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裏路地の隠れ家『BAR ZERO』。下戸の元情報屋が提供する極上の一杯は、追放された者たちを救い、悪党を密かに破滅へ導く  作者: akaike


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第25話「決着」

 三日後の朝、ダリウスが来た。


 朝の開店前だった。


 珍しいことだった。


 扉を叩いた音で、俺は準備しながら気づいた。


 「開いていますか」


 「どうぞ」


 扉が開いた。


 ダリウスだった。


 黒いコートのまま、カウンターに向かってきた。


 「早い時間に申し訳ない」


 「構いません。何がありましたか」


 「文化財の申請が、今朝通った」


 俺は手を止めた。


 「今朝ですか」


 「審査が始まってから六日だ。通常の十分の一の速度だ」


 (SOMA)


 ――エドワード王子が三日前の夜、学術院の長と直接会談した。翌朝から審査が急速に進んだ。


 (王子が動いた)


 ――「お前は何もしていない。王子が自分で動いた」


 「そうですか」


 ダリウスがカウンターに一通の書状を置いた。


 「王国学術院から発行された、正式な文化財認定書だ。この遺跡への不当な介入は、王国法によって禁じられた」


 俺は書状を手に取って、読んだ。


 「ファルグ伯爵は」


 「昨日の時点で、法務省から警告が届いている。これ以上の動きをすれば、王国法に触れると明記されている」


 「完全に詰みですね」


 「そうだ。マリアも動いていた。土地の賃貸契約書と管理権の書類を、法的に整備してくれた。隙がない状態になっている」


 俺は書状をカウンターに置いた。


 「ありがとうございます」


 「礼はいい。今回動いたのは全員が自発的だ」


 ダリウスは椅子に座った。


 「一杯もらえるか」


 「もちろんです。朝なので、軽いものでいいですか」


 「任せる」


---


 朝の一杯を作った。


 ダリウスには軽くていい。


 今日は勝った日の朝だ。


 重いものは要らない。


 取り出したのは、泉の水と、少量の柑橘と、炭酸だ。


 シンプルだった。


 ダンジョンで発見した泉の水を、初めてダリウスのために使った。


 炭酸で割ると、澄んだ液体が泡立った。


 「どうぞ」


 ダリウスは一口飲んだ。


 「……これは」


 「ダンジョンの泉の水です。初めて使います」


 「……純粋だ。口の中が洗われる感じがする」


 「そうです」


 「勝利の朝に合う一杯だな」


 「そう思いました」


 ダリウスはゆっくりと飲んだ。


 「零」


 「なんですか」


 「今回の件で、一つだけ言っておきたいことがある」


 「どうぞ」


 「この店が続く限り、俺は動く。今回のような時にも、そうでない時にも」


 俺は手を止めた。


 「ありがとうございます」


 「礼はいい。この店が俺の『いる理由』の一つになっている。そういう場所を守るのは当然だ」


 ダリウスは残りを飲み干した。


 「次の審問は来週だ。二週間後になった」


 「ヴァルドさんの?」


 「ああ。第一回の結果を受けて、相手側の弁護士が準備に時間をかけている。長引きそうだとのことだ」


 「大丈夫ですか」


 「大丈夫だ。こちらの証拠は盤石だ。ただ、精神的に疲れているのは確かだ」


 「ヴァルドさんに伝言を頼めますか」


 「なんと」


 「『ガルドさんが毎週来てくれています』と」


 ダリウスが少し笑った。


 「……それは効く伝言だな」


---


 午前中、マリアが来た。


 書類を抱えていた。


 「終わった」


 開口一番だった。


 「法的な整備が全部完了した。土地の賃貸契約・管理権の委任書・ダンジョンの採掘と探索に関する権利協定の草案。全部揃えた」


 「ありがとうございます」


 「礼はいい。投資だ」


 マリアはカウンターに書類を積んだ。


 「ファルグ伯爵については、これを見ろ」


 一枚の書類を出した。


 「これは」


 「法務省からファルグ伯爵への警告書のコピーだ。これ以上BAR ZEROのダンジョンに関わることを禁じる旨が明記されている。違反すれば法的措置が取られる」


 「完璧ですね」


 「当然だ。こっちの陣営には、情報省、軍、学術院、王族の後ろ盾がある。ファルグ程度では太刀打ちできない」


