第23話「欲しい者たち」
朝になった。
俺はカウンターの中で、グラスを磨いていた。
今日来る人間の順番を、頭の中で確認した。
(SOMA)
――午前中に冒険者ギルドの使者。昼過ぎに学術院。夕方に貴族。夜に武装した男たち。
(全員、昨日の時点でわかっていましたか)
――ダンジョン発見の情報が漏れた瞬間から、誰がどう動くか計算していた。
(順番まで)
――冒険者ギルドは朝に動く。学術院は段取りがいる。貴族は夕方を好む。敵意を持つ者は夜を選ぶ。
「それぞれへの答えは、昨夜のうちに準備しました」
――知っている。だから今朝、お前の顔が落ち着いている。
俺は炭酸水を一口飲んだ。
今日は長い日になる。
それでいい。
---
午前九時。
冒険者ギルドの使者が来た。
三十代の男だ。
ギルドの紋章が入った上着を着ていた。
「BAR ZEROの主人に話がある」
「いらっしゃいませ。一杯飲んでから、話を聞かせてください」
男が少し止まった。
「飲みに来たわけではない」
「わかっています。それでも、一杯どうぞ」
男は少し考えてから、椅子に座った。
ルナが水を持ってきた。
音を立てずに置いた。
男は水を一口飲んで、言った。
「……うまい水だ」
「ありがとうございます。昨日、この店の地下で見つかった泉の水です」
男が止まった。
「……地下の泉の水、か」
「そうです。今日の話とも関係しています」
---
冒険者ギルドの話は、明快だった。
「ダンジョンの探索権を、ギルドが持つべきだ。王国の法律では、ダンジョンの探索は認定を受けたギルドが行うことになっている」
「そうですね」
「ならば」
「ただし」と俺は言った。「法律を確認したいことがあります」
「何だ」
「ダンジョンの探索権と、ダンジョンの管理権は別の話です。探索する権利はギルドにある。でも、ダンジョンをどう扱うかを決める権利は、土地の所有者と管理者にあります」
男が少し眉を動かした。
「……それは」
「この建物の賃貸契約書には、地下の構造物も含めた管理権が明記されています。土地の所有者であるハロルド・ベック氏から、正式に同意を得ています」
(SOMA)
――ハロルドへの確認は昨夜、使いを出した。今朝、同意の書状が届いた。
俺はカウンターに一枚の書状を置いた。
男が読んだ。
「……これは」
「ハロルドさんの署名入りです。土地の地下構造物の管理を、BAR ZEROに委任するという書状です」
男はしばらく書状を見ていた。
「……探索はできるのか」
「できます。ただし、俺たちの管理下で行う探索であれば。ギルドの冒険者が入ること自体は歓迎します。ただし、素材の採取や発見物の扱いは協議が必要です」
「協議か」
「一方的に決めるつもりはありません。お互いが納得できる形を作りたいです」
男は少し間を置いてから、言った。
「……ギルドマスターに持ち帰る」
「ぜひ。次回は直接話し合いましょう」
男は水を飲み干して、立ち上がった。
「……この水、本当にうまい」
「またいつでも」
---
昼過ぎ、学術院の調査員が来た。
二人組だった。
五十代の老学者と、二十代の若い助手だ。
「古代語で書かれた遺跡があると聞いた。学術院として調査したい」
「一杯飲んでから、話を聞かせてください」
老学者が少し笑った。
「ここはいつもそうなのか」
「そうです」
「では、頂こう」
俺は二人のために、泉の水を炭酸で割ったものを作った。
シンプルだが、水の質が全てを決める一杯だ。
「……これは水か」と老学者が言った。
「炭酸で割りました。地下の泉の水です」
老学者は一口飲んで、目を細めた。
「……純度が高い。魔力を含んでいる。この水自体が研究対象になる」
「古代文明が作った泉です」
老学者が顔を上げた。
「古代文明というのは」
「三百年以上前の建造物です。壁に古代語が刻まれています。うちのスタッフが解読を進めています」
「スタッフが?」
「元・宮廷魔法師です。古代語を学んだことがあります」
老学者が助手を見た。
助手が頷いた。
「……その方と、共同研究という形は可能か」
「可能だと思います。ただし、遺跡の保護が前提です」
「もちろんだ。我々は破壊するために来るのではない」
「わかっています」
俺は少し間を置いてから、言った。
