった。「あんた、俺が誰か、知ってるな」
俺は、グラスを磨く手を止めなかった。
「噂は、耳にしたことがあります」
「その酒の話、わざと、俺に聞かせたな」ガルダは、琥珀色を見つめた。「全部、自分の手でやる。妥協しない。だから生き残る。……それは、俺の話だ」
「違いましたか」
ガルダは、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと語り始めた。
「十年前まで、俺は王都で、名の知れた鍛冶工房をやってた。騎士の剣を、いくつも打った。だが、注文が増えるほど、言われるんだ。もっと数を打て。弟子に任せろ。一本一本、手をかけてたら、商売にならんとな」
「あなたは、それを断った」
「断った。剣ってのは、誰かの命を預かるもんだ。それを、流れ作業で打てるか」ガルダは、酒をあおった。「だから、工房を畳んだ。名声も、客も、全部捨てて。一人で、納得いく鉄だけを打つために、旅に出た。以来ずっと、満足のいく鉄を探して、各地をさまよってる」
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【SOMA】――零。この女、十年、いい鉄を探し続けている。だが、まだ出会えていない。声に、渇きがある。
俺は、ガルダのグラスに、もう一杯注いだ。
「いい鉄は、見つかりましたか」
「いいや」ガルダは、首を振った。「これだ、という鉄に、十年、出会えてない。この町も、ただの行きずりだ。うまい酒でも飲んで、次の土地へ行く。その繰り返しさ」
俺は、しばらく考えた。それから、口を開いた。
「……一つ、お耳に入れても?」
「なんだ」
「この店の地下に、ダンジョンがあります。俺が、管理を任されています」俺は言った。「最近、第一層を調べていた冒険者が、見慣れない鉱脈らしきものを見た、と言っていました。鉄かどうかは、わかりません。素人の見立てですから」
ガルダの目の色が、変わった。
「……鉱脈だと」身を乗り出してくる。「どんな色だった。光り方は」
「そこまでは、聞いていません」俺は言った。「ただ、長く誰も入っていない、古い地下です。何が眠っていても、おかしくはないでしょう」
ガルダは、指で鎚の柄を撫でた。
「店主。その鉱脈、見せてもらえんか。鍛冶師の勘が、騒いでる」
「構いません。ただし、第一層だけに。第二層から先は、危険です」俺は言った。「もし鉄が採れるようなら、採掘の取り決めは、後で相談しましょう。ここは、俺が管理者ですから」
「もちろんだ。筋は通す」ガルダは、立ち上がった。
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俺は、ガルダを地下へ案内した。第一層の岩肌を見るなり、ガルダが息を呑む。
「……これは」かすれた声だった。岩肌に、かすかに光る筋が走っていた。ガルダは鎚の先で、そっと岩を叩く。澄んだ音が響いた。長年、鉄を見てきた者にしか聞こえない、何かを聞き取る顔だった。
「店主」ガルダの声が、震えていた。「俺は、十年、いい鉄を探して旅してきた。……ようやく、出会えたかもしれん」
その時、奥から三ツ星が現れた。剣士が、刃こぼれした剣を握っている。
「マスター! また剣が……あっ」剣士が、ガルダを見て固まった。鎚と鍛冶屋の風体に気づいたらしい。だが、その正体までは、知る由もない。「あ、あんた、鍛冶屋か?」
「そうだが」ガルダは、なんでもないように答えた。
【SOMA】――零。あの剣士、気づいていない。十年も姿を消していた鍛冶師の顔を、駆け出しが知るはずもない。
ガルダは剣を受け取った。刃を指でなぞり、光に透かす。その手つきは、ぞんざいに見えて、どこまでも丁寧だった。
「ひどい剣だな。鉄が安すぎる。これじゃ、命を預けられん」ガルダは剣を返した。「だが、お前の手入れ自体は、丁寧だ。剣を大事にしてるのは、わかる」
剣士が、目を見開いた。
「約束はできん」ガルダは、岩肌を顎でしゃくった。「だが、この鉱脈の鉄を採って、精錬して、試し打ちをする。見立て通りの鉄なら、お前の剣を、一から打ち直してやる。鉄の採掘から仕上げまで、半月はかかる。生きて、待ってろ」
剣士の顔が、ぱっと輝いた。
「待つ! いくらでも待つ!」
「ツケだ。腕のいい冒険者になって、稼いでから払え」ガルダは、にやりと笑った。
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その夜、店に戻ったガルダは、上機嫌で酒を飲んでいた。閉店後の店に、いつもの顔が残っている。
「妙な店だな」ガルダが、ぽつりと言った。「鍛冶屋ってのは、孤独な仕事でな。一人で、火と鉄に向き合う。人とつるむことはない」彼女は、店の中を見渡した。「だが、ここに来たら、いきなり冒険者と、剣を打つ約束をしてた。なんだか、火のそばにいるみたいに、あったかいな」
入口のヴァルドが、低く言った。
「ここは、そういう店だ」
ノアが、無言で、ガルダの前に、鉄分の多い肉料理を置いた。「鍛冶屋は、鉄を食え」とでも言いたげに。ガルダが、豪快に笑った。
アリシアが、お茶を淹れながら、ルナに言った。
「ルナ。今日のガルダさんを、よく見ておきなさい。あの人は、名声よりも、納得を選んだ人です」
「なっとく?」
「自分が、これでいい、と思える生き方のことです」アリシアは、静かに言った。「難しいことよ。でも、いちばん、強い」
ルナが、ガルダを見上げた。
「ガルダさん、かっこいいね」
「がきにそう言われるのは、悪くないな」ガルダが、ルナの頭に、ごつい手を乗せた。
俺は、その光景を見ていた。剣を振る者。魔法を使う者。鉄を打つ者。料理を作る者。それぞれの技を持った一流が、一つの店に、集まり始めている。
【SOMA】――零。この店に集まる人間、一人ひとりが、本物だ。組み合わせれば、一つの組織として機能する。データ上は、そういう結論になる。
俺は、内心で頷いた。だが、まだ、その名前は呼ばない。地下から、鎚を打つ音が響いてきた。カン、カン、と。何かが、静かに、始まる音だった。
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≪第53話・了≫
次話――数日後、店に女が一人、ふらりと入ってきた。旅装の上から、薬草の匂いがする。腰に、たくさんの小瓶を下げていた。SOMAが、すかさず告げる。【SOMA】――零。あの小瓶、本物の薬だ。それも、相当な腕の。薬師の女は、にっと笑って言った。「うまい酒が飲めると、聞いてね」