 マリアは書類を片付けながら、言った。


 「冒険者ギルドとの協議書も作った。ダンジョンの探索はギルドが行うが、素材の採取と発見物の管理はBAR ZEROが行う。利益の分配比率も明記してある」


 「こちらに有利な条件ですか」


 「当然だ。管理者が主導権を持つのは当たり前だ」


 「ありがとうございます」


 「それと」


 マリアは少し間を置いた。


 「一つだけ聞いていいか」


 「どうぞ」


 「この店、本当に大きくするつもりはないのか」


 「ないです」


 「なぜだ。今回の件で、この店の影響力がどれだけあるかわかっただろう。情報省、軍、王族、学術院。全員が味方についた。これを活かさない手はない」


 俺はしばらく考えてから、答えた。


 「活かしています」


 「どう?」


 「今日、この遺跡が守られた。ハロルドさんの奥さんとの約束が守られた。それが活かし方です」


 マリアはしばらく俺を見た。


 「……お前は本当に変わっている」


 「よく言われます」


 「でも」


 マリアは小さく笑った。


 「それがお前の強さだ。わかった。これ以上は聞かない」


 「ありがとうございます」


 「今日は一杯もらえるか」


 「もちろんです」


---


 マリアへの一杯は、今日の気分に合わせた。


 勝った日の、商人の一杯だ。


 取り出したのは、三つ。


 「勝利果」——このあたりでは祭りの日に飲む慣習のある、明るい色の果物だ。


 炭酸水。


 少量のアガベを原料にした蒸留酒——パトロンに近い前世の酒だ。


 勝利果を絞ると、明るい橙色の果汁が出た。


 蒸留酒を少量加えて、炭酸水で満たした。


 グラスの中で、橙色の泡が立ち上がった。


 「どうぞ」


 「明るいな」


 「今日の色です」


 マリアは一口飲んだ。


 「……これは」


 「アガベという植物から作った蒸留酒が入っています。その植物は成熟するまでに十年かかります。そして、収穫できるのは一生に一度だけです」


 「一度だけ?」


 「その植物が使えるのは、枯れる時だけです。十年待って、一度だけ。それが一本の酒になります」


 マリアはグラスを見た。


 「……十年待って、一度だけ、か」


 「そういう酒が入っています」


 「今日の件に合っているな」


 「そう思いました。今日のこの決着は、積み重ねの結果です」


 マリアは残りを飲み干した。


 「……また来る」


 「お待ちしています」


---


 昼過ぎ、俺はハロルドに使いを出した。


 「今日、来ていただけますか。報告があります」


 一時間後、ハロルドが来た。


 杖をついて、ゆっくりと。


 カウンターに座った。


 俺は文化財認定書を、ハロルドの前に置いた。


 「これを」


 ハロルドが手に取った。


 読み始めた。


 最初の数行を読んで、手が止まった。


 「……これは」


 「あなたの建物の地下が、王国の文化財として認定されました。今後、どなたも不当に介入することはできません」


 ハロルドはしばらく書状を見ていた。


 「……家内の建物が、文化財に」


 「そうです」


 「売らずに待っていたのは、家内の言葉があったから。でもまさか、こういう形で役に立てるとは」


 俺は何も言わなかった。


 ハロルドの目から、涙が一粒、落ちた。


 老人は慌てて、袖で拭った。


 「……みっともないですね。年寄りが」


 「そんなことはありません」


 「家内に、報告できます」


 声が震えていた。


 「『あなたの言葉通りになりましたよ』と」


 俺はグラスを一つ用意した。


 ダンジョンの泉の水だ。


 「どうぞ」


 ハロルドが手に取った。


 一口飲んだ。


 「……これは」


 「あなたの建物の地下から湧いている泉の水です」


 ハロルドはグラスを両手で包んだ。


 「……家内の建物の地下から」


 「そうです。三百年以上前から、ずっと湧いていた水です」


 ハロルドはしばらく、グラスを見ていた。


 「……この水も、ずっと待っていたんですね」


 「そうかもしれません」


 「誰かが来るのを、ずっと」


 俺は何も言わなかった。


 グラスを磨く手だけが、静かに動いていた。


---


 夕方、ガルドが来た。


 十一回目だ。


 「調子はどうだ」


 俺が聞くと、ガルドは右手を開いて見せた。