「一つ提案があります。王国学術院として、この遺跡を『文化財』として申請していただけますか」
老学者が止まった。
「文化財として申請するということは」
「王国が保護する対象になります。そうなれば、この遺跡への不当な介入が法的に禁止されます」
老学者は少し考えた。
「……申請には、調査報告書が必要だ」
「アリシアさんが協力します。一週間以内に報告書の草案を作れると思います」
老学者が助手を見た。
助手がまた頷いた。
「……話が早いな」
「準備していました」
老学者は笑った。
「そうか。では、正式に申請しよう。この水も研究対象として提出する」
「ありがとうございます」
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アリシアを呼んだ。
老学者と顔を合わせた瞬間、二人の目が同時に輝いた。
「古代語の解読は、どこまで進んでいますか」
「まだ一文だけです。でも続きが読める可能性があります」
「一緒に確認しましょう」
「ぜひ」
二人がすぐに話し込み始めた。
俺はカウンターに戻った。
ルナが小声で言った。
「アリシアさん、楽しそう」
「そうですね」
「仲間ができた感じだね」
「そうかもしれません」
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夕方、貴族が来た。
四十代の男だ。
見た目が良く、服が高い。
でも目が、バルスが来た時に似ていた。
計算している目だ。
(SOMA)
――ファルグ伯爵。北部の採掘業で財を成した貴族だ。ダンジョンという言葉に反応した。採掘利権を狙っている。
「一杯飲んでから、話を聞かせてください」
「すぐに話が聞きたい」
「それでも、一杯どうぞ」
俺は穏やかに言った。
ファルグ伯爵は少し不満そうな顔をしながら、座った。
俺は今夜の伯爵への一杯を考えた。
採掘の利権で財を成した男だ。
「力」の話しかしない人間の一杯には、力を使わなくていい味がいい。
取り出したのは、ジャックダニエルだ。
前の世界から持ち込んだ一本。
「これは」と伯爵が言った。
「前の世界から持ち込んだ酒です。テネシーウイスキーといいます」
「前の世界?」
「遠い場所の話です」
伯爵は一口飲んだ。
「……強い。でも、後味が妙に丸い」
「チャコールメローイングという製法です。木炭で一滴ずつ濾過するんです。雑味を全部取り除いた後に残る、純粋な強さです」
「……それは、どういう意味だ」
「力のある酒は、余分なものを削ぎ落とした後に残ります」
伯爵はグラスを見た。
俺は続けた。
「本題を聞かせてください」
---
伯爵の話は予想通りだった。
「ダンジョンの採掘権を買い取りたい。値段はいくらでも出す」
「お断りします」
「なぜだ。貴族の提案だぞ」
「身分に関係なく、この店では全員が一人の客です。それと同じで、この遺跡も、身分によって扱いが変わることはありません」
「では、条件を聞かせろ」
「条件はありません。売る気がないので」
伯爵の目が細くなった。
「……この遺跡がどれほどの価値を持つか、わかっているか」
「わかっています」
「ならばなぜ売らない」
俺はグラスを磨きながら、答えた。
「ダンジョンには、この店の仕事に必要なものがあります。水、素材、そして歴史。それを売ることは、この店の価値を売ることになります」
「商売の話をしているんだ」
「俺も商売の話をしています」
伯爵はしばらく俺を見た。
それから、マリアの名前を出した。
「ヴェロン商会のマリアは、この遺跡の件に関わっているか」
「会員の方の情報は、お答えできません」
「……そうか」
伯爵は立ち上がった。
「考えが変わったら連絡してくれ」
「変わることはないと思いますが、またいつでも飲みに来てください」
伯爵は何も言わずに出ていった。
(SOMA)
――ファルグ伯爵が出た直後、別の動きをしている。
(何だ)
――別の手を打とうとしている。今夜来る予定の人間に、連絡を入れた。
「予想通りですね」
――そうだ。
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ガルドが十回目の来店をしたのは、夕方と夜の間だった。
「今日は早いですね」と俺は言った。
「なんか、騒がしい日だと聞いた」とガルドが言った。
