第48話「それぞれの理由」
その夜は、不思議な夜だった。
最初に扉を開けたのは、ガルドだった。
剣聖と呼ばれる、寡黙な大男。いつものように、何も言わず、カウンターの奥の席に座った。
「いらっしゃいませ」零が、迎えた。「お久しぶりです」
「ああ」ガルドは、それだけ言って、頷いた。
次に来たのは、ダリウスだった。ガルドの姿を見て、軽く、片手を上げる。
「珍しいな。剣聖殿と、同じ夜とは」
「貴殿こそ」ガルドが、低く返した。
二人が、言葉を交わすのは、珍しいことだった。
零が、グラスを並べ始めた、その時。
また、扉が、開いた。
入ってきたのは、リオ・ファーンだった。
背に、楽器を背負った、若い吟遊詩人。声を、この店で取り戻した男だ。
「やあ、零さん!」リオは、明るく言った。「久しぶりだね。ああ、先客が……これは、賑やかになりそうだ」
そして、リオの後ろから、もう一人。
バルスだった。
かつて、シロを奪おうとした男。今は、すっかり、面構えの変わった男が、少し、ばつの悪そうな顔で、立っていた。
「……俺も、来てしまった」バルスが、言った。「混んでいるなら、出直すが」
「いいえ」零は、微笑んだ。「どうぞ。ちょうど、グラスを、並べていたところです」
四人の客が、カウンターに、並んだ。
零は、一人ひとりの顔を、見渡した。
「いらっしゃいませ。今夜は、賑やかに、なりそうですね」
ルナが、シロを抱えて、奥から出てきた。
四人の客を見て、目を、丸くする。
「わ、いっぱいだ」
「ルナちゃん、大きくなったね」リオが、笑った。
「リオさんは、ちっとも、変わらないね」
「吟遊詩人は、年を取らないのさ」
「うそだ」
場が、和んだ。ガルドの口元さえ、わずかに、緩んでいた。
零は、まず、リオに、一杯を出した。
「リオさんは、どちらから?」
「いやあ、それなんだけどね」リオは、グラスを受け取りながら、少し、声を、弾ませた。「聞いてくれよ、零さん。あの歌が、すごいことに、なってるんだ」
「あの歌、というと」零が、聞いた。
「ほら、前に、ここで作った歌さ。『どこにでもある、でもどこにもない扉』の歌」リオは、目を、輝かせた。「あれが、今、あちこちで、歌われてるんだ。北の港町でも、南の砂漠の村でも。俺が行く先々で、もう、みんなが、知ってる」
零の手が、少し、止まった。
「それは……すごいですね」
「不思議なのは」リオは、続けた。「誰も、あの扉が、何なのか、知らないんだ。ただ、いい歌だって、歌ってる。どこにもない扉に、いつか、たどり着けたらって。みんな、自分の、たどり着きたい場所を、思い浮かべながら、歌うんだよ」
零は、しばらく、その話を、聞いていた。
あの歌は、本当は、この店の、ゲートのことだった。けれど、それを知る者は、いない。人々は、それぞれの「たどり着きたい場所」を、その歌に、重ねている。
「いい歌に、育ちましたね」零は、静かに言った。
「あんたが、声を、取り戻してくれたから、さ」リオは、笑った。「あの一杯がなけりゃ、俺は、今でも、歌えなかった」
次に、零は、バルスを見た。
「バルスさんは、今日は」
バルスは、少し、間を置いてから、口を開いた。
「……前に、話しただろう。屋敷の、生き物たちのことだ」
「ええ。覚えています」
「答えが、出た」バルスは、グラスを、両手で包んだ。「俺は、屋敷の庭を、開放することにした。あの生き物たちが、自由に、暮らせるように。檻を、全部、取り払った」
零の手が、止まった。
「全部、ですか」
「全部だ」バルスは、頷いた。「逃げていく者は、逃がした。残る者は、残った。残ったやつらには、もう、見世物として、見せたりはしない。ただ、暮らさせる。それだけだ」
「奪うのを、やめたんですね」
「ああ」バルスは、少し、笑った。「あんたに言われた言葉が、ずっと、頭にあってな。奪われるものと、与えられるもの。俺は、ずっと、奪う側だった。だが、もう、いい。今は、与える側で、いたい」
ルナが、シロを抱えたまま、バルスを見た。
「バルスさん、いい顔に、なった」
バルスは、照れたように、視線を、逸らした。
ダリウスが、グラスを傾けながら、ぽつりと言った。
「面白いものだな」
「何がですか」零が、聞いた。
「ここに、いる連中だ」ダリウスは、店の中を、見渡した。
「剣聖、吟遊詩人、元・収集家。
それにこの店を探りに来たはずの情報省の俺。
みんな、最初は、バラバラだった。中には、敵だった者も、いる」
バルスが、少し、肩を、すくめた。
「それが、今は、同じカウンターで、同じ酒を、飲んでいる」ダリウスは、続けた。「考えてみれば、奇妙な話だ。これだけ、違う人間を、一つの場所に、集める。そんな店が、他に、あるか」