 「震えは完全になくなった」


 「そうですか」


 「剣を持っても、以前の感覚が戻っている」


 「良かったです」


 「次で最後だな」


 「そうです」


 ガルドは少し間を置いた。


 「最後の一杯、何を出す」


 「楽しみにしていてください」


 「もったいぶるな」


 「来てからのお楽しみです」


 「……お前は本当に焦らすのが好きだな」


 俺は少し笑った。


 「準備は整っています。ガルドさんが来た時に、最高の状態でお出しします」


 ガルドは十一回目のカクテルを受け取った。


 今日は薬草がほぼ入っていない。


 ほとんど「締め」のためだけの処方だ。


 一口飲んで、ガルドが言った。


 「……ほぼ普通の酒だな」


 「そうです。体はもう完全に回復しています。今日は、三ヶ月間の旅の、最後から一駅目です」


 「最後の駅は来週だな」


 「はい」


 ガルドはグラスを飲み干した。


 「……来週、レンも連れてくる」


 「弟子さんをですか」


 「最後の一杯を、弟子にも見せてやりたい」


 「わかりました。お待ちしています」


 ガルドは立ち上がった。


 「今日は騒がしい日だったか」


 「決着がついた日です」


 「ダンジョンの件か」


 「そうです」


 「よかった」


 ガルドは短く言って、出ていった。


---


 夜になった。


 通常営業をした。


 何人かの客が来た。


 全員に丁寧に対応した。


 閉店間際、ルナが言った。


 「今日は静かだったね」


 「そうですね」


 「三日前と全然違う」


 「そうですね」


 「おにーさん、疲れてない?」


 「少し」


 「少し!?」


 「人並みに疲れることはあります」


 ルナはシロを抱えながら、俺を見た。


 「……珍しいこと言う」


 「三日間、慌ただしかったので」


 「休めばいいじゃん」


 「明日は静かにします」


 「じゃあ明日は、あたしがグラス磨く」


 「ありがとうございます」


 「礼はいい。ここが気に入っているから磨く」


 俺は手を止めた。


 「ノアさんみたいですね」


 「ノアさんに教わった」


 また、その言葉だった。


---


 閉店後、一人になった。


 (SOMA)


 ――今日の件、整理する。


 (頼む)


 ――文化財認定完了。ファルグ伯爵は法的に手が出せなくなった。冒険者ギルドとの協議書が完成。ダンジョンの管理権はBAR ZEROが正式に持つ。


 「一段落ですね」


 ――そうだ。ただし零、次のことを考えておいてくれ。


 (なんだ)


 ――ダンジョンの第二層には魔物がいる。探索が進めば、第三層への道が開ける。その先にゲートがある。


 「そうですね」


 ――今は封印中だ。でも、いつかシロが開ける日が来る。その時の準備を、少しずつ始めておいた方がいい。


 「わかりました。一緒に考えます」


 そこで、扉の郵便口から、一通の手紙が落ちてきた。


 拾い上げた。


 封筒に、住所も差出人も書いていなかった。


 中を開けた。


 一行だけ書いてあった。


 「申し込みたい。条件は全て受け入れる。詳細はそちらで決めてくれ」


 俺はSOMAに確認した。


 (これは)


 ――わかっている。差出人の特定はできているか?


 (できているか)


 ――できている。ただし、言う前に一つだけ聞かせてくれ。


 (なんだ)


 ――受け入れるか?


 俺はしばらく考えた。


 (SOMA、差出人を教えてくれ)


 SOMAが一拍置いた。


 ――教える前に言っておく。この人物がブラック会員として来る夜は、この店にとってまた大きな夜になる。


 (それは想定内です)


 ――そうか。では。


 SOMAが差出人を告げた。


 俺は少し間を置いた。


 「……受け入れます」


 ——わかった。返事を用意する。何と書く。


 俺は一枚の紙を取り出して、書いた。


 「お待ちしています。いつでもどうぞ」


 それだけだった。


---


≪第25話・了≫


次話――一週間後。ブラック会員の第一号が来た夜と、ガルドの治療の最終回が重なった。その日の昼間、俺はアイテムボックスから一本のボトルを取り出していた。ラベルに「山崎12年」と書いてあった。



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