第22話「始まりの守護者」
翌朝、全員でその扉の前に立った。
職人が開けてくれた穴の先に、重い石の扉があった。
ノアが腕を組んで見た。
「……これは、いつ作られたものだ」
「三百年以上前です」と俺は言った。
「三百年前に、この地下に誰かがいたのか」
「そうなります」
ルナがシロを抱えていた。
シロは、その扉を見ていた。
ずっと見ていた。
動かなかった。
「シロ」とルナが言った。「知ってる?ここ」
シロは答えなかった。
でも、ルナの腕の中で、少しだけ体が緊張した。
(SOMA)
――今のシロの状態を伝えておく。
(なんだ)
――怖がってはいない。でも、久しぶりに会う場所に立っている人間の顔をしている。
俺はシロを見た。
二十年間、一人でいた場所だ。
その扉の前に、今立っている。
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扉を開けた。
石がこすれる音がした。
中は暗かった。
俺はアイテムボックスから懐中電灯を取り出した。
「それは何ですか」とアリシアが言った。
「前の世界の道具です。光を作ります」
スイッチを入れた。
白い光が、暗い通路を照らした。
アリシアが目を細めた。
「……魔法の光ではない。でも強い」
「電気の力です。説明すると長いので後で」
「必ず説明してください」
「約束します」
俺は光を向けた。
石造りの通路が続いていた。
天井は低くなく、大人が普通に歩ける高さだ。
床は平らで、長い年月を経ているのに崩れていない。
丁寧な仕事だと思った。
三百年前に、誰かが丁寧に作った場所だ。
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ルナが言った。
「シロ、行く?」
シロがルナの腕の中で動いた。
ルナの腕を伝って、床に降りた。
それから、通路に向かって歩き始めた。
「……シロが行く気だ」とルナが言った。
「ついて行きましょう」
全員でシロの後に続いた。
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通路は長かった。
曲がりながら、緩やかに下に向かっていた。
壁に文字が刻まれていた。
アリシアが立ち止まった。
「……待ってください」
懐中電灯を壁に向けた。
細かい文字が、石に刻まれていた。
風化しているが、読める。
アリシアが文字に手を近づけた。
「……古代語です。魔法省の資料で少しだけ学んだことがあります。完全には読めないですが」
「読めるものだけで構いません」
アリシアは壁に沿って、ゆっくりと歩いた。
時々立ち止まって、読んだ。
しばらくして、足が止まった。
「……一つだけ、はっきり読める文があります」
「なんと書いてありますか」
アリシアは少し間を置いた。
「『始まりの守護者が眠る場所まで』」
全員が止まった。
シロが振り返った。
金色の目が、アリシアを見た。
それからまた前を向いて、歩き始めた。
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通路の先に、広い空間が現れた。
第一層の中心部だ。
天井が高くなった。
壁に沿って、何かが置いてある。
石でできた台座が、いくつも並んでいた。
台座の上には、何も乗っていなかった。
でも、形から見て、何かが長い間そこに置かれていたことがわかった。
(SOMA)
――台座に乗っていたものの痕跡がある。三百年前まで、ここには何かが保管されていた。
(何だ)
――今は特定できない。ただ、「力を持つもの」だったことは確かだ。
空間の奥に、泉があった。
光を向けると、透明な水が静かに湧いていた。
音もなく、静かに。
「……綺麗だ」とルナが言った。
アリシアが泉に近づいた。
魔力を感知するように、手を近づけた。
「……この水、魔力を含んでいます。しかも非常に純粋な魔力です」
「飲めますか」
「飲めます。むしろ、体にいい可能性があります」
俺は泉の水を少量、容器に取った。
(SOMA)
――その水はカクテルに使える。この世界で最も純粋な水の一つだ。
(知ってましたね)
――ずっと知っていた。
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シロが泉の前で止まった。
水面を見た。
長い間、見ていた。
ルナがシロの隣にしゃがんだ。
「……ここにいたの?二十年間」
シロは答えなかった。
でも、耳が少し下を向いた。
ルナはシロの背中に手を置いた。
「一人で、ここで」
シロが、ルナの手に頭を寄せた。
触れるか触れないかの距離で。
ルナは何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
アリシアも、ノアも。
ただ、その場にいた。
