第20話「五人と一匹の夜」
翌週の夜、ガルドが来た。
八回目だ。
扉を開けた時、隣に若い男がいた。
二十代前半。背は高いが、ガルドよりずっと細い。
短く切りそろえた茶色の髪に、真剣な目をしている。
剣士の目だ。でも、ガルドの目とは違う。
まだ「迷っている」目だ。
「いらっしゃいませ」
「弟子だ」とガルドが言った。
「俺が教えている剣士の卵だ。お前のところに連れてきたかった」
青年がカウンターに視線を向けた。
「剣聖の師匠が通う店とは、どんなところかと思っていました」
「座ってみればわかります」
俺は椅子を二つ引いた。
ガルドとその弟子が、並んで座った。
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(SOMA)
――鑑定完了。名前はレン・ハルト。二十一歳。ガルドに師事して三年。剣の技術は着実に伸びているが、本人は「師匠には到底及ばない」という焦りを抱えている。最近、稽古の成果が出ているにもかかわらず、師匠への比較で自信を失いかけている。
俺はガルドを見た。
ガルドは弟子を横目で見ながら、何も言わなかった。
この男はわかっている。だから連れてきた。
「レンさん、何を飲みますか」
青年が少し驚いた顔をした。
「名前を知っているんですか」
「情報が入ってくるんです。勝手に」
「……変わった店ですね」
「よく言われます」
ガルドが低く笑った。
「驚くな。ここはそういう店だ」
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ガルドのカクテルを先に作った。
八回目だ。
森脈草の量をまた少し減らした。
回復が進むほど、薬草の量を減らしていく。
今週から、体の回復を「維持」する段階に入っていい。
「ガルドさん、今週のものです」
「また変えたか」
「毎週変えます。体の状態に合わせて」
ガルドは一口飲んだ。
「……先週より、すっきりしている」
「薬草を少し減らしました。回復が安定してきたので」
「あと何週だ」
「四週です」
ガルドは短く頷いた。
「……楽しみにしている」
「最後の週は、少し特別な一杯を用意します」
「何を出す」
「来てからのお楽しみです」
ガルドは低く笑った。
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次に、レンのグラスを選んだ。
迷っている若者の一杯だ。
複雑なものは要らない。
方向を示す一杯にしたい。
取り出したのは三つ。
「蒼天果」——セルジオから手に入れたベルタニアの貴重な果物に似た素材ではなく、今回はノアがストックしていた北部産のものを一つ借りた。
待って、と思い直した。
蒼天果はノアのものだ。
ここは別の素材にする。
代わりに取り出したのは「白暁果」——夜明け前に収穫される果物で、まだ完全に熟していない青さを持つが、その青さの中に真っ直ぐな香りがある。
「新芽果」——まだ熟していない果物。始まりの一杯に使った素材だ。
炭酸水。
白暁果を絞った。
透明に近い果汁がグラスに落ちる。
新芽果のエキスを少量加えた。
炭酸水で満たした。
細かい泡が、青みがかった液体の中を昇っていく。
まだ熟していない果物を二つ合わせた一杯だ。
でも、その青さは欠点じゃない。
「どうぞ」
「名前は」とレンが聞いた。
「『まだ途中の一杯』にしようと思います」
レンが少し止まった。
「……途中?」
「あなたが今いる場所にちなんで」
レンは一口飲んだ。
「……青い。でも」
「でも?」
「……悪くない香りがする」
「熟していないから、香りが一番強い時期です。これからどんどん変わっていく。今しかない香りです」
レンはグラスをもう一口飲んで、少し考えた。
「……師匠は」
レンがガルドを見た。
「俺はいつ、師匠みたいになれますか」
ガルドは答えなかった。
俺が代わりに言った。
「なれません」
レンが俺を見た。
「……え?」
「ガルドさんにはなれません。あなたはあなたにしかなれない」
「それは」
「ガルドさんも、かつての師匠にはなれなかったはずです。でも、今のガルドさんになった」
レンはガルドを見た。
ガルドは短く頷いた。
「……そうだ」
「師匠の背中を見て、師匠を超えるのではなく、師匠が行けなかった場所に行く。それが弟子の仕事だ」