「どこで聞きましたか」
「レンが街で聞いてきた。BAR ZEROの地下にダンジョンがあると、王都中で話題になっている」
「そうですか」
「何かあるか」
「今夜、少し来てほしくない客が来ます」
ガルドが俺を見た。
「……入口に座るか」
「お願いできますか」
「ヴァルドの代わりは慣れた」
ガルドはカウンターの端に座った。
今夜は入口には行かず、カウンターの近くにいた。
「今日で十回目だ」とガルドが言った。
「そうですね。残り二回です」
「次の週と、その次の週で終わりか」
「そうです」
ガルドは十回目のカクテルを受け取った。
一口飲んで、言った。
「……ほとんど普通の酒みたいだな」
「薬草はごく少量です。最後の二回は『締め』の処方です」
「締め、か」
「三ヶ月間の旅の、最後の二駅です」
ガルドは低く笑った。
「……うまいことを言う」
「最後の一杯は特別なものを用意しています」
「楽しみにしている」
---
夜になった。
通常営業を始めた。
何人かの客が来た。
全員に対応した。
ガルドが静かにカウンターにいた。
その存在だけで、店の空気が安定していた。
午後十時を過ぎた頃。
扉が開いた。
入ってきたのは、三人の男だった。
全員、黒いコートを着ていた。
全員、腰に剣を帯びていた。
先頭の男が、カウンターを見た。
俺を見た。
「ここの主人か」
「BAR ZEROの水無月零です。いらっしゃいませ」
男がカウンターに近づいた。
「単刀直入に言う。ダンジョンの権利を渡せ。今夜中に書類に署名してもらう」
「一杯飲んでから、話を聞かせてください」
男が少し止まった。
「飲む気分じゃない」
「それでも、どうぞ」
男は俺を見た。
俺は微笑みを崩さなかった。
(SOMA)
――三人とも、元傭兵だ。ファルグ伯爵が今日の夕方に雇った。目的は「署名を取ること」。暴力は最終手段として用意している。
「そうですか」
男が眉を動かした。
「……何だ」
「独り言です。一杯、どうぞ」
ガルドが、カウンターの端でグラスを置いた。
音が、静かに響いた。
三人の男が、ガルドを見た。
ガルドは俺を見ていた。
目が言っていた。
(必要なら、いつでも)
俺は小さく首を振った。
(まだです)
---
男がカウンターの前に立ったまま、言った。
「署名しなければ、どうなるか、わかっているか」
「わかりません」
「この店が、困ったことになるかもしれない」
「脅しですか」
「現実的な提案だ」
俺はグラスを一つ、カウンターに置いた。
「一つだけ教えていただけますか」
「なんだ」
「その書類は、どなたが作成したものですか」
男が少し止まった。
「……それは」
「ファルグ伯爵の名義ですか」
男の目が、わずかに揺れた。
「……どうして」
「情報が入ってくるんです。勝手に」
俺はカウンターに、一枚の書状を置いた。
「この書状を読んでください」
男が手に取った。
読み始めた瞬間、顔色が変わった。
「……これは、王国情報省の」
「ダリウス・クレイン中佐の名前で出された書状です。この遺跡に関するいかなる強制的な権利主張を、王国情報省が監視していると書かれています」
男は書状を見た。
「……いつ出たんだ、これ」
「昨日の夜です」
男は隣の二人を見た。
「さらに」と俺は続けた。
「今朝、王国学術院がこの遺跡を文化財として申請する手続きを始めました。文化財への不当な介入は、王国法で禁じられています」
男が書状を置いた。
「……全部、準備していたのか」
「昨日の夜のうちに」
「なぜそんなことが」
「情報が入ってくるんです。勝手に」
三人の男が顔を見合わせた。
ガルドが静かに立ち上がった。
腕を組んで、三人の方を向いた。
何も言わなかった。
ただ、立った。
「双剣の剣聖」がそこにいるという事実だけが、空気を変えた。
三人の男が、少しずつ後退した。
「……今夜のところは、帰る」
「ありがとうございます」と俺は言った。
「次に来る時は、飲みに来てください。お待ちしています」
三人が扉から出た。
扉が閉まった。
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ガルドがカウンターに戻った。
「終わったか」
「今夜は。ただし」
「また来るか」