(SOMA)
――シロの感情を伝えてもいいか。
(言ってくれ)
――「寂しかった」という感情がある。二十年間、ずっと。でも今は違う。
俺は少し間を置いた。
(何が違う)
――「一人じゃない」という感情がある。
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しばらくして、アリシアが立ち上がった。
「もう少し奥を見てもいいですか」
「一緒に行きます」
第一層の奥には、さらに下への階段があった。
「第二層です」と俺は言った。「今日は入りません」
「なぜですか」
「準備が必要です。第二層には魔物がいます」
「魔物?」
「SOMAが感知しています」
アリシアは階段の入口を見た。
暗くて、何も見えない。
でも、確かに何かがいる気配があった。
「……今日は戻りましょう」
「そうします」
さらに奥に、もう一つの扉があった。
分厚い石の扉だ。
封印のような紋様が刻まれていた。
「第三層への扉です」と俺は言った。
「今は開きますか」
「開きません」
「なぜですか」
「時期が来ていないからです」
アリシアは扉に近づいた。
手で紋様をなぞった。
「……この紋様、見たことがあります。魔法省の禁書庫の本に似たものが」
「なんと書いてありましたか」
「世界の均衡を保つための封印、という説明だったと思います」
俺は扉を見た。
(SOMA)
――そうだ。この扉の向こうに、二つの世界を繋ぐゲートがある。
俺は少し間を置いた。
(それを言うつもりだったのですか)
――ここまで来たから、言う。
「わかりました」
「何かわかりましたか」とアリシアが聞いた。
「後で話します。今日のところは戻りましょう」
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地上に戻ってから、シロが一度だけ振り返った。
地下への扉を見た。
金色の目が、細くなった。
「シロ、また来る?」とルナが言った。
シロは耳を一度動かした。
「……うん、来るよね」とルナが言った。「でも今は上にいよう」
シロがルナに鼻先を近づけた。
ルナがシロを抱き上げた。
「…………二十年間、ありがとう」とルナが言った。
俺はその言葉を聞いて、手を止めた。
「何に対してですか」とアリシアが聞いた。
「守ってくれてたんでしょ。ずっと。一人で」
「……そうですね」
「だから」とルナは言った。「ありがとうって言いたかった」
シロは答えなかった。
でも、ルナの腕の中で、丸くなった。
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午後、俺はSOMAに確認した。
(全部、教えてくれますか)
――何から話す。
(シロの種族から)
SOMAが静かに話し始めた。
――シロの種族は「境界の守護者」と呼ばれていた。世界と世界の境界が乱れないように、ゲートを守り続けてきた種族だ。
「複数の世界があるということですか」
――そうだ。この世界と、お前がいた世界。少なくとも二つ。そして、この二つの世界の境界がここにある。
「ダンジョンの第三層に」
――そうだ。三百年前の文明が、その境界を発見してダンジョンを建設した。シロの種族が守護者として選ばれた。
「なぜその文明は滅びたんですか」
SOMAが一拍置いた。
――境界を守ることの意味を、理解しなかったからだ。
「どういう意味ですか」
――ゲートは「渡れる」。その文明の人間が、向こう側の世界に大量に渡ろうとした。境界が乱れた。世界のバランスが崩れた。その結果、文明が終わった。
俺はしばらく考えた。
「シロは、それを止められなかったんですか」
――当時のシロは小さかった。まだ力が育っていなかった。文明が滅びた後、一人でここに残って守り続けた。誰も来なくなっても。二十年前にハロルドがここを買うまでの間も。
「……ずっと、一人で」
――そうだ。だからシロはルナが来た時、初めて「仲間」を得た。
俺は静かに息を吐いた。
(SOMAはいつからシロの事情を知っていたんですか)
――零がBAR ZEROを開けた初日から。
「初日から」
――この場所を選んだ時、SOMAはすでに地下を感知していた。ただ、お前が自分で気づくことが必要だと思った。説明される前に、まず共に時間を過ごす必要があった。シロとお前たちが。
俺は少し間を置いた。
「それが理由ですか」
――そうだ。シロにとって、理解してくれる仲間ができることが先だった。情報は後でいい。
「……ありがとうございます」
SOMAは何も言わなかった。
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夕方、アリシアが俺に来た。
「午前中の話を聞いていいですか」
「どこまで話しましたか」
「第三層の扉のところで、零さんが『わかりました』と言った。あの時、何がわかったんですか」