レンはしばらく、グラスを見ていた。
「……なんか、この店、思ってたのと違います」
「どう違いましたか」
「もっとただの飲み屋だと思ってた。師匠が通うから、おいしい酒があるんだろうと」
「それだけじゃない、ということですか」
「……うん」
ガルドが低く笑った。
「だから連れてきた」
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レンとガルドが帰ったのは一時間後だった。
レンは帰り際、俺に言った。
「また来ていいですか」
「いつでも」
「師匠みたいに、通います」
「お待ちしています」
ガルドが扉の前で振り返った。
「今夜の礼を言う」
「弟子を連れてきてくれたことへのお礼は俺の方です」
「なぜだ」
「あなたが連れてくる人間は、みんな信頼できる人間です。今夜もそうでした」
ガルドは少し間を置いてから、短く頷いた。
「次の週も来る」
「お待ちしています」
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その夜の残り時間で、三人の客が来た。
全員に丁寧に対応した。
閉店の時間になった。
ルナが「今夜のご飯は?」と言った。
ノアが厨房から「余り物がある」と言った。
ヴァルドが「今夜は全員残れるか」と言った。
アリシアが素材の部屋から顔を出して「私も?」と言った。
「全員です」と俺は言った。
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テーブルを囲んだ。
ノアが四皿持ってきた。
「余り物だ」と言いながら、明らかに作りすぎていた。
「毎回作りすぎていますね」とアリシアが言った。
「余り物だと言っている」とノアが言った。
「四皿は余り物ではないです」
「……黙って食え」
ルナがすでに箸を動かしていた。
「美味しい」
「当たり前だ」
シロが椅子の間をゆっくりと歩いていた。
一人ずつの足元を確かめるように。
ヴァルドの足元で少し止まった。
ヴァルドが右手を下に差し出した。
シロが鼻先を近づけた。
それから、また歩き始めた。
「シロ、今日は誰のところに行く気だ」とノアが言った。
「気まぐれな生き物だ」とヴァルドが言った。
シロは全員の足元を一周してから、俺の椅子の隣で止まった。
金色の目で、俺を見上げた。
俺は炭酸水のグラスをテーブルに置いた。
シロは、俺の膝に、静かに飛び乗った。
全員が止まった。
「……初めてですね」とアリシアが言った。
「そうですね」
「零さんの膝に乗るのは」
「初めてです」
ルナが少し目を丸くした。
「シロ、おにーさんの膝に乗ったの初めてだよ」
シロは俺の膝の上で、丸くなった。
目を細めた。
俺は片手でシロの頭に触れた。
温かかった。
「……なんで今日なんだろう」とルナが言った。
「わかりません」と俺は言った。
「シロにしかわからないね」
「そうですね」
「でも、なんかいいな」
「そうですね」
ノアが低く言った。
「……食え。冷める」
全員が笑った。
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食事が半分ほど進んだ頃、ヴァルドが言った。
「一つ、報告がある」
全員がヴァルドを見た。
「来月、冤罪の審問がある。第一回だ」
静寂があった。
「どのくらいかかりますか」とアリシアが聞いた。
「三回の審問で結論が出る予定だ。約三ヶ月かかる」
「勝てますか」と俺は聞いた。
「証拠は全部揃っている。ダリウスが情報省として支援してくれている。勝てると思っている」
「なら、安心です」
「ただし」
ヴァルドは続けた。
「審問中は、外出が制限される時期がある。この店を空けることになるかもしれない」
「わかりました。その期間の護衛は、別の方法を考えます」
「申し訳ない」
「謝ることではないです。あなたが証明される日を、みんなで待ちます」
ルナが言った。
「ヴァルドさん、絶対勝つよ」
「……そう思うか」
「うん。正しいことしてたんだから、絶対に」
ヴァルドは少し間を置いてから、短く言った。
「……そうだな」
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デザートの時間に、ノアが言った。
