第36話「ルナの力」
「次の段階に進める」
老人が言った。
訓練が終わった直後だった。
「扉の前に立つ準備ができている」
アリシアがルナを見た。
ルナがアリシアを見た。
それから二人で老人を見た。
「扉というのは」とアリシアが言った。
「ダンジョンの第三層だ。封印された扉の前で、実際に感じ取ってみる必要がある」
「今日ですか」
「できるなら、早い方がいい」
アリシアはルナに向き直った。
「どうしますか」
ルナは少し間を置いてから、言った。
「行く」
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俺は店を一時的に閉めた。
ヴァルドに声をかけた。
「少し出ます。留守を頼めますか」
「わかった」
「ノアさんに伝えておきます」
「俺が言う」
「ありがとうございます」
ヴァルドは入口に戻りながら、一度だけ振り返った。
「ルナを頼む」
「もちろんです」
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五人で地下に降りた。
零・ルナ・アリシア・老人・シロ。
シロが先を歩いた。
懐中電灯の光が、石造りの通路を照らした。
ルナは黙って歩いた。
「怖いですか」とアリシアが聞いた。
「少し」
「どんな怖さですか」
「できなかったら、どうしようって怖さ」
「できなかった時のことは、その時に考えましょう」
「……そっか」
シロがルナを振り返った。
ルナがシロを見た。
シロは何も言わずに、また前を向いた。
「シロが何か言った?」
「……ここまで来た、って」
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「一つ確認させてください」とアリシアが言った。
「第二層には魔物がいます。どうやって通るんですか」
老人が答えた。
「守護者が一緒であれば問題ない。
ダンジョンの生き物は、守護者を本能で識別する。
近づかない。三百年前からそうだった」
「シロが一緒なら通れる、ということですか」
「そうだ。守護者がいなければ、
第二層より先は危険だ。
三百年間、誰もあそこより奥には辿り着けなかった」
アリシアは頷いた。
「わかりました」
第一層を抜けた。
泉の水が静かに光っていた。
第二層への階段を下りた。
老人が先に進んで、何かを確認した。
「魔物は今日は奥にいる。問題ない」
第二層を静かに進んだ。
音を立てないように歩いた。
シロが先導していた。
魔物はシロの前では動かなかった。
守護者の存在が、道を開けていた。
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第三層への階段を下り終えた時、封印された扉が目の前にあった。
分厚い石の扉だ。
紋様が刻まれている。
前に来た時と変わっていなかった。
ただ、今日は違う意味でそこにあった。
「ルナさん」とアリシアが言った。
「うん」
「扉の前に立ってください。シロと一緒に」
ルナはシロを抱えて、扉に近づいた。
扉の前に立った。
「何をすればいいですか」
老人が答えた。
「何もしなくていい。ただ、扉を前にして、立っていろ」
「感じようとしなくていいんですか」
「感じようとするな。ただ、ここにいろ」
アリシアが口元に手を当てて、小さく言った。
「訓練の時と同じです。待つだけでいいです」
ルナは頷いた。
シロを抱えたまま、扉の前に立った。
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静かな時間が続いた。
地下の空気は冷たかった。
誰も動かなかった。
俺はルナを見ていた。
老人はルナの様子を見ていた。
アリシアはルナの隣で、静かに息をしていた。
一分が経った。
二分が経った。
ルナの肩が、少し変わった。
力が抜けたのではなかった。
何かに触れた時の、あの感覚だ。
ルナが口を開いた。
「……揺れてる」
誰も言葉を返さなかった。
「前より、近い。もっとはっきり」
「どんな揺れですか」とアリシアが静かに聞いた。
「ずっと前からそこにある揺れ。止まらない。続いてる」
「それは境界の揺れです」
「うん。わかる。方向も、大きさも」
老人が一歩だけ前に出た。
ルナの様子を見た。
境界の揺れを自分の目で確かめるように。
しばらくして、静かに言った。
「間違いない」
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一言だった。
でも、その一言の重さが、地下の空気を変えた。
「三つ目の条件が、揃った」
ルナはまだ扉を向いていた。
シロが、ルナの頬に鼻先を近づけた。
触れるか触れないかの距離で。
ルナは動かなかった。
でも、目が少し赤くなっていた。
アリシアが、ルナの後ろで立っていた。
俺はアリシアを見た。
アリシアの目から、一筋だけ、涙が落ちた。
気づいた瞬間、アリシアは顔をそらした。
「……失礼しました」
小さな声だった。
ルナが振り返った。
アリシアを見た。
何も言わなかった。
ただ、アリシアのそばに来て、隣に立った。
「アリシアさん」
「なんですか」
「ありがとう」
アリシアは少し間を置いた。
「こちらこそ」
それだけだった。
問題を整理します
「では、ゲートを開けましょう」と言った直後に
何の間もなく地上に戻っている
→ここは物語全体の転換点
→三つの条件が揃い、世界の命運が動き始めた瞬間
→それが「では、ゲートを開けましょう」の一言で終わって
すぐにノアの「飯を作る」になる
読んでいて「え、もうそれだけ?」と感じる
さらに
ヴァルドとルナの「うまくできた?」「うん」という会話が
軽すぎる