「今夜の件が失敗に終わったことがファルグ伯爵に伝わります。明日以降、別の手を打ってきます」
「手が読めているのか」
「いくつか想定しています」
ガルドはグラスの残りを飲み干した。
「……ヴァルドが戻ってきたら、この件は片付くのか」
「審問が終わって戻ってくれれば、心強いです」
「あいつの審問は、うまくいっているか」
「ダリウスさんが立ち会っています。問題ないと思います」
ガルドは立ち上がった。
「来週も来る」
「お待ちしています」
「次が最後から二回目だな」
「そうです」
「楽しみにしている」
ガルドは出ていった。
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閉店後、ルナが言った。
「今日、いっぱい人が来たね」
「そうですね」
「全員に『一杯飲んでから』って言ってたね」
「そうですね」
「なんでそうするの」
俺は少し考えてから、答えた。
「どんな用件で来た人でも、カウンターに座って一杯飲んでもらうと、少し空気が変わるからです」
「どう変わるの」
「飲み物を受け取った瞬間、人間は少しだけ武装を解きます。そこから話した方が、いい結果になることが多い」
ルナは少し考えた。
「……最後の三人は、武装解かなかったけど」
「解かなかったですね」
「でもおにーさん、怖くなさそうだった」
「怖かったですよ」
「嘘だ」
「本当です。ただ」
俺はグラスを磨きながら、続けた。
「準備してある時は、怖さが小さくなります」
「準備って何を」
「どう動くかを、先に全部考えておくことです。そうすると、起きていることに驚かなくて済む」
ルナはしばらく考えた。
「……それって、全部のことに使えるの?」
「使えます」
「魔法の練習でも?」
「使えます。次に何をするか、先に決めてから練習すると早くなります」
ルナは頷いた。
「……じゃあ明日から、そうする」
「いいですね」
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(SOMA)
――今夜の三人が戻った。ファルグ伯爵に報告している。
(どう動くと思う)
――三つの選択肢がある。一つ、直接交渉に切り替える。二つ、法的な手段を探す。三つ、別の人間を動かして間接的に圧力をかける。
(どれを選ぶと思いますか)
――三つ全部だ。
俺は小さく息を吐いた。
(準備は)
――できている。
「ありがとうございます」
――それと零。
(なんだ)
――ヴァルドから連絡が入った。
俺は手を止めた。
(審問の状況は)
――第一回が終わった。想定通りだとのことだ。次は二週間後だ。
「怪我はないですか」
――怪我をする審問ではない。ただ、精神的に疲弊している。ダリウスが隣にいると伝えてくれた。
「そうですか」
俺はカウンターに手をついた。
ヴァルドが、遠くで戦っている。
「次の週も、ガルドさんがいてくれます。その次の週もお願いしてみます」
――そうしろ。
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深夜、ノアが厨房から出てきた。
「明日、弟子が来る」
「蒼天亭を継ぐ子ですか」
「そうだ。一度、このキッチンを見せたいと言っていた」
「歓迎します」
「それと」
ノアは少し間を置いた。
「今日の騒ぎは、これで終わりか」
「終わりではないです。ただ、今夜はここまでです」
「明日も来るか、厄介な連中が」
「来ると思います」
ノアは腕を組んだ。
「……俺は厨房にいる。何かあったら呼べ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。ここの厨房が気に入っているから守る。それだけだ」
ノアは厨房に戻った。
包丁の音が始まった。
深夜の、静かな音だった。
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≪第23話・了≫
次話――翌朝。ファルグ伯爵が直接来た。その背後に、七名の護衛がいた。同じ朝、別の路地では、ダリウスの部下が動き始めていた。同じ朝、将軍リーナから手紙が届いた。「力が必要なら言ってくれ」。そして同じ朝、ガルドから一言だけ伝言が来た。「今日も行く」