「一つ、決めたことがある」
全員がノアを見た。
ノアは珍しく、少し間を置いた。
「蒼天亭のことだ」
「蒼天亭が戻ってくるのは、もうすぐだよね」とルナが言った。
「ああ。クレスタ侯爵家が動いてくれている。来月には正式に手続きが終わる見込みだ」
「じゃあノアさんが戻って経営する?」
「しない」
全員が少し止まった。
「……そうなんですか」とアリシアが言った。
「ここを辞めるつもりはない」
ノアは皿を見ながら、続けた。
「蒼天亭には、弟子を入れる。俺が直接教えて、任せる。俺は週に一度、様子を見に行く。それだけだ」
「弟子はいるんですか」と俺は聞いた。
「一人、目をつけている。王都の食堂で働いている若い料理人だ。素材の扱い方が丁寧で、誠実な仕事をする」
「会いましたか」
「まだだ。声をかけるのは、蒼天亭の手続きが終わってからにする」
俺は少し考えてから、言った。
「それは良かった」
「何がだ」
「ノアさんがここにいてくれるということです」
ノアは少し間を置いてから、また皿に視線を戻した。
「……当たり前だ。ここの厨房が気に入っているから、残る。それだけだ」
ルナが小さく笑った。
「素直じゃないね」
「黙れ」
アリシアも小さく笑った。
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デザートが終わった頃、アリシアが言った。
「私からも一つ」
「どうぞ」と俺は言った。
「ルナさんの魔法訓練を、正式に始めたいと思っています」
ルナが顔を上げた。
「今すぐ?」
「今日からではないです。来週から、一日三十分だけ。基礎から始めます」
「……教えてくれるの?」
「はい。あなたには魔力がある。それを使いこなせるようになれば、この店でできることが増えます」
ルナはシロを見た。
「シロみたいに、人の感情がわかるようになる?」
「そこまでできるかはわかりません。でも、感知の精度は上がると思います」
「……やる」
即答だった。
「準備はできていますか」
「ずっとやりたかった」
アリシアは少し微笑んだ。
「では来週から」
「待てないかな」
「今夜は食事の時間です」
「……わかった。来週から」
ノアが低く言った。
「落ち着け」
「だって楽しみで」
「食え。まだデザートが残っている」
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食事が終わった後、みんながゆっくりとした時間を過ごした。
ルナはシロを抱え直して、二人でカウンターに座っていた。
ノアは珍しく、厨房に戻らずにカウンターに肘をついていた。
ヴァルドは入口に戻ったが、いつもより肩の力が抜けていた。
アリシアは素材のノートを広げていたが、実際には読んでいなかった。
俺は炭酸水のグラスを両手で持ちながら、全員を見た。
(SOMA)
――静かだな。
(そうですね)
――こういう夜が続くといい。
(同意します)
――ただし零、一つだけ。
(なんだ)
――来月、ヴァルドの審問が始まる。その直前の週に、エドワード王子が来る可能性が高い。将軍から連絡が入った。
(わかりました)
――それだけだ。今夜は、それだけ言えばいい。
「そうですね」
シロが俺の膝の上で、寝息を立てていた。
小さな体が、静かに上下していた。
ルナが気づいて、俺を見た。
「シロ、寝てる?」
「寝ています」
「おにーさんの膝が気に入ったんだね」
「そうかもしれません」
「なんで今日だったんだろうね」
俺は少し考えてから、答えた。
「今夜、みんながいたから、かもしれません」
ルナがシロを見た。
「……シロ、ここが一番好きなんだね」
「そうだといいですね」
「絶対そうだよ」
ルナは自分の手を見た。
「……あたし、来週から魔法の練習が始まる」
「そうですね」
「シロみたいに、人の気持ちがもっとわかるようになったら、もっと役に立てる?」
「今も十分役に立っています」
「でも、もっとなりたい」
「それはいいことです」
ルナは少し間を置いてから、また言った。
「ねえ、おにーさん」
「なんですか」
「この店に来てから、あたし、初めて好きなことができてる気がする」
俺は手を止めた。
「水を音なく置くこととか、お客さんの顔を全部覚えることとか。こういうことが、あたしには向いてるって、初めてわかった」