「俺は、何も、していませんよ」零は、グラスを磨きながら、言った。「皆さんが、自分の足で、ここに来ただけです」
「いや」ガルドが、低く、口を開いた。
全員が、寡黙な剣聖を、見た。
「俺たちは、ここに、来たくて、来ている」ガルドは、ゆっくりと、言った。「来ると、心が、軽くなる。だから、また、来る。それを、作っているのは、お前だ」
ガルドが、これだけ、まとめて、喋るのは、珍しいことだった。
零は、少し、頭を、下げた。
「ありがとうございます」
夜が、更けていった。
ノアが、次々と、料理を出した。アリシアも、奥から出てきて、リオの楽器の話に、目を輝かせていた。ヴァルドは、入口の定位置で、いつものように、静かに、その光景を、見守っていた。
リオが、楽器を、手に取った。
「一曲、いいかい」リオが、零に、聞いた。「ここで、声を取り戻した、お礼に」
「ぜひ」
リオが、弦を、爪弾いた。
あの歌だった。「どこにでもある、でもどこにもない扉」の歌。
店の中に、優しい旋律が、流れた。
ルナが、シロを抱えて、その音に、耳を澄ませた。ガルドが、目を閉じた。バルスが、グラスを、見つめた。ダリウスが、腕を組んで、天井を、見上げた。
それぞれの心の中に、それぞれの「たどり着きたい場所」が、浮かんでいるようだった。
そして、零は、思った。
彼らにとっての、たどり着きたい場所は、きっと――もう、ここなのかもしれない、と。
歌が、終わった。
しばらく、誰も、口を、開かなかった。
余韻が、店の中に、満ちていた。
「……いい歌だ」ガルドが、ぽつりと、言った。
「だろう?」リオが、得意げに、笑った。
零は、カウンターの内側で、一人ひとりの顔を、見渡した。
最初に、この店に来た時、彼らは、みんな、違う顔を、していた。
ガルドは、何かを、諦めたような顔を。
ダリウスは、全てを、疑うような顔を。
リオは、声を失った、絶望の顔を。
バルスは、奪うことしか、知らない顔を。
それが、今は。
みんな、同じように、穏やかな顔で、ここに、座っている。
来た時と、帰る時で、顔が違う。
零が、ずっと、目指してきた店は、確かに、ここに、あった。
閉店の時間が、近づいた。
客たちが、一人、また一人と、帰っていった。
「また来る」と、ガルドが言った。
「次は、もっと、いい歌を、持ってくるよ」と、リオが言った。
「屋敷が、落ち着いたら、また」と、バルスが言った。
「シルバー会員の、特権だ。たまには、来させてもらう」と、ダリウスが言った。
最後の客を、見送って、零は、扉を、閉めた。
店の中には、いつもの、家族だけが、残った。
ルナが、大きな、あくびを、した。
「今日、楽しかったね、おにーさん」
「そうですね」零は、頷いた。「賑やかな、夜でした」
「みんな、また、来てくれるかな」
「来ますよ」零は、グラスを、磨きながら、言った。「ここが、みんなの、帰ってくる場所に、なったんです」
ルナは、嬉しそうに、笑った。
そして、シロを抱えたまま、こくり、と、舟をこいだ。
零は、その小さな寝顔を、見ながら、思った。
世界の終わりを、止めた。
老人を、見送った。
ルナの、過去と、向き合った。
二つの世界を、つないだ。
いろいろな、ことがあった。
でも、結局、自分のやることは、いつも、変わらない。
来てくれた人に、一杯を、出す。
話を、聞く。
そして、来た時より、少しだけ、軽い顔で、帰ってもらう。
それだけだった。
それで、十分だった。
零は、最後のグラスを、磨き終えて、灯りを、消した。
今夜も、この店は、続いている。
明日も、きっと、続いていく。
≪第48話・了≫
――第二章「世界の終わりは、一杯飲んでから」 完――
次章予告――裏路地のバーは、今日も、扉を開けている。新しい客が、新しい物語を、連れてくる。そして、まだ語られていない、ルナの本当の名前も、いつか、その扉を、叩く日が来る。第三章、近日。
【あとがき】
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
これにて、第二章「世界の終わりは、一杯飲んでから」が、完結します。
世界の終わりを止めたのは、剣でも魔法でもなく、一杯の水と「どうぞ」の一言でした。
最初はバラバラだった人たちが、敵だった人さえ、同じカウンターに並ぶ。
「来た時と、帰る時で、顔が違う」
零が目指した店は、確かに、そこにありました。
第二章に、最後までお付き合いくださり、本当に、ありがとうございました。
ブックマーク・★評価・コメントが、次の章を書く力になります。
コメントで「第二章で、一番好きだったお客さんは誰ですか」を教えてもらえると、とても嬉しいです。
第三章も、どうぞ、よろしくお願いします。