地上に戻った時、全員が何かを抱えているはず
それが描かれていない
該当部分を書き直します
老人が俺を見た。
俺は老人を見た。
「準備ができました」
老人は頷いた。
「では」
老人はシロを見た。
シロは扉を向いたまま、静かにいた。
「守護者よ。ゲートを開ける準備が整った。意志を確認させてくれ」
シロが振り返った。
金色の目が、老人を見た。
それから俺を見た。
それからルナを見た。
ルナが言った。
「わかった、って言ってる」
老人が静かに言った。
「では、ゲートを開けましょう」
誰も動かなかった。
言葉が、地下の空気に染み込んでいった。
ゲートを開ける。
三百年間、誰もできなかったことを、ここでやる。
それが、今夜決まった。
「……いつ開けますか」と俺は聞いた。
「準備が必要だ。場を整える時間をくれ」
「わかりました」
「翌日の夜にしよう」
「わかりました」
老人はもう一度、封印の扉を見た。
長い間、見た。
「三百年だ」
誰に言ったのかわからなかった。
でも、全員が聞いていた。
地上に戻る道は、静かだった。
誰も話さなかった。
シロだけが、いつも通りに歩いた。
第二層を抜けた。
第一層の泉が、光っていた。
ルナがその前で少しだけ立ち止まった。
アリシアが隣に来た。
「大丈夫ですか」
「うん」
「怖いですか」
ルナは少し考えてから、答えた。
「怖いけど、もっと大事なことがある気がする」
「どんなことですか」
「……ちゃんとやること」
アリシアは何も言わなかった。
ただ、頷いた。
二人は歩き始めた。
店に戻った。
ヴァルドがいつもの場所に立っていた。
全員が戻ってきたのを確認した。
一人ずつ、顔を見た。
何も言わなかった。
でも、ルナが通り過ぎる時だけ、少し体の向きを変えた。
ルナも気づいた。
立ち止まった。
「ヴァルドさん」
「なんだ」
「うまくできた」
ヴァルドはルナを見た。
「そうか」
「明日の夜、ゲートを開ける」
ヴァルドは少し間を置いた。
「俺はここにいる」
「わかった」
「何かあれば呼べ」
「わかった」
ルナは歩き始めた。
ヴァルドは定位置に戻った。
その背中は、いつもと同じだった。
でも、それがかえって重かった。
ノアが厨房から出てきた。
全員の顔を見た。
何も聞かなかった。
「飯を作る」
それだけ言って、また厨房に戻った。
包丁の音が始まった。
いつもより、丁寧な音だった。
老人がカウンターの端に座った。
「何を作っているんだ、あの料理人は」
「わかりません。ノアさんが決めます」
「……そういう人間なのか」
「そうです」
老人はカウンターに手を置いた。
「この店には、そういう人間が集まっているな」
「そうですね」
「聞かずに動く。それぞれの場所で」
俺はグラスを磨いた。
「来てくれた方が、作ってくれた店です」
老人は何も言わなかった。
しばらくして、また言った。
「三百年間、こういう場所を見たことがなかった」
「そうですね」
「……明日が終わったら、俺は眠る」
「そうですね」
「長い眠りになる」
「ゆっくり眠ってください」
老人は少し間を置いてから、低く笑った。
笑い声を聞いたのは、初めてだった。
食事が始まった。
ノアが並べた皿は、いつもより品数が多かった。
誰も「余り物ですか」と聞かなかった。
今日は聞かない空気だった。
全員が静かに食べた。
食事の途中で、ルナが言った。
「明日、うまくいくかな」
誰も答えなかった。
少しして、ノアが言った。
「わからん」
「怖いな」
「そうだろう」
「でも」
ルナはシロを見た。
「シロがいるから」
ノアはルナを見た。
それから自分の皿に視線を戻した。
「食え。腹が減っていたら、力が出ない」
ルナは少し笑って、また箸を動かした。
食事が終わった後、全員がそれぞれの場所に戻った。
ヴァルドは入口へ。
ノアは厨房へ。
アリシアは素材の部屋へ。
老人は奥の部屋へ。
ルナだけが、カウンターに残った。
「おにーさん」
「なんですか」
「明日、あたしが失敗したら」
「そうしたら、また一緒に考えます」
「やり直せる?」
「やり直せます」
ルナはシロを抱えたまま、少し間を置いた。
「……おにーさんは怖くないの?」
「怖いです」
「なんで平気そうなの」
「平気ではありません。ただ」
俺はグラスを棚に戻した。
「来てくださった方のために、一杯出し続けるだけです。それは明日も変わらない。だから、怖くても動けます」
ルナはしばらく俺を見た。
「……そっか」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
ルナが二階に上がった。
足音が消えた。
店が静かになった。
俺はカウンターを磨いた。
明日、ゲートが開く。
三百年間、誰もできなかったことが、この店から始まる。
扉は、今夜も開いている。
≪第36話・了≫
次話――翌日の夜、全員がダンジョンの第三層に集まった。シロが扉の前に立った。ルナがシロの隣に立った。老人が「始まる」と言った。封印の紋様が、静かに光り始めた。
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【あとがき】
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今話で一番書きたかったのは、アリシアの涙でした。
分析的で、感情を表に出さない彼女が、ルナの成長を見届けた瞬間に、一筋だけ。
そして「失礼しました」と言ってそらした顔。
ルナが「ありがとう」と言って隣に立った。
それだけで十分だと思っています。
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次話もよろしくお願いします。