「そうですね」
「スラムにいた時は、こういうことを考えたことなかった。毎日、生きることだけで精一杯だったから」
「それは、大変だったと思います」
「うん。でも」
ルナはシロを見て、また俺を見た。
「来てよかった」
それだけだった。
三つの言葉で全部が入っていた。
俺はグラスを磨きながら、答えた。
「来てくれてよかったです」
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ルナが二階に上がったのは、少し遅い時間だった。
シロも一緒に上がった。
ノアが立ち上がった。
「明日も早い」
「お疲れ様でした」
「今夜の飯、良かったか」
「最高でした」
ノアは少し間を置いてから、また言った。
「……弟子の話、少し不安がある」
「そうですか」
「ちゃんと育てられるか」
「ガルドさんが今日、弟子を連れてきた理由を思い出してみてください」
ノアが俺を見た。
「師匠が弟子を連れてきた。それだけの話です。あなたも同じようにすればいい」
ノアは少し考えてから、頷いた。
「……そうだな」
「弟子を育てることと、料理を作ることは、根っこは同じだと思います」
「どういう意味だ」
「素材を丁寧に扱って、時間をかけて、最高の状態に仕上げる。どちらも同じです」
ノアはしばらく俺を見てから、低く笑った。
「……うまいことを言う」
「バーテンダーですから」
「その言い訳はもう聞き飽きた」
ノアは厨房に戻りながら、一度だけ振り返った。
「……今夜も悪くなかった」
「そうですね」
「いつもより悪くなかった」
「それは良かったです」
ノアは厨房に消えた。
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ヴァルドが入口に戻る前に、俺に言った。
「シロが膝に乗った時、お前の顔が変わった」
「そうですか」
「普段と違う顔だった」
「どんな顔でしたか」
ヴァルドは少し考えてから、答えた。
「……緩んだ顔だ」
俺は少し間を置いた。
「それは、失態でしたね」
「いや」
ヴァルドは短く言った。
「悪くなかった」
定位置に戻っていった。
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アリシアが素材の部屋に向かいながら、振り返った。
「零さん」
「はい」
「今夜、みんなが話してくれた。ヴァルドさんも、ノアさんも、ルナさんも」
「そうですね」
「……この店に来て良かったと、私も思っています」
「ありがとうございます」
「最初の夜、扉を叩いた時、まさかこうなるとは思っていませんでした」
「どうなると思っていましたか」
アリシアは少し考えた。
「……一杯飲んで、終わりだと思っていました」
「そうでしたか」
「でも、そうじゃなかった。今はここが一番落ち着く場所です」
「それは良かったです」
アリシアは微笑んで、素材の部屋に入った。
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(SOMA)
――今夜の記録を整理した。
(なんだ)
――今夜、五人全員が「この店に来て良かった」という言葉を、形は違っても口にした。
俺は少し間を置いた。
(ルナは直接言った。ノアは「悪くなかった」と言った。ヴァルドは「そうだな」と言った。アリシアは「落ち着く場所だ」と言った)
――お前は何も言わなかった。
「言う必要がなかったので」
――なぜだ。
俺はカウンターに手をついた。
「みんなが言ってくれたから。それで十分です」
SOMAは少し間を置いた。
――そうか。
「それと」
――なんだ。
「シロが膝に乗った」
――そうだな。
「それだけで、今夜は十分です」
SOMAはまた間を置いた。
それから、静かに言った。
――……わかった。今夜はそれだけでいい。
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≪第20話・了≫
次話――翌月の最初の夜。ヴァルドが審問のために出かける前に、俺に一言だけ言った。「守っていてくれ」。俺は頷いた。「もちろんです」。ヴァルドが裏路地を歩いていくのを、俺は扉の前から見送った。その夜、BAR ZEROにはヴァルドの代わりに、誰かが立っていた。