俺は少し考えてから、答えた。
「第三層の扉の向こうに、二つの世界を繋ぐゲートがあります」
アリシアが止まった。
「……二つの世界?」
「俺がいた前の世界と、この世界です」
「それが繋がっている?」
「ダンジョンの一番奥で」
アリシアはしばらく何も言わなかった。
「……そのゲートは、今は使えないんですか」
「封印されています。でも」
俺は少し間を置いた。
「シロが許可すれば、開けられる可能性があります」
アリシアの目が大きくなった。
「……前の世界に行けるということですか」
「いつかは」
「『前の世界から持ち込んだ酒』というのは」
「アイテムボックスにあったものです。でもゲートが使えるようになれば、補充できます」
アリシアは少し間を置いてから、言った。
「……行けますか。前の世界に」
「行けます。ただし準備が必要です」
「私も、行けますか」
「シロが許可すれば」
アリシアは少し考えてから、また言った。
「……前の世界には、物理と化学の本がたくさんあるんですよね」
「山ほどあります」
「……行きたいです」
「いつか一緒に行きましょう」
アリシアは頷いた。
それから、まだ考えている顔で素材の部屋に戻った。
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夜になった。
店を開けた。
今夜も客が来た。
いつも通りの夜だった。
でも、地下への扉は今も閉まっていて、三百年前の文字が刻まれた壁が、俺たちの足元で眠っている。
ノアが厨房から顔を出した。
「今夜の客にダンジョンの水を使ってみていいか」
「試しますか」
「あの水の純度は高い。カクテルに使えるかどうか確かめたい」
「どう使うつもりですか」
「まず水だけで出す。客の反応を見る」
「いいですね」
ノアは頷いて、厨房に戻った。
少しして、シンプルな小さなグラスが出てきた。
透明な水が入っていた。
その夜の三人目の客、中年の商人に出した。
「今夜は一杯、無料で出させてください。テストです」
「テスト?」
「新しい水を試しています」
商人は水を一口飲んだ。
止まった。
「……なんだこれは」
「水です」
「水なのに、なんか、すっきりする。体の中が洗われるみたいだ」
「泉の水です」
「泉?どこの?」
「この店の地下から湧いています」
商人は、グラスを見た。
「……この店の地下に、泉があるのか」
「今日、見つかりました」
「……この店はつくづく面白いな」
(SOMA)
――今夜この話が広まる。明日には「BAR ZEROの地下に泉がある」という噂が三十人に届く。
「それは早い」
――この街の噂の速度はそういうものだ。
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深夜、シロがカウンターの端に座っていた。
ルナが寝た後も、シロは起きていた。
俺の近くで、地下の方向を向いて座っていた。
「まだ心配ですか」と俺は言った。
シロは答えなかった。
「ここにいていいです。俺もここにいます」
シロが俺を見た。
金色の目だった。
それから、俺の膝に乗ってきた。
丸くなった。
目を閉じた。
俺は片手でシロの背中に触れた。
温かかった。
(SOMA)
――シロが安心している。
「そうですか」
――お前がいるから。
「そうだといいですね」
――確かだ。シロは「一人でない場所」を見つけた。
俺はしばらく何も言わなかった。
グラスを磨く手だけが、静かに動いていた。
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(SOMA)
――零。一つだけ。
(なんだ)
――今夜、ダンジョン発見の情報が一部の人間に届いた。
「もう届いたのか」
――泉の水の話が広まる前に、「BAR ZEROの地下に古代の遺跡がある」という情報が別ルートで漏れた。
(どこから漏れた)
――工事の職人の一人が話した。悪意はない。ただ、驚いて話してしまった。
(誰に届いた)
――今夜の時点で、四つの勢力に届いている。
「四つ」
――冒険者ギルド。王国の学術院。とある貴族。そして。
SOMAが一拍置いた。
――一つは、敵意を持っている。
俺はシロを床においてカウンターを磨いた。
始まったか、と思った。
でも今夜は、まずここにいることが大事だ。
シロが眠っている。
それで十分だった。
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≪第22話・了≫
次話――翌朝、冒険者ギルドの使者が来た。午後には学術院が来た。夜には貴族が来た。全員に同じことを言った。「一杯飲んでから、話を聞かせてください」。そして最後に来たのは、使者でも学者でも貴族でもなかった。武装した男たちだった。




